昨日の杉村太蔵君のブログはちょっといいと思った。
昨日の杉村太蔵君のブログは、独身最後の感想をつづったもので、
素直に親に感謝していたので、ちょっといいなと思った。
男でも結婚前はしんみりとして過去を振り返るんだね。
「お父さん。○子は明日お嫁さんになります。今まで育ててくださって
どうもありがとうございました。」って、女なら結婚前日に親にお辞儀を
しながら言うのかな。
それとも、結婚式場で、式場のお決まりの儀式に従って、新郎新婦が
親に宛てた作文を読むから、前日は親に会ってわざわざお礼を
言わないのかな?結婚式の親に宛てた手紙を読む時間って、必ず
親は泣いてしまうよね。そんな時でもないと、親に面と向かって
感謝の言葉なんか言えないだろうから、式場のお決まりの儀式でも
いいかな。杉村太蔵君は、ブログに親への感謝を書いたので、素直で
いいなと思った。彼の親は、この日のブログを読んで嬉しかったはず。
(杉村太蔵君のブログから、一部抜粋)
「青春は得てして暇なものであります。
暇だから余計なことを考え、余計なことで頭を抱え、常識や過ぎ去った
大人たちには到底理解できない行動をとる。まさに僕の青春時代は
父と母の理解を越えるものでした。本当にご心配をおかけしました。」
ヒマだから、青春の真ん中にいる若者は余計なことを考えると書いている。
でも、青春の魂がまだピュアな時代に、人生について深く考えるのは
良いことなのではないか。
死について、永遠について、神さまについて、生きる意味について、
真面目に考えて真実を探そうとしてみる時代があってもいいのでは
ないか。
若者は、気に入った恋人を捕まえるのに忙しいし、パートナーができたら
幸せすぎて忙しいし、結婚して子供ができたら子育てするのに忙しい。
遊びや勉強や仕事や家事など、いろいろ忙しく過ごしているうちに、青年は
年を取って老年になるのだ。
若い時に「何のために生きるのか。」などと、いろいろ考えないで
過ごした人が、子育ても終わってひと段落着いたときや、会社をクビに
なったり、定年になってヒマになった時に、
急に自分が何のために生きているのか分からないってことに気が付いて、
不安になるのだと思う。自分が何のために生きるのかは、日々自問自答
していなければならない基本なんだと思う。
それを真面目に考える青春は、あってもいいと思う。
ただ、答えが見つからないからと言って、じゃあ死のうかとなるのも、
若者の弱さだ。もっと、探してみるべきなのだ。一生かかってもいいから。
杉村太蔵君は、弱さのゆえに自殺も未遂に終わったが、実行力が無いと
いうのも、自殺に関しては良いことなのだ。
人間は何のために生きるのか、それは人間が神さま無しに進化して
できた物質に過ぎないと信じるのか、それとも神さまによって目的を
持って創られた霊的な存在であると信じるかによって異なってくる。
人間が弱肉強食の進化論の原理で偶然に世の中に現れたものなら、
強くて賢くて、弱いものを蹴散らして食うような人間が一番偉いのだし、
生き残る価値があるというものだ。
弱者救済は種の保存のためにバラエティー豊かな社会をキープし、
強いものに奉仕するために弱者も必要であるが、食料が足りなくなった
場合などは切り捨ててもかまわないということだ。それが進化論だ。
この世界が、霊的な存在であるただひとりの神さまに創られたものなら、
人間の命も神さまの創造物だ。
全ての人間には神さまのタレント(タラント=賜物)が与えられ神さまの
目的を遂行するために生きているということになる。
この世にある悪の霊の存在のみを認めて、悪の霊に従って生きる者も
いる。神さまに創られた人間は、神さまと親しくなって生きるのが本来の
姿であり、石や木で作った偶像を拝むことは、神さま以外の悪の霊を
拝むことだ。生きている間に神さまの敵である悪魔と交流している者は、
死後に悪魔が行く場所に行って永遠の火の池で裁かれる。
生きている間に、人間の創造者である神さまと親しくなる者は、
死後に神さまの国に行くことになる。人間は何のために生きるのか。
聖書によると、人間は神さまの栄光を表すために生きるのだとある。
神さまに祈り、助けを受けた人間が何かを成し遂げた時、神さまの
すばらしさが、その人を通して表される。神さまの愛や恵みや
正しさや力が他人に見える形になって、実現されるのだ。
神さまを信じる者は、まず、神さまが自分に何をさせようとしておら
れるのかを考えて、自分のライフワークとするのだ。
神さまを信じていない人だって、自分の才能を最大限に生かして、
やりたいと思ったことや、やらねばならないと思ったことを、生きがいに
しているはず。それを、悪い目的に使えば、犯罪者になるし、良いことに
使えば、人類に貢献する人々の記憶に残る人物となる。
自分の側の妻や子を愛し、隣の人を愛し、自分の住んでいる地域や、
自分の国である日本を愛して、最善を行うことは良いことだ。
その延長で、アジアを愛し、肌の色が違う人々も愛し、地球を愛して
最善を行うのは良いことで、他国の領土や資源まで奪って自国の
利益だけ求めて、終いにはお互いに殺しあうようになるのは悪いことだ。
政治家とは、国を愛して国民を幸せに導くという責任を背負う仕事を
する人だということだ。杉村太蔵君。政治家になるように選ばれたから
には、頑張ってください。日本のため。アジアのため。地球のため。
~~~~~~~~~~~~余談だが、実は本題。
神さまを信じる人が、みんなと違うのは、
生きる目的のトップに「神さまのため。」という目的があること。
地球を愛して最善を尽くすことよりも、神さまを愛して最善を
尽くしたいと願う気持があることだ。もちろん行いたいことは
善であって、他人の命を奪うような犯罪ではない。
神さまからみ返りとして、何かをもらいたいからではなく、
神さまがひとり子を救世主としてこの世に送られたからだ。
人間となった神さまのひとり子が、
人間の罪の身代わりに十字架にかかり、神さまに裁かれて
死んでくださった。
そのことを、神さまに感謝しているから、神さまの喜ぶ善を
行いたいと思うところがみんなと違う。
神さまのひとり子は十字架の上で人類の罪の罰を身代わりに受け、
死んで墓の中に葬られ、三日目に聖書の預言どおりよみがえられた。
このことを「信じる者は救われます。」というのが、神さまの約束だ。
生きている間に、自分の創造者である神さまに出会うこと、
神さまが聖書を通して約束されたことは真実だと信じて、
死後に神さまの国に行くことが人間のするべきことなのだ。
何のために生きるか、何で食べていくかは、信じた後で神さまに
尋ねれば、答えも助けも付いてくる。
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ここまで読んでくださってありがとうございました。by日本のお姉さん
昨日の杉村太蔵君のブログ。↓
http://sugimurataizo.net/2006/05/post_239.html