猫のB君は最後までお利口さんだった。
5月18日には普通の缶詰めも食べていた。5月24日にどうもご飯を
食べていないし、痩せてきたし表情がさえないので病院に連れて行った。
点滴をして薬ももらったが、やはりご飯を食べない。普通は薬を飲ませると
急にお腹が減ってくるのか、ご飯を食べるのに。それに、いつも朝はテレビの
部屋にいるのに、どこかに行ったまま出てこない。夜はちゃんと現れる。
むりやり病人食(病猫食)の缶詰めを口を開けさせて食べさせる。
どうも元気が無いので、28日にまた病院に連れて行って点滴を受けた。
すでに腎臓がコリコリ石のように硬くて、血液を調べても全く機能していない。
カリウムの数値が高くて、いつ心臓が止まってもおかしくない状態だった。
今年1月に具合が悪くなって入院した時に、ダメかと思われたが
元気になっていたのだ。先生は「1月からもう半年頑張っているから限界
なのかもしれないです。」と言っていた。それだったら家で過ごさせようと
思ったが、やっぱり調子が悪そうなので5月29日の朝に入院させた。
もしも24日に入院させていたら助かったかもしれないと思うと心が痛んだ。
29日と30日は猫のB君のことで頭が一杯で、ブログは書けなかった。
夜は病院は空になるので、29日の夜は7時過ぎに家に連れて帰った。
B君は、庭に出たがった。ケージに入れて庭に連れて行ったら、数歩歩いて
満足していた。無理やり病人食(病猫食)を少し食べさせた。
30日の朝、病院に連れて帰った。カリウムの数値だけマシになっていた。
腎臓と肝臓の値は最低になっていた。入院してもどんどんひどくなっている。
夜になるとB君は本当に具合が悪く、家に連れて帰っても数歩しか歩けない。
それでもベランダに出たがったので一緒に過ごした。おしっこもあまり出ない。
水曜日は病院の先生が朝7時15分に出てきてくれた。B君を渡してそのまま
会社に行く。車は会社の近くの有料駐車場に入れて、夜もB君を迎えに
行った。B君はとても辛そうで一回吐いた。水も飲むのを拒否する。
木曜日は、その病院は休みなので、朝の受け取りができない。
何度もB君は病院で吐いたそうだ。入院はさせないで、家に連れて帰った。
木曜日はB君にはひとりで家で頑張ってもらい、夜に別の病院に連れて行く。
腕の血管の管はそのままにしてあったので、背中に点滴をしてもらう。
腕からも直接血管に注射をしてもらう。でも、数値はどんどん悪くなっている。
入院しても効果が無いのだ。B君は、もう息をするのも辛そう。木曜日は
おしっこを全くしなかった。
先生が腕の血管に通した管がまだ使えるので、金曜日も入院させてみては?
と言うので、金曜日も入院先の病院の先生に、朝7時15分に受け取りの
ために早く出てきてもらい、B君を渡す。夜も7時過ぎに受け取りに行く。
とにかく病院で死なせたくなかった。金曜日の夜は、B君は自分の隠れ家に
していた押入れに自ら歩いて入った。そして何度も吐いた。
口から出る息はアンモニア臭い。尿毒症になっている。息はするのも辛そう。
一緒に押入れに上半身だけ押入れに入れて布団をかぶってB君の側で寝た。
明け方、B君をベランダに移した。最後に好きなベランダで景色を見たい
かなと思って。B君の横にずっといた。B君の息は荒くなっていた。
口元は黄色くなっていた。何度も泡を吐いた。そして最後に大きく口を
開けて咳き込んでから死んだ。土曜日で会社が休みだったから、ずっと
側にいてやれた。病院の支払いには、日曜日の夕方出かけた。
「B君は、入院で延命してもらって、ちょうどわたしの休みの日にわたしの
側で死んだから良かったかなと思います。」と、院長先生の奥様に言うと、
「動物って、自分で飼い主に合わせて死ぬからね。ずっと病院に入院して
いてもね。ずっと頑張って、飼い主を待っているのよ。飼い主が病院に
来てから、飼い主の顔を見てから死ぬのよ。買い主の顔を見るまで、
一生懸命生きて待ってるのよ。不思議なもんでね。」と、動物病院ならでは
の本当に不思議な話をしてくれた。
最後まで動物は飼い主の都合を考えて頑張るのだと思った。
B君もわたしの都合に合わせてくれたのだろう。土曜日のお昼にB君は
天国に行ってしまった。動物は天国に入れる霊(れい)が無いと聞いたが
神様にオネガイしておいたから大丈夫。また天国で会わせてくれる。
最後までB君はお利口さんだった。土曜日だから、ちゃんとお別れの儀式
を自分なりにすることができた。庭の花を取ってきてB君の周りに詰めた
だけだが、それでもわたしには必要な儀式だ。だんだん硬直して死骸らしく
汚く臭くなっていく体を見ていると「これはB君の抜け殻なんだ。」という
気持になることができた。どこからかハエまで飛んできてB君の開いた
口元に入ろうとするのだ。汚くなっていく亡骸(なきがら)を見て、人は
愛するものの死を実感し、あきらめをつけるのだ。現実を認める勇気を
持つのだ。B君がいなくなっても、他の3匹の猫には変化が見られない。
当たり前のように受け止めている。ただ、どの猫も異常に甘えん坊になって、
順番に擦り寄ってくるのだった。B君がわたしの注目を一身に集めて
いるのは他の猫にも明らかであったようで、B君が苦しんでいる時は、
どの猫もわたしとB君に近寄ってこなかった。B君が死んだ土曜日は早く
寝てしまった。起きた時間はいつも通りだった。日曜日は逆に眠れなくて
朝まで起きていた。B君を早めに入院させなかったから死期が早まったの
かもしれないと自分を責めそうになるが、あえて自分を責めるのは止めよう
と思った。誰がわたしを責めても、わたしが一番B君のことを世話したのだ。
飼い主はわたしで、B君は寿命が尽きるまでわたしと一緒に楽しく過ごした
のだ。ベテランのブリーダーほど、上手に世話は出来なかったかも
しれないが、B君の世話が出来たかどうかなど、他人にとやかく言われ
たくない。たとえ何らかの失敗があったとしても、B君が死んだと言う現実
からは逃れられない。B君を拾った人から、わたしはB君を譲り受け、
とにもかくもベストをつくしたのだ。病気の愛猫を置いて二日半旅行に
行ったのは事実だ。友人に頼んで毎日家に来てもらっていたし、B君は
その二日半の間は、缶詰めをもりもり食べていたのだ。昨日もその友人の
家にそのことを再度確認に、行った。B君が死んだことは言えなかった。
友人が自分を責め出すといけないから。B君は寿命が尽きたのだ。
「言い訳は聞き飽きた。」と、B君を譲ってくれた人はメールをよこした。
わたしも説明するのは飽きた。B君が死んで悲しいのに、他人の怒りも
引き受けなければならない。仕方が無い。B君が死んだのはわたしの
せいだとする非難のメールに耐え、今日もわたしは生きる。
元気に生きたいと思う。わたしの愚かさも失敗も自己中心の罪もこころの
卑しさも全てひっくるめて、神さまが全部承知で赦してくれたのさ!
罪びとだから、神さまはひとり子の救い主を送ってくれたんだろうが!
天使だったら、救ってくれなくても、天国に行けるだろう!行けないから
身代わりに、神さまのひとり子が十字架にかかって罰を受けてくれたん
じゃないか。残った3匹の猫も順番に死んでしまうのだと思うと今から
辛くなる。短いいのちだから、幸せに過ごせるようにしてあげたい。
でも実は、猫たちがわたしに優しくしてくれているような気もするのだ。
B君。一緒に過ごして楽しかったね。アリガト。病気なのに旅行に行って
ゴメンネ。急変すると分かっていたら行かなかったよ。by 日本のお姉さん