明日を見れば、今日が一番若いわたし。 | 日本のお姉さん

明日を見れば、今日が一番若いわたし。

昨日よりも今日は一日年を取っているわたしだが、明日より


今日は一日若いわたし。常に今日は「一番若い日」なのだと思う。


過去の自分や他人と比べれば確かに年を取っているのだが、


自分よりもっと年を取っている人もたくさんいる。友達はシワもシミもない


若さで病気で死んでしまった。人間のいのちの長さは神さまが決めること


なのだけれど、生きている間に神さまに出会えたら、その人生は大成功


なのではないか?友達は、死ぬ間際に神さまを信じると決めたから、


昇天式(お葬式とは言わない。)は教会でした。


なんでよりによって自分が変な病気にかからなければならないんだと、


不公平感を感じると言っていた。性格のいい子で、みんなに好かれていた。


ユーモアのセンスも抜群で、いつも回りの人はゲラゲラ笑っていた。


普通はそんなにいい人は、神さまを信じない。自分が良い人間だと知って


いるので、神さまに罪を赦されなければ天国に入れないなんて、想像する


こともできないからだろう。


「どうして神さまがいるなら、何も悪いことをしていないわたしが、病気に


なんかなるんですか?」と、その子は、危篤状態になった時に、駆けつけて


くれた教会の牧師さんにたずねたのだそうだ。


牧師さんは、人間の代表が神さまに逆らった時に、この地球全体が罪の


ために呪われてしまったので、病気や災害が人間を襲うようになってしまった


のです。全ての人間は罪のせいで呪われてしまい、病気や怪我や災害に


苦しめられるようになってしまったのです。そして罪が人間のこころに


入ってしまたので、人間は罪を犯すようになったのです。


人間には罪があります。教育を受けて、自分のこころのコントロールが


できる人は、人間の目から見ると良い人ですが、神さまはこころを


見られる方です。


神さまの目には、全ての人間は罪びとで、生まれた時から呪われた存在


なのです。神さまは、そんな人間を救うために、罪びとの身代わりに、


捌きを受けて死ぬために罪の無い救い主を送ってくださったのです。


生まれつきこころに罪が入り込んでいる人間は、その者自身が罪びと


ですから、他の罪びとの身代わりになることはできません。


だから、罪のない神さまのひとり子が、わざわざ人間になる必要が


あったのです。


神さまはイスラエル人を選んで、救い主の預言を書かせ、その預言の


とおりに、イエス・キリストは、この世に現れ、十字架にかかって死なれ


たのです。死んでお終いならただの宗教家ですが、聖書には、救い主は


三日目によみがえるという約束がありました。


イエス・キリストは、三日目の日曜日の朝によみがえったので、それを


見た弟子たちや500人以上の人々がローマの迫害にも耐えて、


世界中にイエス・キリストのことを伝えたのです。


神さまの願いは罪びとが救われて天国に行くことです。


○○さん。イエスさまは、あなたが天国に行くために、あなたの身代わりに


十字架にかかって、罪の罰を身代わりに受けてくださったのです。


神さまのしてくださったことを受け入れるだけで、罪は赦されるのですよ。


神さまを信じますか?と、語ったそうです。


「はい。」とその子が言ったので、牧師さんは「では、わたしが神さまに


お祈りしますから、本当にそう思ったらアーメンと言ってくださいね。」と言い、


「神さま、神さまのひとり子のイエス・キリストが、わたしの罪のために


十字架にかかり、死んで三日目によみがえられた事を信じます。


イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。」と、祈ったそうです。


わたしは、まさかその子が危篤状態になっているとは知らなかったので、


会社に行っていたから、その場にいなかったのだけれど、牧師さんが


呼ばれて病院に行き、神さまの話をしてくれたので、その子は、神さまを


信じてから人工呼吸器につながれた。そしてそのまま、天国に行った。


いい人だったから、神さまは早く天国に入れたかったのだろうか?


ギリギリでも神さまを信じることができたから、本当に良かった。


今でも時々、友達と一緒にその子のことを思い出す。


「あんないい子はいないよね~。」と、友達も友達のお母さんもいつも


言っている。天国に行けば、また会えるけども、まだまだ先の話だ。


残された者たちは、どんどん年を取る。その変化をなげく時に、ふと


若いままの姿で天国に召されたその子のことを思い出す。


年を取って、シミが出ようがシワが出ようが、白髪が出ようが、見かけが


不細工になろうが、長生きできているということを神さまに感謝しないと


いけないのでは?


今日、生かされているのは、神さまのご計画ではないのか?


では、どうやって今日を生きればベストなのだろうか?


罪びとだから、毎日罪を犯すけれども、神さまを信じた時に、生まれてから


死ぬ瞬間までの一生分の罪を、神さまは完全に赦してくださったのだ。


イエス・キリストが十字架の上で流された血で、神さまの赦しの事業は


完全に「終わった。」のだ。旧約聖書の預言は成就し、新しい約束の


時代が始まったのだ。今日、生かされていることを神さまに感謝して、


神さまがわたしにさせたいことをしようじゃないか。イエス・キリストのことを


世界の人に伝えなさいと聖書には書かれている。人間は何のために


生きるのか。それは、神さまが、それぞれに与えたタレント(能力)に従って


神さまの用事を行うためだ。自分の果たすべき役割というものが人間には


あって、それぞれがこころに示された事をやりとげないといけない。


自分の罪の欲望に従って生きると、犯罪者になるが、神さまの要望に


沿って生きることは人類のためになるし、神さまのために益になる。


先ず、人は自分の創り主である神さまの存在を認め、自分がいずれ死ぬ


という事実を認め、そしてこころに罪があることを認め、死後に天国に行く


には、神さまに罪が赦されていることが条件だと知らなければならない。


イエス・キリストを信じる者は罪の裁きから救われる。


イエス・キリストが十字架の上で死んだ時、地獄に行くべきあなたが


死んだと神さまが見てくれている。イエス・キリストがよみがえった時、


天国で生きる新しいあなたが生きているのだと、神さまが見てくれている。


あなたも、死ぬ間際にでもいいから、神さまを信じて救われて欲しい。

そして、明日を見れば今日が一番若いのだから、自分の性格や才能を


生かして、あなたができる良いことを実現してほしいなと思う。