平穏無事な生活 | 日本のお姉さん

平穏無事な生活

人間は誰でも平穏無事に日々を過ごしたいと考える。


規則正しい生活も、体調を整えるためには良い。


でも、人間の生活には、いろいろな問題が起きてくる。


生きていれば、事故にも遭うだろうし、病気にもなるだろう。


自分は無事でも、周りの人が無事ではない場合もある。


生きていれば、お金を落とす日だってあるし、


盗られる日だってあるだろう。大切な物を壊してしまう事も


あるし、なくしてしまう日もあるだろう。


お金や物なら、なくしてもまたいつか手に入るという可能性も


ある。これが、人間やペットだと、失ってしまうと同じ人やペットが


戻るわけがないので、かなり辛くなる。


大切な人やペットが亡くなるということほど悲しいことは無い。


人間は愛する人やペットを永遠に側に置いておきたいのだが、


いのちには限りがあるもの。考えてみれば自分も含めて


周りにいる人間や動物は、みな限りがある存在なのだ。


限りあるいのちを持った者同士が、ひとときの間、関わり合いを


持って寄り添って生きているのが人間なのだ。


関わりを持った者同士は、お互いにベストを尽くして付き合うべき


だけど、人間は完全ではないので、失敗をする。お互い赦し合わ


なければ、長い付き合いはできない。赦し合えない二人は別れる


しかない。人間は自分の事も赦さなければならない場合がある。


自分の失敗で、誰かが死んだとき、人間は自分を責める。


ペットが死んだときも人間は自分を責める。


もっと早く病院に連れて行けば、良かったのではないか?


違う病院なら、助かったのでは?もっと普段から大切にしていれば


異変に気が付けたのでは?もっと世話をしてあげればもっと  


長生きできたのでは?愛する人やペットが死ぬと必ず人間は


自分を責める。そんなものなのである。だから自分を赦すことが


必要になってくる。クリスチャンは、失敗した場合には神さまに祈る。


自分の失敗を認めて、神さまが罪を赦すために、神さまのひとり子の


イエス・キリストを十字架に付けて、自分の罪のために死なれた事を


感謝する。イエス・キリストは罪人を救うために、この世に来て


くださったのだ。罪深い人間と同じ姿をとって、いのちにかぎりのある


体をまとってくださった。人間と同じ姿であっても、同時に神さまの


ひとり子であったその方が、父である神さまから捨てられ、罪が無い


存在なのに、罪人の身代わりとなって地獄の裁きを受けられた。


それは聖書の預言の通りに行われた。イエス・キリストは死んで葬られ


三日目によみがえって、40日目に大勢の見ている前で、天に引き上げ


られたのだ。神さま以外に罪を許せる方はいない。


人間は失敗して後悔するとき、誰に赦されたいのだろう?


神さまに赦される事を人間は求めているのではないのだろうか。


クリスチャンは、罪が赦されていることを感謝し、悔い改めてまた


新たな思いで生きていく。神さまが罪を赦されたので、自分のことも


赦すことができる。もちろん同じ失敗をしないように神さまに助けを


求めながら生きていく。


自分の子供を不注意から死なせてしまった親は、その過ちを誰に


赦してもらいたいのだろう。もちろん死なせた子供に対して責任が


あるのだが、人間はいのちを与えた神さまにまず赦しを求めるべき


なのではないか。不注意からペットを死なせてしまった飼い主も


いのちを与えた神さまに赦しを求めるべきなのだ。ペットでも、短い間


でも関わりあいを持った限りは、楽しく一緒に過ごせた時間を神さまに


感謝し、同じ失敗をしないよう経験を次に生かせていくべきだ。


わたしの猫のB君は、もう半年前からずっと腎臓や肝臓が悪くて、


病院に通って点滴を受けていたが、急に容態が悪くなってしまい


気が付けば入院しても助からないところまで血液検査の数値が


悪くなっていた。もっと早く気が付いて入院させれば良かったと


後悔している。拾った猫なので、何歳かはしらないが、黒い毛に


白髪が混じっているので、結構年を取っていそうだ。寿命が来た


からとはいえ、猫のB君のことで、かなり「自分を許せないモード」に


陥っている。わたしは、B君を幸せにしてやれただろうか?


わたしは、まわりの人を幸せにしてあげているだろうか?


明日、友人とお別れすることになっても、自分はできるだけの


ことを友人にしてきたのだと言えるのだろうか?限りあるいのちを


持った者同士、お互いに精一杯の好意を普段から行動や言葉で


現しているだろうか?そして、お互いにこころに罪を持つ者同士、


赦しあってこれただろうか?失敗した自分を正直に神さまに言い表して、


今日の自分は昨日よりも新しく、明日の自分は今日よりも新しく


少しでも進歩があるように、神さまに助けを求めているだろうか?


平穏無事な生活の中でこそ、自分と神さまと周りの人々の関係を


きちんと考えていないといけないのに、猫のB君とお別れの時期が


近づいてから急に日頃の態度を反省しているわたしだ。