人形遊びにハマッた話。 | 日本のお姉さん

人形遊びにハマッた話。

子供の頃は、ジェニーちゃん人形も、リカちゃん人形も


持っていなかった。あまり興味もなかった。


父親の友人のアメリカ人からすごくリアルな女の子の人形を


もらったことはある。上等なドレスや下着を着ていて、近所の


女の子にうらやましがられたので、あげてしまった。


ところが、中学生になってから急に人形に興味が出てきた。


誰かからもらったリカちゃん人形に自分でジーンズを手縫いしたり、


押入れの中を改造して、リカちゃんの部屋を作ったりして


遊んでいた。押し入れの下の段を空けて、カーペットを敷き、


小学生の頃に誰かにいただいた木でできたクローゼットを置き、


その中に手作りの人形の服を吊した。


木で窓枠を作り、中に山の写真のポストカードを入れ、


カーテンも布で作った。ベットもふとんも作った。


本当は、スイッチを押せば電気が付くようにしたかったのだが


そこまでは出来なかったので、普通のスタンドを押し入れに入れて


明かりにした。机とイスも作って入れた。机の上には、お菓子の


おまけに付いていた小さな雑誌やノートを並べた。


そこまですると、かなり本物の部屋に近くなった。


本物そっくりのミニチュアの家に興味があって、大人になって


スペインで、ドールハウスの店を見つけたときは感激して、本当に


ドールハウスを一軒買おうとしたぐらいだ。


相当大きいものだったので、日本に持って帰るのは難しいと思って諦めた。


高校生になっても、押し入れはそのままだった。ある日、学校に行くのが


嫌で、家を出るフリをして、「いってきま~す。」と、言いながら自転車に


乗って、そのまま家の裏にまわり、裏山に出かけて池の横で、


時間を潰していた。


おしどりが二羽、池に浮かんでいた。温かい日差しが池に降り注ぎ、


池の水面はキラキラ輝いているし、池の周りの木立は新緑の葉に


4月の風を受けて揺れている。池の周りは、斜めになっていて、


柔らかくて背丈の短い雑草が生えていた。


そこでしばらく寝ころんでいたら、ちょっと眠くなってきた。


ぼうっと、半分寝たような気分で、ふと横を見ると、目の前30センチ


ぐらいのところに胴が長くてほっそりした、茶色い生き物がいた。


顔は小さくて目は小さめ。いたちだった。いたちもあんまり近くに


人間がいたので、びっくりして動けなくなっていた。


わたしも驚いたので、いたちの顔をじっと見つめていた。


お互いにびっくりして、しばらくじっと見つめ合っていたのが、いたちは


くるりと向きを変えて退散していった。


学校を休むと、時間の進み方がゆっくりだ。池の側に座っているのも


飽きてきたので、家に帰ることにした。窓の鍵をかけずにいたので、


窓から家に入り、押し入れにもぐって、スタンドの電気を付けて人形の


部屋にもぐりこんで遊んでいたら、母親が部屋にやってきた。


押し入れから電気が漏れていたのだろう。母親はガラッと、押し入れの


戸を開けて、「あんた、何してんの~!」とだけ、言った。


怒られると思ったのに、そっとして置いてくれたので、押し入れから


出てきて、ちゃんとした昼ご飯を食べることができた。


その頃、学校に行きたくない事があったので、何となくその授業だけを


避けて学校を休んだり、さぼって早退したりしていたのだった。


ある授業の前の休み時間、友達がくれたガムを何気なくもらって


噛んでいたのだが、授業が始まったのにガムを口から出すのを忘れて、


そのまま無意識にモグモグ噛んでいたらしい。先生が目ざとく見つけ


て、「お前、何食べてんねん!」と言いざま、手にしていた出席票の黒い


ファイルでバア~ンと、頭を叩いた。そんなに痛くは無かったが大きな音が


したのと、人前で叩かれたのがショックで、そのクラスには二度と出る気が


しなくなった。実際に、本当に二度と出なくて、そのクラスがある日は


休んだり、午後にある場合は、早退したり、午前中にある場合は、午後から


学校に行ったりしたので、学校の担任が、家にやってきて親にいったい


どういうことかと聞きに来たぐらいだ。親はわたしが、学校にまじめに


行っていないとは知らなかったので、どうして朝、普通の時間に出ているのに


学校に行かないのかと、問いつめられた。


何となく、みんなの前で叩かれて恥ずかしかったからなどと言えず、


違う理由を言ってしまったが、それからはまじめに学校に行くようになった。


頭を叩かれた授業に二回目に出ると、先生もわたしが出てこない理由が


分かっていたらしく、優しい声で迎えてくれた。


それからは、ちゃんとその授業にも出るようになった。


15歳ぐらいの子供は、結構傷つきやすくもろいものなのだが、ちょっと


言葉をかけてやると、直ぐ機嫌良くなるものなのだ。


今から考えると、受け持ちの担任は、良くやった方だと思う。


家に訪問に来て、親に会って原因を探ろうとした。その気持ちが


15歳のわたしにも伝わったし、親も心配して軽く叱ってくれたので、


恐い先生の授業を頑張って受けてみようという気持ちになったからだ。


本当の理由は言わず、電車の中にチカンがいるからという理由を


言ったのだが、本当にチカンは、いつもいたが、それが原因で


学校に行かなかったのではない。ある授業だけを避けていたのだ。


友達は気が付いていて、「あの授業は絶対出ないのね。」と言っていた。


幸い、その授業に提出するべき課題は、その後全て提出できたので、


成績はそんなにひどくはなかった。先生も加減してくれたのだろう。


誰にも言っていない高校生の頃の出来事だ。