ハムザ・エルディンが好きだったから、スーダンが好きになったのに。 | 日本のお姉さん

ハムザ・エルディンが好きだったから、スーダンが好きになったのに。

「アラブの吟遊詩人」と呼ばれ、アラブ音楽を日本に伝えた、

ハムザ・エルディンさんが二十二日夜(現地時間)、感染症の

ため米カリフォルニア州オークランドの病院で亡くなった。

享年七十六。

 日本で親交のあった知人らに二十四日、現地のマネジャーから連絡があった。関係者らは「ハムザさんの足跡は、日本とアラブミュージックの歴史そのもの」としのんでいる。

 ≪喜多郎さんら共演≫

 ハムザさんが日本で活躍したのは一九八〇年から十六年間。国際交流基金の招きで来日。琵琶やギターなど弦楽器の祖先にあたると言われる、アラブの伝統的な楽器「ウード」を奏でたアルバムを世に出すかたわら、中近東からアフリカ北部までをエリアにしたアラブ音楽を大学で教えたりもした。

 また、日本滞在中にはフォーク歌手の小室等さんや喜多郎さんらとも共演。琵琶、三味線、現代舞踊などのステージにも立った。

 アフリカのスーダン生まれ。出身地がアスワンハイダムの建設で湖底に沈んだために、エジプトでアラブの古典音楽を学び、スーダン国立放送局の専属音楽家となってデビュー。六四年に活動の場をニューヨークへ移した。来日前から交友のあった音楽評論家の中村とうようさん(73)は「ハムザさんの来日までは、日本で知られているアラブの音楽は欧州経由のものだった。決してメジャーな音楽家ではなかったが、素朴な人柄もあって多くの日本の音楽家に影響を与えた」と話す。

 アラブの音楽は西洋の音楽に比べて四倍の音階を持ち、深みがあるところが魅力の一つだという。中村さんは「日本には商売で成り立つようなアラブ音楽のマーケットはまだない。しかし、ハムザさんによってジワリとファンの層が広がったことは、かえってよかったのではないか」と話している。

 日本でハムザさんのマネージャーを担当した「企画室SEN」(神奈川県)によると、最近は米国の高校や大学で、アラブの音楽の授業を持っていたという。担当者は「八〇年代に日本で起きたエスニック音楽ブームの先駆者的な位置にあったと思う」と話している。交友のあった音楽家たちが後日、しのぶ会を計画することになっている。(赤堀正卓)

http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200605260017a.nwc


亡くなっておられたのね、、、。寂しい。