氷点という雑誌が中国共産党に停刊にされたわけ。
中国を読み解く視点(15)-高井潔司(北海道大学教授)
今年1月に停刊処分を受けた『中国青年報』の週間付録紙「氷点」の元編集長が停刊の内幕を暴露したドキュメント「『氷点』停刊の舞台裏」が日本で翻訳出版(日本僑報社)された。メディアを管理する中国共産党中央宣伝部の憲法を無視した粗暴な言論統制を告発する書であるが、日頃は表面に出てこない最高指導層の指示の出方、幹部の自己保身的言動や機関紙発行団体内部の人間関係、さらにはインターネットがこの事件に果たした役割など、読み方次第で中国の様々な今日的断面が見えてくる。さながら現代版『官場現形記』である。
◆当局とメディアの間で日常的に起きているせめぎ合い
「氷点」が停刊処分(3月に復刊)を受けた直接の原因は、近代史とその歴史教科書の見直しを主張する中山大学の袁偉時教授の論文を掲載したことだった。共産党の統治を正当化する共産党史観の見直しを迫る論文が党の尻尾を踏み、怒りを買ったというわけだ。しかし、停刊の本当の原因はこの論文掲載ではなかった。筆者(高井)が本コラム第4回で指摘したように、「氷点」の李大同編集長(当時)らはそれまでに様々な形で、当局のメディア管理の強化に抵抗してきた。袁論文が掲載される前から「氷点」つぶしの陰謀は進行していたのである。
――後になって内情に通じている方から聞いたのだが、12月25日には既に中国青年報社社長と総編集長が、直属の上級機関である共産主義青年団中央指導部書記処の呼び出しを受け、中央指導部の主要幹部の一人が「『氷点』の問題は共産主義青年団中央指導部では処理しきれなくなった」といった内容の話をしていたと言う。党中央宣伝部による『氷点週刊』の停刊への圧力が、2005年末には既にきわめて強くなっていたことがこれらの話で分かる。彼らが動かなかったのは、厳重な監視の下でその機会を待っていたからだったのである(邦訳13ページ)。
◆袁論文批判なら大衆の支持を得られる?!
李編集長はとくに、筆者も指摘した「考課表」をめぐる中央宣伝部批判が社外に漏れ、「国内外のメディア関係者が非常に感心を寄せる注目記事となった」(31ページ)ことを、停刊処分を受けるに至った経緯解説の中で明らかにしている。この問題をめぐって当局の対応が従来と異なったのは、「予想していた『報復攻撃』を受けず、考課規定がすぐご破算になって新しくなったばかりでなく、もともと『氷点週刊』に対して頻繁に出されていた『報道批評』もこれ以来なくなり、再び見かけることは殆んどなくなった」という点だった。その原因を李編集長たちは、「中央宣伝部検閲班は人々の支持を得ないこうした『報道批評』が、公開書簡という方式によって大衆に公開されるのをタブー視したのだ」と推測している。
中央宣伝部は本当に秘密主義者であり、最も宣伝しない部門といわれ、電話番号さえ公開していない。ましてや事後検閲の結果をまとめた『報道批評』などがネット上で流されることを極度に警戒している。
その中央宣伝部が「氷点」に対する批判を溜めに溜めて、袁論文の掲載に対して「最後の鉄槌」を振るったのである。李編集長らが何のためらいもなく本書で公開した最後の『報道批評』のタイトルは、「帝国主義列強による中国侵略行為の事実を力ずくで覆す」「中国青年報が歴史教科書批判文を公然と掲載」となっている。
個々の新聞記事の評価は共産党指導者の称賛を最高点に、読者の称賛を最低点にした「考課表」問題で李編集長ら「氷点」幹部を批判しても、大衆の支持は得られない。しかし歴史教科書問題では、当局の愛国主義教育によってステレオタイプな被害者史観に陥っている大衆からの支持を得られると役人たちは考えたのだ。『報道批評』は「氷点週刊」が掲載した袁論文についてこう批判する。
――わが国の中学・高校歴史教科書にある英仏連合軍の円明園焼討事件と義和団事件に関する叙述を「狼の乳」であるとし、反右派闘争・大躍進・文化大革命といった三大災難の根源のひとつは「我々が狼の乳を飲んで育った」ことにあり、現在、わが国の歴史教科書は「わが国の青少年が未だに狼の乳を飲み続けている」ことを示している、と記している。文中では円明園焼討と義和団事件の二つの事件を引き合いに出して批判し、中国人民の百年余りの反侵略闘争を否定し、その矛先を中国共産党と社会主義制度に向けている(32ページ)。
さらに宣伝部の『報道批評』は、大衆の支持を取りつけるために以下のように「反日風潮」まで動員する。
――彼(袁)の文章では日本の右翼勢力が編纂した歴史教科書と和学の教科書を一緒にして、「我々の近代史観には似た問題がある」「社会の主流をなす文化はみな、自分の近代史に対し深刻な反省が欠けている」と述べている。これは直接我が中国共産党が提唱、昂揚している愛国主義精神を攻撃するものであり、我が党が提唱し、指導している社会の主流となる文化を悪意をもって貶めるものであって、中国の歴史教科書と日本の歴史教科書を事実上一緒くたにして論じるなどは、ことの是非を極端に取り違えている。
こうして『報道批評』は「氷点」に対する大衆の批判を煽りながら、「『氷点』という専門紙は、わが国の主流的な認識と相反する文章をたえず掲載して、党の思想陣営に一度ならず重大な誤った観点を撒き散らし、人民による厳しい批判に対して聞く耳を全く持っていない」と断じ、『報復攻撃』に出たのである。
李編集長自身、「本来、氷点を停刊にすることに大衆の支持は得られないが、しかし、今回(袁論文掲載)は『大衆基盤』があり、多くの人の『理解』が得られるかもしれない」と中央宣伝部が考えたのだろうと見ている。
◆臆病な官僚たちの振る舞い――中国式上意下達の方式
ところで、停刊処分は従来の経緯から党中央宣伝部の命令と誤解されがちだが、実際には共産主義青年団中央宣伝部が下している。この点について李編集長は、「笑止千万、共産主義青年団中央宣伝部と中国青年報とは対等に位置づけられている部門で、その処分決定を下す権限はハナから持っていないのである。中国青年報は、昔から共産主義青年団中央指導部書記処が直轄する機関なのだ。書記処がこの汚名を引き受けたくないと思っていると考えると合点がいく」と述べている。本当に李氏がいうように「臆病な官僚連中」である。
そもそも冒頭で紹介したように「『氷点』の問題は共産主義青年団中央指導部では処理しきれなくなった」といった内容の話をしていたわけだから、党中央の最高指導層で問題視されていた。そして「中央政治局の最上級幹部の中では明確な分業があり、幹部はふつう、自己の管掌する範囲内でのみ指示を下すことができる。そうでなければ『越権』して同級の同僚の権力範囲を干渉してしまうことになり、これは官界ではタブーとなる行為である」(29ページ)から、李氏は青年団を管掌する王兆国政治局員と中央宣伝部長でもある劉雲山政治局員の二人だろうと推測する。その上で、李氏は中央宣伝部の『報道批評』で袁論文掲載が批判された時、総編集長を問い詰めて、「氷点」つぶしを指示した政治局員がこの二人であったことを突き止める。
ただし、この二人の指示の内容は不明だとも李氏は書いている。しかしここからが面白い。政治局員の指示がそのままストレートに実行されるわけではなく、次々と下に下ろされ、青年団の宣伝部という「青年報」と同格の組織が処分を下すことになる。青年団の宣伝部は、法律上は停刊処分という行政処分を決定する権限のない党組織であり、しかも春節(旧正月)という、当事者の多くが帰省する時期を選んで処分を発表したのである。
こうした役人たちの振る舞いを李氏は以下のように総括している。
――中国の官界では、役人はたった一つの義務を有している。それは上部に対する責任である。というのは、上部だけが彼の出世の道を決定できるからである。上部の指示に対して、下部の役人は普通二つの反応をする。第一の反応は、もしこの指示どおりに執行して、彼が治める地方や部門、もしくは彼自身の利益を損なうことになるのであれば、彼は面従腹背し、ひいては嘘を言ったり、報告をごまかしたり、報告しなかったりするだろう。第二の反応は次のようなものだ。もし上部の意図を理解してなんらかの行動を起こさなければ、上部に悪い印象を与え、自分の出世が脅かされる、と彼が考えた場合、この時、各レベルの役人は過剰に動き始めることがある。--本来の要求は五割でよかったのだが、彼は七、八割やりとげなければ安全ではないと思うのだ。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」--これもまた中国の官界の宿命なのだ。
というわけで、「氷点」の幹部たちは文化大革命さながらの糾弾を受けることになる。上記の引用に即していえば、青年団の中央書記処は前者の反応、その下の宣伝部は後者の反応をしたのである。
◆プライドを持つ編集長の「死」の選び方
役人たちの誤算は、李編集長が「記者」という職業にプライドを持ち、インターネットという新しい武器も持っていたことだ。李編集長は「最低限のプライドを保ちたいと思うのであれば」「生きるより死んだほうがましだ」と覚悟を決めていた。90年代半ば以降、中央宣伝部の命令によって、「南方週末」「焦点訪談」など様々な「名新聞、名コラムが鋭気をうしなってきた」。李氏はこうした流れを、「一度目は強姦、二度目は和姦、三度目はもう不倫になっている」という「絶妙な比喩」を使って紹介している(56ページ)。李編集長はそうした先例を教訓に腹をくくっていた。彼は「死に方には二種類ある」という。
一つはいかなる詮索もせずに、職業に対する最低限のプライドを保ち、しかし怒りをこらえてじっと我慢し、抗議もしない。このようにすれば少なくとも生活は保たれる。(中略)これは昔、粛正されたメディアの唯一のやり方だった。しかし、これはくだらない官僚の思うつぼにはまっているのではないだろうか。
もう一つの死に方、それは背水の陣を敷き、この官僚グループの卑劣な行いを天下にさらけ出し、人々にこれら官僚の顔を知ってもらい、歴史に真実の記録を残し、中国の言論の自由を摘み取るという今回の恥ずべき行為を歴史の恥辱のモニュメントにしっかりと書き残すことである。こうすれば『氷点』はたとえ死んでもなお存在し、読者と同業者の心の中で長く生き続ける。ひとたび春が到来すれば、それは瞬く間に復活し、再び生きる望みが現れるだろう。
こうして李編集長は「二つ目の死に方」を選択する。「死」を選択した李氏のその後の抵抗についてもまだまだ詳しく紹介する必要がある。だが、本稿はコラムとしてすでに長大な量になってしまった。ちょっと異例だが、今回はここまでとして、続きは次回に回したいと考える。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060627-00000004-scn-cn
「『氷点』の問題は共産主義青年団中央指導部では処理しきれなく
なった。」と、共産主義青年団中央指導部に言われた青年団が、
勝手に「氷点」を停刊にした。
青年団を管掌する王兆国政治局員と中央宣伝部長でもある劉雲山政治
局員の二人が、青年団の宣伝部は、法律上は停刊処分という行政処分を
決定する権限のない党組織なのに、
春節(旧正月)という、当事者の多くが帰省する時期を選んで処分を
発表した。
李編集長が、歴史問題を載せたので、
青年団を管掌する王兆国政治局員と中央宣伝部長でもある劉雲山政治
局員の二人は、氷点つぶしのチャンスだと思った。
「本来、氷点を停刊にすることに大衆の支持は得られないが、しかし、
今回(袁論文掲載)は『大衆基盤』があり、多くの人の『理解』が得られる
かもしれない」と中央宣伝部が考えたのだろう。
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義和団事件とは、,,,
清朝末期におこった外国排斥運動。北清事変 ともいう。
▽列強勢力やキリスト教 の進出に反感をもった民衆は,宗教結社の
義和団に入って鉄道や教会 をおそった。
運動は山東(シャントン)省からおこって北京(ペキン)にもおよび,
1900年には外国公使館を包囲した。清朝は義和団を支持して,
各国に宣戦を布告。
日本など8か国は連合軍を送って北京を占領し,1901年清朝を屈伏
させて,巨額の賠償金や外国軍隊の駐屯権をとり,中国の半植民地 化を
すすめた。
この間にロシア
は満州
を占領し,日本との緊張を高めた。
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以下は過去のニュースです。
【北京=末続哲也】中国有力紙「中国青年報」の付属週刊紙「冰点週刊」
が、2006年1月24日に停刊処分を受けたことが、同紙関係者により
明らかになった。同週刊紙が11日付で中国の歴史教科書の問題点を
指摘したのが原因と見られる。
問題の文章は、袁偉時・中山大教授が執筆。1900年の義和団事件で、
1か月内に児童53人を含む外国人231人を殺害した残虐行為の記述が
中国の歴史教科書にほとんどない点などを指摘、日本の歴史教科書を
批判するだけでなく、自国の歴史教科書の記述も見直すよう訴えた。
中国青年報は、胡錦濤・国家主席の出身組織でもある中国共産主義
青年団の機関紙。比較的自由な報道姿勢で知られ、特に斬新な切り口
の記事を掲載する冰点週刊は人気が高かった。今回の処分は、胡錦濤
政権による言論統制強化を改めて浮き彫りにしている。
中国では昨年末にスクープを連発してきた人気日刊紙・新京報の
編集局長らが更迭されるなど、近年、報道規制が強化されている。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060125i316.htm
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【女子大学院生まやの中国社会ニュース】(号外)
~ 第15号 2006年1月26日 835部発行 ~
読売新聞のWEBサイトが
「歴史教科書批判が原因か・・・中国人気紙が停刊処分」
というニュースを伝えました。
⇒ http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060125i316.htm
停刊処分になった「中国青年報」の付属週刊誌:「氷点」は、
私にとって
中国の新聞メディアに対する見方を変えてくれた「新聞」でした。
ごくごく普通の人々の日常に起こる非日常にスポットを当てた同紙は、
まるで小説や物語を読んでいるかのような錯覚に陥るほどの文体で、
読み手の心を熱くさせ、読み終えたあともその「物語」の余韻にひたってしまう、
そんな「新聞でした」。
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☆ 消えた「氷点」 ☆
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私の毎週水曜日のお楽しみは、
党青年団機関紙:「中国青年報」の
付属週刊紙:「冰点週刊」を見ることです。
これは少しの誇張もなくそうです。
今朝(1/24)、
「さて今日の氷点はどんな物語が載っているのかな」と、
同紙のサイトを見ると、
どこをクリックしても「氷点」が見つかりません。
しかし、過去にも一日遅れで「氷点」が掲載されたことも
あったようなので、
深くは気にも留めていませんでした。
それでもやっぱり虫のしらせだったのか、
普段はあまりチェックしない「李大同」氏の
(「氷点」の創刊者であり看板編集者)
主催するブログを見てみました。
最新のエントリーは、
停刊処分を受ける原因にもなった11日付の
「現代化と歴史教科書」という記事についてのコメントでした。
うら覚えなのですがそこには、
同記事を出稿する際、
「中国青年報」の上から「まった!」がかかったこと、
李氏が、
中国で高視聴率を記録した
ある歴史ドラマを引き合いに出し、
「人気のある歴史ドラマの中でも、
伝えられている歴史を(ことごとく)
”アレンジ”しているから大丈夫だ」と、
(すみません、本当にうら覚えですが、こんなニュアンスでした)
説得、
なんとか掲載にこぎつけたという裏側が書かれていました。
読売の記事を読んですぐ
李大同氏のブログにアクセスすると!
過去のエントリーや
何から何まですべて消えて無くなっていました。
(アク禁よりたちが悪いのではないでしょうか)。
氷点を停刊処分にするなんて。
何もこんなに(号外を出すほど)ムキになることもないのですが、
第一報を目にして、
本気で寒気がしました。
「時代人物周報」という週刊誌が
(無期限)停刊(処分)になった時も、
発行元へ問い合わせの電話をかけるくらいムキになりましたが、
今回の「氷点」の停刊処分には、
しゃがみこんで「なぜなんだー」と
両手で地面を叩いてしまうほどのショックを受けました。
▼ 停刊処分になりそうな予兆がなかったわけでもない
05年、
いくつかの事件・災難が
「中国青年報」と「氷点」を襲っていました。
まずは04年3月31日の「氷点」に掲載された
「十年磨一案」という記事をめぐって、
同紙は名誉毀損で訴えられ、
一審、二審とも「敗訴」、
05年5月に謝罪声明を掲載しました。
この敗訴については、
同紙をはじめ
各方面からも疑問の声が出ていました。
そしてもうひとつ。
これは新聞業界内外へ
かなりの衝撃を与えました。
05年8月15日、
「氷点」編集長である李大同氏はネット上で、
「中国青年報」内部の
新たな審査・評議方法に対する「公開信」
(「信」は手紙の意味)
を発表しました。
(手紙の内容を大雑把にまとめると)
お上の気に入る記事を書いた者には
「奨金」が与えられるというもので、
ニュースバリューの判断基準や、
記者の社会および権力の腐敗を監視する権利を
著しく損なうものだと反発、
こんなことがまかり通るなら
自らの手で創刊した「氷点」を去る、
というものでした。
その数日後、
今度は李氏に批判された相手が同じくネット上に反論文を掲載、
終いには
中国国内で言論・報道統制を一手に担っている
「中央宣伝部」まで(裏で)登場、
李大同氏の「公開信」を
ネット上から「封殺」したという出来事がありました。
結局、
中国国内で大きな波紋を呼んだ
「新審査・評議条例」は制定されることなく、
また、
辞職すると言っていた李氏も、
そのまま「氷点」へ残ることになったのでした。
読売新聞の記事は「氷点」を、
「斬新な切り口の記事を掲載する冰点週刊」
と称していますが、
もともとは
「普通の人が経験する普通でない出来事」
に注目し、
記事にしてきた、市民の目線で記事を書き続けた
付属週刊誌です。
創刊号で取り上げたのは
「北京に7つしか残っていない肥桶を背負い運ぶ人々」
でしたし、
つい最近では、
戸籍のない少年と検察官とのふれあいを取り上げた
「感情に訴える」記事を掲載していました。
確かにここ2,3年は、
「ほかの新聞社は取り上げることができないから」と、
「硬い」記事が掲載されることも増えてはきていたようですが。
前出の「時代人物周報」が休刊になった本当の原因は、
表向き言われているような「財政難」などではなく、
休刊前に発行した「10大公開信」だと私は思っています。
05年、
中国ではネット上で
「訴状」や「意見状」を公開する
という手法が流行しました。
これは、
新聞や雑誌には掲載できない「敏感な話題」でも、
ネットの掲示板を利用すれば、
瞬く間に転載され、
多くの人々の目につく
↓
世論が動く
↓
問題や決定事項が覆りやすい、
という中国の特色を十分に理解しての行動だと思います
そして
その「10大公開信」の中には、
当然のごとく、
李大同氏のそれも含まれていたのでした。
私は今年1月から、
「中国青年報」を定期購読し始めたばかりです。
それもこれも
毎週水曜日の「氷点」を収集しようと思っていたからです。
なんでもかんでも休刊してしまえばそれですむと、
(中央宣伝部は)まさか本気で思っているのでしょうか。
創刊から10年、
500万字以上の言葉で、
ごくごく普通の人々の喜びや悲しみ、
愛情や同情心、
裏切りや争いを綴ってきた「氷点」。
過去には、
ベストセラーや映画も誕生した「氷点」。
まさか停刊という日を迎えることになるとは、
夢にも思っていませんでしたし、
多くの中国の読者は
その事実をうまく理解することが
できないのではないでしょうか。
同時に、
「中国共産主義青年団の機関紙」という背景が
あるにもかかわらず
停刊処分になってしまう―
中国では
メディアに対する報道規制が、
これほどまでに厳しくなってきたのかと
気持ちが
目の前が
真っ暗になりました。
HP:http://www.geocities.jp/kim71jp/
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/pinpin/