日本が欠く国際秩序の要因見極め
杏林大学客員教授・田久保忠衛
島国的な視野狭窄から脱却せよ
≪米露の「冷戦再来」はなし≫
米政府高官がこれだけ厳しい表現を冷戦後のロシアに使ったのは、初めてだと思う。チェイニー米副大統領は、5月5日にリトアニアの首都ビリニュスで、ロシアが民主化の道を外れ、民主化を進めるウクライナに対し、天然ガスの供給を停止するなどエネルギーを脅迫の道具に利用していると激しく批判した。
果たせるかな、ロシア側のマスメディアには、チェイニー演説が冷戦の到来を宣言したチャーチル首相の「鉄のカーテン演説」ではないかといった買い言葉的表現が登場する。
こうしたやり取りの中で、ロシアのプーチン大統領は5月10日に年次一般教書演説を行った。重点は、世界における自国の国益を守るために戦略核を中心とする軍事力を拡大する、深刻化の一途をたどる人口減少にいかに対応するか、の2つだった。
プーチン演説の正確な分析はロシア問題の専門家に任せるが、日本の大方の新聞に躍った大きな見出しは冷戦の再来を髣髴(ほうふつ)させるようで、国際情勢全体の構図を歪(ゆが)めている。サンクトペテルブルクで7月に開かれる主要国首脳会議で民主化問題をめぐる鞘(さや)当てはあるかもしれないが、米露間の「冷戦再来」はあるはずがない、と断定しておく。
いまの国際情勢を貫く大きな柱は、米国がスーパーパワーどころか、ベドリーヌ元仏外相が言う「ハイパーパワー」になっているという事実だろう。世界の人口の5%弱の米国一国で、世界のGNP(国民総生産)の3分の1を占め、プーチン大統領が演説で触れたように米軍事予算はロシアの25倍に上っている。これをもって「米一極時代」とでも言おうものなら、日本の反米的、いや反ブッシュ政権的メディアから強い反発を受ける。
アフガニスタンやイラクの民主化そのものに反対し、ブッシュ大統領の支持率が少しでも下がれば鬼の首でも取ったように囃(はや)し立てる日本のマスコミは所詮(しょせん)島国の中の「野党新聞」的視野しか持ち合わせていない。
中国の「和平崛起」を別にすれば、石油価格の高騰によって国際秩序が「多極化」に向かっていると考えられなくはない。
≪「米一極」下での「多極化」≫
プーチン大統領が米国に文句をつけ、イランのアファマディネジャド大統領が核計画で米英仏独などの諸国を振り回し、ベネズエラの反米指導者チャベス大統領が国内の強い反対にもかかわらず政権を維持しているのも油価と無関係ではなかろう。
しかし、冷厳な現実は「米一極」の下での「多極化」にすぎないと私は考える。プーチン大統領は、それを知悉(ちしつ)している。ロシアの国益を侵す外交圧力に対抗するための軍拡だと叫ぶ一方で、軍拡競争に突入した旧ソ連の過ちは繰り返さないと明言し、代わりに限られた予算をロシアに有利になるような技術に向け、賢明な配分をするのだと述べたのである。
旧ソ連の崩壊は共産主義が自らの矛盾を露呈したからにほかならないが、1981年にホワイトハウスの住人になったレーガン大統領は軍事費増と経済負担の限界を見定めた上で、旧ソ連を軍拡競争に誘い込んだ。85年に最高責任者になったゴルバチョフ大統領が危険を察知したときは既に手遅れで、結局、歴史の軍配は米国を中心とする西側に上がった。
プーチン大統領は、その屈辱を骨身に沁(し)みて感じているのだろう。同大統領が訴えたのは、年間約50万人の規模で減少する人口で、同時に著増するイスラム系人口は数十年で全人口の過半数に達するかもしれないという深刻な悩みであった。
≪影ひそめた単独行動主張≫
チェイニー副大統領のビリニュス演説を礼賛するつもりは毛頭ないが、ブッシュ大統領の2期目の就任演説、同大統領の昨年11月の京都演説に次ぐ、民主主義化の重要性を説いた3部作と称していいスピーチだった。理想の灯火を掲げた現実主義論は見事と言うほかない。
それぞれの国に歴史と伝統を踏まえたやり方はあろうが、民主主義そのものは普遍性を持つという淡々たる語り口には、かつて米国が非難された「単独行動主義」の片鱗(へんりん)も認められない。内政、外交両面での民主主義に逆行する諸点を衝(つ)かれたプーチン大統領は、反論するどころか防戦に努めているではないか。
国際秩序を構成する要因の軽重、主流と傍流などを見極めないと全体の構図は崩れる。もっとも米国の存在が諸悪の根源だと見れば、話はまったく別になる。(たくぼ ただえ)【正論】
2006年6月5日 産経新聞
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)
島国的な視野狭窄から脱却せよ
≪米露の「冷戦再来」はなし≫
米政府高官がこれだけ厳しい表現を冷戦後のロシアに使ったのは、初めてだと思う。チェイニー米副大統領は、5月5日にリトアニアの首都ビリニュスで、ロシアが民主化の道を外れ、民主化を進めるウクライナに対し、天然ガスの供給を停止するなどエネルギーを脅迫の道具に利用していると激しく批判した。
果たせるかな、ロシア側のマスメディアには、チェイニー演説が冷戦の到来を宣言したチャーチル首相の「鉄のカーテン演説」ではないかといった買い言葉的表現が登場する。
こうしたやり取りの中で、ロシアのプーチン大統領は5月10日に年次一般教書演説を行った。重点は、世界における自国の国益を守るために戦略核を中心とする軍事力を拡大する、深刻化の一途をたどる人口減少にいかに対応するか、の2つだった。
プーチン演説の正確な分析はロシア問題の専門家に任せるが、日本の大方の新聞に躍った大きな見出しは冷戦の再来を髣髴(ほうふつ)させるようで、国際情勢全体の構図を歪(ゆが)めている。サンクトペテルブルクで7月に開かれる主要国首脳会議で民主化問題をめぐる鞘(さや)当てはあるかもしれないが、米露間の「冷戦再来」はあるはずがない、と断定しておく。
いまの国際情勢を貫く大きな柱は、米国がスーパーパワーどころか、ベドリーヌ元仏外相が言う「ハイパーパワー」になっているという事実だろう。世界の人口の5%弱の米国一国で、世界のGNP(国民総生産)の3分の1を占め、プーチン大統領が演説で触れたように米軍事予算はロシアの25倍に上っている。これをもって「米一極時代」とでも言おうものなら、日本の反米的、いや反ブッシュ政権的メディアから強い反発を受ける。
アフガニスタンやイラクの民主化そのものに反対し、ブッシュ大統領の支持率が少しでも下がれば鬼の首でも取ったように囃(はや)し立てる日本のマスコミは所詮(しょせん)島国の中の「野党新聞」的視野しか持ち合わせていない。
中国の「和平崛起」を別にすれば、石油価格の高騰によって国際秩序が「多極化」に向かっていると考えられなくはない。
≪「米一極」下での「多極化」≫
プーチン大統領が米国に文句をつけ、イランのアファマディネジャド大統領が核計画で米英仏独などの諸国を振り回し、ベネズエラの反米指導者チャベス大統領が国内の強い反対にもかかわらず政権を維持しているのも油価と無関係ではなかろう。
しかし、冷厳な現実は「米一極」の下での「多極化」にすぎないと私は考える。プーチン大統領は、それを知悉(ちしつ)している。ロシアの国益を侵す外交圧力に対抗するための軍拡だと叫ぶ一方で、軍拡競争に突入した旧ソ連の過ちは繰り返さないと明言し、代わりに限られた予算をロシアに有利になるような技術に向け、賢明な配分をするのだと述べたのである。
旧ソ連の崩壊は共産主義が自らの矛盾を露呈したからにほかならないが、1981年にホワイトハウスの住人になったレーガン大統領は軍事費増と経済負担の限界を見定めた上で、旧ソ連を軍拡競争に誘い込んだ。85年に最高責任者になったゴルバチョフ大統領が危険を察知したときは既に手遅れで、結局、歴史の軍配は米国を中心とする西側に上がった。
プーチン大統領は、その屈辱を骨身に沁(し)みて感じているのだろう。同大統領が訴えたのは、年間約50万人の規模で減少する人口で、同時に著増するイスラム系人口は数十年で全人口の過半数に達するかもしれないという深刻な悩みであった。
≪影ひそめた単独行動主張≫
チェイニー副大統領のビリニュス演説を礼賛するつもりは毛頭ないが、ブッシュ大統領の2期目の就任演説、同大統領の昨年11月の京都演説に次ぐ、民主主義化の重要性を説いた3部作と称していいスピーチだった。理想の灯火を掲げた現実主義論は見事と言うほかない。
それぞれの国に歴史と伝統を踏まえたやり方はあろうが、民主主義そのものは普遍性を持つという淡々たる語り口には、かつて米国が非難された「単独行動主義」の片鱗(へんりん)も認められない。内政、外交両面での民主主義に逆行する諸点を衝(つ)かれたプーチン大統領は、反論するどころか防戦に努めているではないか。
国際秩序を構成する要因の軽重、主流と傍流などを見極めないと全体の構図は崩れる。もっとも米国の存在が諸悪の根源だと見れば、話はまったく別になる。(たくぼ ただえ)【正論】
2006年6月5日 産経新聞
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)