中国で小泉首相の靖国神社参拝をどう思うかと聞かれたら。
先日中国を訪問し各地で学生に向けて話す機会を与えられました。
ごく一般的に、日本はどんな国だとか、日本語を学ぶにはどうすれば
よいかとか、何が流行っているかなどを話し穏当に終了したものの
その内の一箇所で、「小泉首相の靖国問題についてどう思うか」という質問を
受けました。
私は「国際関係の基本原則は内政不干渉である」ということを骨格に
中国に対する日本の貢献を話しましたが、問題発言だということになり
その後の活動に支障を来たしました。
終ってから、果たしてどのように話すべきだったのか再考し、ひとつの
考えを得ました。
私はそのことを試す機会を得ていませんが、このような話し方が中国の人々には
納得しやすいのではないかと思いメールいたします。
中国では個人的なレベルはともかく、公の場に置いて政府批判は大きな問題
となります。このことは全中国人が骨身にしみて理解していることです。
で、あるならば、ばか正直に自分の意見を言う必要はありません。
一方で、中国に迎合して発言するのは何の解決にもなりません。
そこで「中国の指導者は、靖国参拝は問題と言っている。
みなさんはそのことに賛同されていると思う。
私は日本人として、日本の指導者が靖国に参拝すべきだといっている以上、
賛同せざるをえない」というべきではないのか。
もし「あなたの立場はわかった。ではあなた個人はどう思っているのか」と
問われたら「それでは聞きたいが、みなさんの中で胡錦濤主席の考えに
反対の方、手を上げていただきたい。
もし、内心反対だとしても上げられないのではないでしょうか。
私も同様に、小泉総理に反対することはできない」と答え、それでも
食い下がられたら「日本には言論の自由はあるが、中国にはない。
わたしの考えは日本へ来てくれたら話す。
私は、世界平和が大切だと思っている」と答えればよいのではないかと。
我々は、つい「言論の自由」を前提に、自分の意見を言わなければと
思ってしまう。
しかし全体主義の社会では「全体主義の納得の論理=指導者の言葉が絶対」
の上に議論を構築すればよいのではないかと思った次第です。
(HO生)
(宮崎正弘のコメント)それが正しい考えと思います。
実は小生も過去五年間、各地で「小泉首相をどう思うか?」と度々
質問を受けました。「リーベンシャウチュエン、ザンマヤン?」。
小生は「小泉首相が信念をもって靖国参拝を繰り返すことは
個人の心の問題だと多くの日本人は考えており、それは表現の自由、
宗教の自由、結社の自由が保障されている自由主義社会では、
非難すべきことでも何でもない」と答えています。
だいたい会話はそこで終わり、靖国に関して言えば、それ以上の
追加質問をされたことはありませんね。
◎宮崎正弘のホームページ
http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
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