炎のランナーのその後
天津出身の金メダリスト、エリック・リデルについて天津発行の日本語雑誌
「JIN」に記載されているのを最近発見しました。
少々古い昨年発行の「JIN」ですが、前回のメルマガの内容を補足
します。
エリック・リデルは1902年1月16日に、当時中国使節であった
スコットランド人の両親の下に天津で生まれ、5歳の時に英国に渡り、
ロンドンのエルサム大学からエディンバラ大学に移り、ラグビーのス
コットランド代表選手として活躍します。
そして1924年第8回パリオリンピックの英国代表に選ばれ、陸上
100mの代わりに400mに出場して優勝したことは、前回紹介し
た通りですが200mにも出場して銅メダルを獲得しています。
彼は最初に金メダルを獲得したスコットランド人で、しかも世界新記
録でもありました。
1981年に映画化されたオスカー受賞作品「炎のランナー」の原題
は「Cahriots of Fire」で、彼がオリンピックに出て、金メダルをとるまでを
映画化したものです。(彼はクリスチャンであったので、教会に神さまを
礼拝に行くため、日曜日にある100m走競技に参加せず、代わりに
400m走に出て金メダルを取ったのです。)
オリンピックの翌年1925年に自分が生まれた天津に戻り、およそ
20年間天津で暮らし、イエス・キリストの福音を伝え、第2次大戦の
開戦後、日本軍が天津を占領下におくと、妻と子供たちをカナダに
避難させ、自分はキリスト宣教師として天津に留まります。
その後間もなく、1943年山東省維坊(weifang)の強制収容所に送
られ、脳腫瘍で死亡したのは1945年2月21日でした。
収容所では皆から尊敬され、進んで年配者を助け、聖書を読み聞きせ、
ゲームを計画し、子供たちに自然科学を教えるなど生きる喜びを与え
たと言われてます。
今日、スコットランドでは、エリックは人々のため苦労を厭わず働い
た「スコットランドの雷峰」として称えられ、1991年エディンバ
ラ大学は彼が死亡し埋葬されている維坊に記念碑を寄贈してます。
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