謙虚(けんきょ)であることのすばらしさ。 | 日本のお姉さん

謙虚(けんきょ)であることのすばらしさ。

謙虚(けんきょ)であることとは、自分にはまだまだ


知らないことや、出来ないことがたくさんあると


知ることである。つまり、他人にも、そして自分にも、


いろんな可能性があり、人にも学ぶべきところがあり、


自分にも人に教えるべき良き部分があると、素直に認める


ことである。謙虚であるということは自分が知らない事や、


自分が出来ない事を学ぼうとする態度を持ち続ける


ことである。また、他人と自分を、発展途上の存在として


いつくしみ、弱さや足りなさを許すことでもある。


また、謙虚であるということは、


人間の能力を越え、人間の知恵では理解しつくすことができない


神さまという存在を認め、神さまの創造物である自然や生き物、


とくに人類を大切にしようとする願いを起こさせる。


謙虚であるということは、他人の意見や願いに耳を傾ける


心の優しさを引き起こす。自分を神さまの位置に置かず、


神さまの前に、人間は平等であり、神さまに等しく愛される立場で


あるから、他人の自由や命を自分の命や自由と同じほど


大切だと考えることである。


何か問題が起きても、お互いの利益をはかり、妥協点を求めて、


共存できるように努力することができる。


特に、国を治める人間は、神さまに責任を持たされている者で


あるので、責任重大である。


自分の国の国民を収め、悪人や領土を奪おうとたくらむ他国の


横暴から、自国民を守る責任がある。


正しく外国と交渉し、戦争を回避し、両方の国の利益を求め、


妥協点を求めていく賢さが必要である。


家庭を治める人間も、家族全員が幸せに過ごせるように、


責任を持ち、家族の幸せのために自分を盾にし危険から守り、


自分の欲を自制し、奉仕し、子供がやがて、大人として巣立つように


愛を持って厳しく躾け、正しい道に進むよう指導することが必要である。


家族にとって独裁的な恐怖の対象とならないために、責任を持つ


立場であっても優しさを持って、子供を導くことが親には要求される。


謙虚であることは、自分に誤りがあった場合も、素直に認めて


修正することができる柔軟性を心に持つことである。


弱さや足りなさがあるときも、神さまに素直にそれを認めて、


必要な物や知恵や力などを求めることができ、結果的に、


祈りに答えることができる神さまの力を実際に感じることができるため、


弱いときにこそ強くなれる。つまり謙虚さを持つ人間は強いのである。