本を読んでいないから内容は知らないが酷そうだな。
17日には第59回カンヌ映画祭で、オープニング上映される予定だが、
また、タイでは、キリスト教団体が、特にキリストを冒涜しているとされる、
ライブドア・ニュース 中西庸記者/em
2006年05月17日 |
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1971068/detail?rd
イエス・キリストがマグダラのマリヤと結婚してSEXをして、子供ができて
子孫がいるだと~!?ふざけた内容の本を書いて儲けたかったのか?
そんなことをしたら、当時の政治家や宗教家たちは、喜んで「イエスは
神の子なんかじゃない。娼婦と結婚したからだ!!」と、大騒ぎして
誰もイエス・キリストを神さまが遣わしたメシア(救い主)だと思わなくなった
だろう。
彼らは、イエス・キリストを陥(おとしい)れようといろいろ探ったが、
イエス・キリストには、どこにも不正やスキャンダラスなことが見つから
なかったので、「神を冒涜した。」という罪にもならない罪状でむりやり
裁判を起こしたのだ。何度もイエス・キリストを釈放しようとするローマの
総督ピラトも暴動寸前の騒ぎで脅して、十字架に付けさせたのだから。
当時のユダヤでは、元娼婦とつがうような人間には誰も見向きもしなく
なるので、十字架に付けて殺したいほど嫉妬する対象にもならなかった
だろう。
ユダヤでは、娼婦やローマの手下になった取税人は犬扱いで、誰も話し
かけもしない存在だった。イエス・キリストは、そんな社会の落ちこぼれや
のけ者になった人々に、罪を悔い改め、神さまの救いを信じるように、
勧められた。神さまのひとり子は、人類を罪の裁きから救うために
人類の罪を身代わりに背負って死ぬためにこの世界に来られたのだ。
救い主の福音は3年半の間、公にイエス・キリストによってユダヤ人たちに
伝えられたのだが、政治家や宗教家たちは、自分たちは「立派な人」だと
思っていたので、神さまに罪を許されなければならないなどとは、考える
ことができなかった。
罪びとと言えば娼婦か、ローマの犬である取税人のことだったからだ。
イエス・キリストは、罪びとを救うためにこられたのだと、気が付いた
娼婦たちは、罪を悔い改め、肉をひさぐ事を止めて教会に集うようになった。
取税人たちは、ローマに収める税金以外に、いくらでも税を徴収できる
権利をローマに与えられていたため、常に多めに人々から永金を
取りたてていたので、嫌われていたのだ。罪を悔い改めてからは、
所定の額のみを取り立て、不正を犯して税を取りすぎていた人には
7倍にして返すなど、過去の罪を償(つぐ)なった。正しく働く人に
変わったのだ。
イエス・キリストは、神さまの元から来られたので、それを証明するために
いろいろな奇跡を行い、常に人々の注目を浴びていたし、12人の弟子たち
と寝食を共にし、ユダヤ全土を旅して、神の国の福音を伝えていた。
そのあまりの人気ぶりに、ユダヤの政治家や宗教家は強烈にねたみを感じ、
神を冒涜する異端だとして、イエス・キリストにリンチを加えて十字架に
かけた殺したのだ。それが歴史の事実だ。
マグダラのマリヤと結婚してSEXしているヒマなどないし、四六時中
弟子たちが側にいるのに当時のユダヤでは、そんなふしだらなことを
自分達の師がしているのを見たら、「救い主であるわけがない!!」と感じて
12人の弟子たち全員が、離れていっただろう。
弟子たちはイエス・キリストと共に、ユダヤ全土を巡った3年半の間、
「イエス・キリストには、何の罪も間違いも見出せなかった。」と証言
している。
当時の結婚のシステムも、きちんと結婚式をあげてパーティーをし、
食事やワインを振舞うものなので、もしイエス・キリストが誰かと
結婚したとしたら、ユダヤ全国のニュースになる。それほど有名人で
あったからだ。こっそり結婚するなどありえない。こっそり結婚するなら
それは、正式の結婚ではない。結婚もしていないのに「性交」を行ったと
いう罪で、石打の刑で殺されることになっている。それがユダヤの掟だ。
24時間、側にいた弟子たちが、イエス・キリストが
神さまのひとり子として、完全な人であり、罪を犯すことは無かったという
証人となったのだ。
そんな弟子たちも、イエス・キリストが、未来のユダヤ独立国の王様に
なると思って付いていった人々であった。
だから、イエス・キリストが捕らえられて、ローマの総督ピラトの下に
ひかれていった時に、全員逃げたのだ。
イエス・キリストが、十字架の上で死んで葬られ、三日目によみがえった
のを見てから始めて、彼らはイエス・キリストは、罪からの救い主として
来られたのだと理解し、突然力強く福音を伝え出した。
神さまのひとり子が人として、この世に来られた目的は、元娼婦と
結婚してSEXをして子作りすることではない。
そんな罪びとを救うために、罪の身代わりに罰を受けて死ぬために
この世に来られたのだ。
人間の楽しみは、食う、寝る、遊ぶだろうが、神さまは、わざわざ繁殖の
ためにひとり子を遣わしたのではない。
完全で罪の無い神さまが、この世に人間となって入るのは、
人間が蛆虫(うじむし)の子供となって、田舎のトイレの糞の中に
入るほど、不潔で辛い出来事なのだと思う。
罪で呪われたこの世界に、罪で汚れた人間を救うために、
イエス・キリストは、人間の姿を取って来られた。
人間が地獄に入って受けるはずの裁きを受けて苦しまれ、死なれた。
それほど、神さまにとっては罪の問題は、許せないほどの問題であった
のだ。
神さまは罪のある人間が、救われる価値が無いのに、天国に行ける
方法を用意してくださったのだ。イエス・キリストを信じるだけで、
誰でも罪が赦され、天国にいけるように道を作られたのだ。
それは、罪の無い神さまのひとり子にしか、できないことだった。
いくら罪が無いと言っても天使は、人間の身代わりに死ねない。
神さまは、人間を愛しておられるので、ひとり子を遣わしてくださったのだ。
イエス・キリストは、肉の欲に振り回されるかたではない。肉体は地上に
あっても、同時に神さまのひとり子として存在できる神さまであった。
(ユビキタス=どこにでも同時に偏在することができる。)
だから、死人を生き返らせたり、海の上を歩いたり、病人を治療し、癒し、
目が見えない人の目を開けて、2匹の魚と5つのパンを男だけで5千人が
食べる量に増やせたのだ。
多くのユダヤ人が、イエス・キリストを信じて世界中に福音を伝えに
行ったことを見ると、
聖書が書かれた時期に、本当に「イエス・キリストは神さまから遣わされた
神さまの御子」だと、大勢の人が理解したというこだ。
だいたいイギリス人は、ハリー・ポッターなど、悪の霊の話が好きだし、
魔女の話も好きだし、「キリストを超えた。」などと言うバンドも出るし、
悪乗りしやすい人々なのだと思う。それを文化と呼ぶのなら、イギリスは
すごく文化的な国なのだろう。
イスラムのム
モハメッドをいじって似たような本を書いて見て欲しい。
きっと、イスラムのトップに死刑を宣告されるだろう。クリスチャンは、人の
命は神さまのものなので、神さまにお任せして殺したりしない。
それでも、ひどい事をする人には抗議する。抗議する自由も人間には
与えられている。言論の自由も表現の自由もあるのと同じことだ。
世界の終末の時代が始まる前に、イエス・キリストが空中まで
迎えに来られ、ムリスチャン全員がその場で永遠に生きる体に変って、
天に引き上げられる時も、多分、「宇宙人にさらわれた!」などと
言うのだろう。
そうではなくて「空中再臨があった!」と、言って欲しい。
いや、言って欲しいではなくて、それまでに神さまを信じていて欲しい。
ダ・ビンチ・コードはイエス・キリストを侮辱する酷い内容の本らしいが、
推理小説として面白いから映画になったのだろう。
神さまのひとり子を侮辱するというスリルが快感だと感じたのだろう。
「タイでは、キリスト教団体が、特にキリストを冒涜しているとされる、