地球の未来
聖書には終末の地球はどうなっているか、政治はどうなっているか
神さまはどう、この世界の終わりを締めくくる予定なのか、きちんと
書かれている。聖書の預言は旧約聖書と新約聖書が対になっている。
旧約の預言と新約の預言はお互いにクロスするのだ。聖書の預言は
何のために書かれているのか。それは、聖書がこの世界の創造主で
ある神さまから人類へのメッセージだと、人間が信じやすいように
書かれている。
神さまは人間が聖書を信じやすいように預言者いに預言を書かせている。
神さまはイスラエル人を選んで、創造主である神さまを人類に伝えると
いう大切な仕事をさせた。
アブラハムという神さまを信じる者が選ばれ、アブラハムの子孫を空の
星のように増やすと約束された。
アブラハムの子孫とは、神さまを信じる彼の信仰にならう人々のことだ。
神さまはたびたび預言者に、何年か先の預言を語らせた。それは、
必ず何年か先に実現した。それで、人々はその預言者が神さまの
仕事を任せられた人だと認識した。そして、その預言者の書いた書物は
神さまの言葉としてイスラエル人に認められ「聖書」として蓄積された。
しかし、その何年か先の預言は、実は終末の預言と重なっている。
神さまの目的は、預言者に世界の終わりの預言も何年か先の預言と
だぶらせて記録に残させることだった。
旧約聖書の預言は、イエス・キリストが救い主として地上に来られると
いう約束だ。
新約聖書は、イエス・キリストを側で見ていた弟子たちや、弟子を迫害
していたユダヤ教からクリスチャンになった者が書いた手紙だ。
初期のキリスト教会は、弟子たちの手紙を神さまからの重要な
メッセージとして、全てのクリスチャンたちが陶器の破片や羊皮紙に
書き写してきたもので、それらは自然に聖書としてまとめられた。
新約聖書が書かれたのは、イエス・キリストを実際に見た人々が
まだ生きている時に書かれた。イエス・キリストが死んで、よみがえり
40日後に天に帰られてから40年以内に、すべての手紙(新約聖書)が
書かれている。イエス・キリストの弟子たちが、自分たちが見て、聞いて
触った、神さまのひとり子の姿を、一人一人が記録に残しているのだ。
人間の記憶は完璧ではないし、ある者は思い出すまま。ある者は
イエス・キリストの家系から、ある者は重要な事件のみ、あるものは
時間の経過に従って、それぞれにイエス・キリストを手紙に書き、
彼の生涯と行動と言葉を初代教会におしえたのだった。
マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという四人の弟子が書くイエス・キリストの
記録は、一部は同じであるが、違う部分もある。同じ事をかいても、弟子に
よって違う表現をしたり、順番が違う時もある。それは弟子の手紙の
スタイルであり、微妙に食い違う記述は、彼らが一箇所に集まって
示し合わせて書いた手紙では無いという証拠でもある。
ある弟子には印象に残った事件も、ある弟子には残らなかったようで
カットされている。それが人間というものなのだ。少しぐらいの差は
別に矛盾でもない。きっちり合わせて同じ事を書く方が、
ヤラセっぽいのではないか。(聖書に書かれた歴史の記述や科学の
記述にもなんの誤りも含まれてはいない。)
神さまは、イエス・キリストの記録を、人間にお任せになったのだ。
霊感を与えて、思い出すままのイエス・キリスト像を、諸教会への手紙として
残すように導かれたのだと思う。
そんな四人の弟子たちが全員、記録に残した事件がある。
男だけで5千人の群集に、たった2匹の魚と5つのパンをちぎって、増やし、
それを配らせて、人々に食べさせ、残ったパンが12のかごにいっぱいに
なった奇跡のことだ。手品などでは話が合わない。パンや魚をちぎった
瞬間に同じものが現れるという奇跡だ。
しかもそれは、人が食べることができ、残ったものを集めることができた。
普通の人間ではできないことが行われると「奇跡が起こった。」という。
イエス・キリストの行われた奇跡は、全知全能の神しかできないことだ。
イエス・キリストの死と復活を見て、多くの者がクリスチャンになった。
十字架の上で死んだのは金曜日で復活したのは、日曜日の朝だ。
だから、クリスチャンは記念のために日曜日に集まって礼拝をする。
ペテロは「あなたは生きている神の子、キリスト(救い主)です。」と、
イエス・キリストに語ったが、この言葉が教会が今まで世界に伝えて
きたことなのだ。イエス・キリストは、この世界に介入する神のひとり子
なのだ。神さまは人類を希望の無いままに、ほおってはおかれない。
新約聖書の預言は、イエス・キリストを自分の救い主だと信じる者は救われ
死後に神さまの国である天国に行けるという約束だ。
そして、旧約に書かれている終末にいたるまでの世界に関する預言が
もっと具体的に書かれた未来へのナビなのだ。
旧約聖書に書かれた未来の世界の預言は、新約聖書にも現されており、
イエス・キリストがどのようにこの世界にかかわってこられるのかを
具体的に表す黙示の記録なのである。
地球の未来は聖書にこう記されている。地震や自然災害が多くなり、
東の島々が沈む。あらゆるぜいたく品と人の命が売り買いされる美しい
町が、一瞬のうちに燃えて煙があがる。地上の全ての者がそれを同時に
見て嘆き悲しむそうである。
地上の大きな川が「苦よもぎ」と名就けられた星が落ちて汚染され、
飲めない水となり、海の半分が血のように赤くなり、地上の3分の1の
動物や海の巨獣が死に絶え、小麦1リットルが人の1か月分の給料に
変るという悲惨な未来だ。太陽が人を焦がし、人の肌には腫瘍ができる。
隕石が落ちて地球に穴が開き、全地が暗くなる。そこからバッタに似た
怪しい虫が出てきて
人を噛んで悩ませるが、死には至らない。人々は神さまをのろい、
ますます神さまに向かって不謹慎なことを言う。
地上に災害が起こる前には、一瞬の平和が訪れる。
大きな淫婦が、獣に乗って登場する。世界の宗教をまとめて
カトリックが力を現してくる。獣の姿は、ヨーロッパをまとめる10の連合の
トップのひとりで、ローマ帝国の末裔である。(イタリア)
人々は平和だ平和だと言い、聖書の預言はウソだと言って笑うそうだ。
この時には、獣は全世界が見ている前でケガをして死にかけるが、
三日目に元気に出てくる。全世界の人々は同時にそれを見るそうだ。
(テレビの衛星中継のことだろう。)ニセのキリストやニセ救世主が多く
現れるので、この獣も、大きなケガをしたのに、よみがえったように
見えるため、メシアだと勘違いされる。たいした人気者になるそうだ。
獣は大淫婦(カトリック)がジャマになり、食い殺そうとするが、淫婦は
鷲の翼にのって砂漠に逃げる。(鷲と言えばアメリカの象徴。)
獣は独裁者となって、世界中の全ての人民を、ひたいの666という共通の
数字で管理する。6桁×3の数字がひたいに書かれる。
これは、ITチップのことだろう。
人々は獣の像と直接話ができる。獣の像は各地に設置され、しゃべるのだ。
これはパソコンのことだろう。
人々は獣に忠誠を誓うだけではなく、獣を神として拝まねばならない。
それを拒んだものは、町に入ることも、食料を買うこともできない。
獣は、世界の支配者であり、獣に従わない者は抹殺される。
この独裁者は、イスラエルを滅ぼすために世界中の軍をゴラン高原に
集結させる。
イスラエルが、イスラム寺院を壊して、そこにイスラエルの神殿を建てた
からである。なぜならイスラエル人にとっては、そこは昔、ソロモン王が
神殿を建てた聖なる場所だからだ。イスラエル人にとっては当然のこと
なのだ。
独裁者の声に従って、北からゴグとマゴグがやってくる。ゴグ(ロシア)は船を
引きつれて、(潜水艦や戦艦)マゴグ(中国)は2億の騎馬隊(バイク軍団?)
を引き連れてやってくる。
アフリカでは、シバが(エジプト・スーダン・エチオピアあたり)
ヨーロッパは、10カ国連合の、粘土と石の集まりのような集団だが、
集結してイスラエルを包囲する。獣はイスラエルの神殿で豚の血で、
神殿を汚すのだそうだ。豚といえば、イスラエル人が嫌う動物だが、
激しく侮辱を加えるということだろう。
イスラエルの半分は死んでしまうが、残りの者は城壁の中で、
神さまに祈りはじめる。今こそ聖書の預言のメシヤ(救い主)が、
来てくれないと、イスラエルは絶対絶命なのではないかと、誰もが
古い聖書の預言を思い出すのだ。
イスラエルの人々は、神さまを思い出し祈りだす。その時オリーブ山が
割れて、イスラエルの城壁まで一本の道ができる。
メシアがオリーブ山に降りられたのだ。イスラエル人は、その道を通って
メシアに会いに行く。その時、イスラエル人はメシアの両手と両足とわき腹に
傷があるのを見て、泣くのだそうだ。昔、ゴルゴダの丘で彼らが十字架に
つけたイエス・キリストは神のひとり子であり、メシアだったと、彼らは
やっとその時に気が付くのだ。
ゴラン高原に集結した世界中の軍隊は、立ったまま目や内臓が溶けて
一瞬の内に消えてしまう。原子爆弾級の力が働くようだ。
イエス・キリストは、その日から千年間、イスラエル人に聖書に約束された
とおりに世界を治められる。千年後に悪魔とその仲間が、地下の鎖を
解かれて地上に出てくる。そして、世界中の神さまの支配を憎む人間は
悪魔の軍団に従って、イエス・キリストに戦いをいどむ。
これは、強制的に神さまがイスラエル人と共に世界を支配するので、
反逆したくてもできなかった者たちが、神さまを信じる者とはっきり
区別されるための戦いである。その後、神さまは新しい天国と新しい地球を
用意され、悪魔に従った人間は、悪魔と共に永遠の消えない火の燃え盛る
地獄に投げ込まれる。彼らはそこで永遠に苦しみを受ける。
そして、神さまを個人的に信じる者は、新しい天と地で、神さまを信じた
すべての聖徒たちと共に、時間に制限をうけない神さまの都に移る。
これが、神さまの世界の未来のシナリオだ。これらのことが起こる前に
クリスチャンたちは、生きているまま一瞬のうちに死なない体に
変えられて、空中まで迎えに来られたイエス・キリストに出会う。
世界中からクリスチャンが天に生きたまま引き上げられたら、
いよいよイスラエル人のための第2幕が始まるのだ。クリスチャンたちは、
最初の事件を「空中再臨( くうちゅうさいりん ) 」と、呼び、二回目の
オリーブ山にイエス・キリストが降りられる時を「再臨(さいりん)」と、
呼んで区別している。ある日、クリスチャンが全員消えたら空中再臨が
起こったのだ。残された自称クリスチャンや政治組織的カトリックなどは、
クリスチャンではなかったということだ。
クリスチャンは聖書の預言を信じている。1700年間、国が無かった
イスラエルが、国連で国をもらった時に、クリスチャンは「聖書の預言
どおりになったなあ。」と、思ったそうだ。
まず、イスラエルが国を持たないことには、聖書の預言は成就するはず
がないのである。
ヨーロッパが統合されたときも、「預言どおりになったなあ。」と、思った
そうである。わたしも、「なったなあ。」と思った。まだ10カ国では
なかったが。ダニエルという預言者は、神さまに世界の流れはどうなるか
夢によって教えられている。イタリアを中心とする独裁者が出る
ヨーロッパの帝国の出現は、彼が見た夢の像の一番最後の
足の先端の10本の指である。それは粘土と石の集合体で、
天から降ってきた大きな人によって切り出されたのではない岩に
よって砕かれる。像全体が粉々になるのである。
それは、神さまの新しい時代が来るということ。地上の人間の王様が
試行錯誤してきた時代は終わり、神さまの国が実現される時が来る。
この預言は、イスラエルのための預言であり、異邦人である日本人は
その頃は、地球温暖化で海の水が上がってきて海に沈んでいるか、
地震で沈んでいるか、健在であるかは分からない。
日本人は、いったい何がしたいのか?
今でも良く分からないのだ。その時も、きっと何がしたい民族なのか
良く分からない状態なのだと思う。
わたしがお勧めしたいのは、ヨーロッパのローマあたりの出身の
独裁者が出て来る頃には、クリスチャンはもう地上からイエス・キリストに
引き上げられていていないので、それまでに神さまを信じておけという
ことだ。独裁者の下では、神さまを信じることは許されない。
食べ物を売ってもらえず、死んでしまうことになっている。
それと、イスラエルの様子をよく見ておけということを言いたい。
いちじくの葉が出てくるのを見ると、実りの時期が近いと知らねば
ならないのだと、聖書に書いてあるが、イスラエルの象徴はいちじくである。
イスラエルの建国と発展が、終わりの時が近いという目印だ。
神さまを信じることを禁止される時が来る前に、神さまに自分の罪を、
許してもらっておくこと。
つまり、イエス・キリストに心の中で「わたしの罪を赦してくださるために
十字架にかかって、わたしの身代わりに罰を受けてくれたことを信じます。」と、
告白しておけと言いたい。クリスチャンになっておけと言っているのだ。
いつ死んでも、天国に行ける用意をしておくべきなのだ。
いきなり死んだら、もう神さまを信じるチャンスは無い。独裁者に管理される
社会でも、チャンスは無い。仮に信じても即、苦しみを受けて殺されるらしい。
今は、救いの時。恵みの時。信仰の自由も言論の自由もある。結構いい時代
なのだよ!ゴーマニズムで有名な神道を信じるあるマンガ家は、
「クリスチャンは変なことを信じている。」と、マンガに描いていたが、聖書を
そのまま信じると、地球の未来もこうなると知るということである。
恐れるのではなく、備えをするのだ。神さまを信じておくことが備えである。
そして、自由が許されている平和で安全なこの時代が長く続き、世界が
腐っていかないように、クリスチャンたちは、地上の塩の役目をするように
神さまに命令されている。世の中にある一番よいものは、愛と恵み。
神さまがくださるものは、恵みによる罪の赦しであり、人間に必要な
ものは、罪と罪の裁きからの救いなのだ。地球の未来の黙示の記録も、
あなたが聖書は神さまの言葉だと分かって、聖書を信じるようになり、
罪の裁きから救われて、天国にいける身分になるためなのだ。
ぜひ、生きている間にあなたにも神さまを信じて欲しいと思います。
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恐がらせるために書いたのでは無いですよ。
ここにある預言は聖書の黙示録に書かれていることです。
順番が一部間違っているかもしれませんが、大体こんな感じです。
by 日本のお姉さん