アダムとエバが腰を隠したのはいちじくの葉っぱ。
【ワシントン1日共同】中東のヨルダン渓谷にある約1万1400年前の遺跡
から、人間が栽培したらしいイチジクの化石をイスラエルなどのチームが
発見、2日付の米科学誌サイエンスに発表した。
穀物栽培が始まったとされる時期より1000年近く古く、最古の農作物は
イチジクだった可能性が出てきたとしている。
遺跡の住居跡から見つかった化石は、直径2センチ弱のイチジク9個と
300以上の果肉の粒。
チームによると実は熟し、形崩れしていなかったことから、食用に干した
可能性があるとみられる。
受粉せずに実を結ぶ「種なし」のイチジクで、木で熟して味も良いと考えら
れるが自然には増えず、人の手で栽培されていた可能性が最も高いという。
イチジクは挿し木で簡単に増え、栽培が容易。それに加えて、味が良い
種類ができたことが、ブドウやオリーブなどより早く人間が栽培を始めた
理由ではないかとチームは指摘している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060602-00000013-kyodo-int
いちじくが最古の農作物かもしれないというニュースをみて、
アダムとエバもいちじくの葉っぱで腰を隠したと聖書に書いてある
ことを思い出した。聖書ではいちじくと言えば、イスラエルの象徴。
いちじくの葉が出れば、終わりの日が近いと知りなさいと、聖書には
書いてある。イスラエルの建国が、神さまが定めた終末の日の
カウントダウンが始まったと思えということだ。
聖書の中で、取税人のザアカイがイエス・キリストを一目見ようと
登った木はいちじく桑だ。聖書の中ではいちじくとは、「人間の努力」の
象徴でもある。いちじくが人類の最古の農作物だったとしたら、なるほど
いちじくは「努力」の象徴にふさわしいかもねと思った。
アダムエバが、神さまに逆らって悪魔が取り付いたへびの言う言葉を
聞いて、「善悪を知る木の実」を食べた時、二人は裸であると悟った。
性的な欲とか、恥ずかしいという気持が出てきたのだ。
二人は努力して、いちじくの葉っぱをつづり合わせて腰に巻いた。
お互いの局部の様子が恥ずかしかったからだ。
神さまは、そんな人間のために、エデンの園から出るように命令され、
地は人間の罪で呪われてしまったが、将来、救い主を送ると約束された。
そして、動物を殺し、その皮でアダムとエバの裸を覆う着物を作って
与えられた。これは、人間の努力無しに、罪の無いものの血が流される
ことで、人類は罪を覆われるのだという約束でもある。
イエス・キリストは、神さまの罪に対する怒りを受けて死ぬために、
アダムとエバの子孫から生まれ、罪の無い人間の姿をとられた。
聖書の預言のとおりに、人間の性交によらない処女からの誕生だったと
聖書にしるされている。神さまを信じない者にとっては、この辺を
茶化したり、キリストとマグダラのマリアが性交をして子供が出来た
などという小説や映画で侮辱するが、人間の間にできた子供ならば
罪があるので、人類の代理になって死ぬことはできないのである。
罪の無い方は、神さましかいない。だから、神さまは自分と父と子のような
関係である、もうひとりの神である、「ひとり子」を地上に送られた。
罪の無い天使には、人類の罪のために裁かれようとする「愛」が無い。
罪が無く、人類に対する愛情がある、神のひとり子しか、
人類の罪の罰を身代わりに受けることはできないのである。
いちじくの葉っぱでは、人間は自分を隠すことはできない。人間の努力では
罪の結果である「死」の問題も、死後の裁きの場所である「地獄」からも
逃れることはできない。
神さまが殺した罪のないものの血が流されることで、神さまが自ら、人間の
罪を覆い隠してくださるのだ。
「見よ。世の罪を取り除く、神の子羊。」
イエス・キリストが、活動を始める前に、ヨルダン川でパプテスマのヨハネに
洗礼を受けたとき、天から鳩のような形をした聖霊がイエス・キリストの上に
降り、天から声がしたのだと弟子が記録している。
人類の努力無しに、ただ神さまのお恵みにより、人は神さまに罪を赦して
もらえるのである。神の子羊が死んで血を流されたからだ。
死んで葬られ、三日目によみがえることも聖書の預言通りに行われた。
日曜日の朝、クリスチャンが教会に集まるのは、よみがえった朝を記念して
神さまに感謝するためなのだ。
日曜日は遊ぶ日でも休息の日でもない。よみがえったイエス・キリストを
礼拝する日なのだ。