リセットする子供 | 日本のお姉さん

リセットする子供

「何もかも消したくなった。」「やりなおしたかった。」


そう思った子供が、家族を家ごと焼いて殺してしまう事件があった。


テレビを観るために、他人の家に入り込み、電話線もカットして通報を


遅らせようとした。


知恵だけは付いているが、心が歪んだ子供だったようだ。


二度目の母親と、その子供たちを消してしまえば、父親に対する


復讐になると思ったのか、普段から心の隅で、自分だけが


勉強をするように責められていると感じていたからなのか、


勉強をするように責められていない二度目の母親の子供が


羨ましかったのか、多分本人も、殺したいと思った理由が分からずに


いるのではないだろうか。


嫌な人間を消してしまいたという気持ちは、全ての人間が持っている


感情で、それを「罪」と聖書は呼んでいる。


「あいつさえ、いなければ、、、。」という気持ちそのものが殺人と同じこと


なのだと神さまは聖書を通して語られている。


人間が神さまの立場に立って、他人に力を振るうことが罪だということなの


ではないか?国の政治をつかさどる者は、まさに神さまの仕事の請負人で


あるので、近隣の侵略から国土と国民を守り、公正に罪人を裁き、


病人や、弱い者を助けるという仕事をきちんと行う責任がある。


国民に対する愛だけでは、政治はできない。力と知恵がなければ、


国の政治は勤まらない。


罪を犯した者には、正しい罰を与え、状況によっては哀れみをかけるのも


政治をつかさどる者の仕事である。


嫌な人間を殺しても良いというなら、治安は守られない。治安が守られない


場所では、国というものは存在できず、家族や同族単位の集まりが転々と


存在する集落ができるだけだ。その集落が弱ければ、他の集落に


吸収されていく。小さな集落が生き残るために、友好的に強い他の集落と


合体していく。または、戦争という暴力で、併合させられる。そのようにして


同じ考え方や感じ方を無理やりだったとしても共有する集落が集まって、


国になるのだと思う。そして王様や政治家などの指導者によって、治安が


守られている場所がひとつの国なのだ。


嫌な人間を殺しても良いというなら、治安は守られない。


つまり、嫌な人間がいても、勝手に殺してはいけないというのが、社会の


ルールだ。このルールを子供に学ばせるのが、大人の仕事だし、国を存続


させるために、攻めてくる他国に立ち向かう必要もあるし、自国の治安を


守るために、努力する必要がある。


嫌な人間を勝手に殺す人間は、国にとって危険な存在である。


自国内での治安が守られていることが、国としての最低条件だからだ。


独裁者の国では、独裁者が嫌な人間を勝手に殺していいことになっている。


民主主義の国では、民衆が、指導者を監視して文句を言い国を変えていく。


家族を家ごと焼き殺して、犯罪者となった子供は法律に従って裁かれる


べきである。ここで注目したいのが、この子供の家族を殺した理由だ。


「何もかも消したくなった。」と語る少年の考えの中に、ゲームと同じ感覚が


潜んでいるような気がする。面白くなければ、ゲームはリセットすればいい。


現実の世界では、面白くない現実をリセットするとは、嫌な人間を殺すことだ。


ゲームと現実を区別できない子供は、そんなにいないはずだが、普段から


不満を抱えている子供は、何かのきっかけで、犯罪者となる可能性があると


いうことだ。試験の成績が悪かったというきっかけだけで、心のタガが外れて、


二度目の母親とその子供たちを殺してしまう子供が本当にいたのだから。


家族を殺したという罪は裁かれねばならないが、そこまで子供を狂わせた


何かが家庭の中にあったのかもしれない。


本当は、人間はいつも殺意を抱えて生きている存在なのかもしれない。


それを実行に移すのは、自分の心を抑えきれない人間である。


実行しないのは、自分の心を支配できる人間だからなのだ。普通の人間と


犯罪者は、それだけの差があるだけなのだ。


子供を育てる親は、自分の子供が勉強ができるかできないかよりも、


自分の心を治める事ができる人間に育てることが大事なのではないか。


心の中に怒りや不満があれば、それを少しずつ口に出すことができる


子供なら、そして親との関係を少しずつ改善していけるような家庭なら、


こんな悲劇は起こらなかったのかもしれない。


怒りや不安で心が歪んでいたのにそれを口にできず、親と子の関係を


改善するチャンスも逃した少年は、何もかも消したくなって自分の周りの


人間をリセットした。


家は焼けても建て直しできるが、失われた命は、二度と戻らない。


父親の連れ子が、継母とその子供たちを殺害するということは、過去にも


どこかで起きている事件なのではないか。


複雑な家庭に育つ子供なら、普通の家庭の子供よりも、本当はもっと


ケアが必要な存在なのではないか。子供は心の中の欲望をうまく抑える


ことができる大人になる前の段階の人間なのだ。


心の中の殺意にも、純粋に反応して実行する危険がある生き物だと考えて、


親はしっかり育てなければいけないと思う。家族を愛する事は、国を


愛する事と、どこか繋がっているような気がする。どちらも人間として


当たり前のことなのだと思う。親が子供に与える心の教育よりも、普段から


夢中になって遊んでいるゲームの感覚が勝っているから、子供の心の


タガが外れやすいのではないかと、少し心配になる。