ワゴン車と天使たち | 日本のお姉さん

ワゴン車と天使たち

休みの日には、犬を連れた人が散歩にくるような広い河川敷がある


大きな川の土手の上に、車が通れるようにアスファルトを敷いた道がある。


ワゴン車に乗ったわたしは、ラジオから流れてくる舌足らずな歌い方を


する嫌いな声の女性歌手の卑猥な歌詩に腹を立てて、「うるさいっ!」と


思いながらもラジオを消さずにいた。


わたしは土手の上の道を抜けて、川にかかる大きな橋を渡るため、右折しようと


していた。橋が始まる場所には、横断歩道があった。


横断歩道の手前には、靴のかかとのような半円形の高さが、30cmぐらいで


半径1.5mぐらいのコンクリートの島があった。それは、横断歩道を守るように


道の真ん中にぽつんと置いてあった。


この島には、1mぐらいの黒いプラスチックの棒や、コーンが置いてあったり


したが、いつも倒されていたし、いつも車かバイクのランプの破片が飛び


散っていた。目立たないので、よくその島にひっかかる人がいたのだろう。


もう夕方で暗くなっていたので、その半円の島が見えなかった。


その道はいつも通る道だったのでいつものように、右折したつもりだった。


嫌な歌に腹を立てていたからか、ちょっと右折した時の角度がきつめ


だったのかもしれない。コツンという軽い衝撃を感じたかとおもうと、


空に舞い上がったような感覚の後で、目の前の景色がふわあっと揺れた。


「あ。テレビで見たことがある景色だ!」と、考えた。


「レースで転倒した人の景色だ!」


「わたしは転倒中だ!」と、頭は冷静に分析しているのだが、体は三半規管の


命令に従い、地面に垂直でいようとし、おもいきり右に体を起していた。


まるで、体を右に寄せれば、車が体重で右に戻ると、体が勝手に考えたか


のようだった。


当然、頭を右の窓ガラスに思い切りぶつけることになった。窓ガラスは


割れなかったが、ワゴン車は、横転していた。左の窓は、道路に押し付け


られていたが、ガラスは割れてはいなかった。からだはシートベルトでシートに


固定されていたので、自分で、窓ガラスに頭をぶつけた以外、どこも痛くは


なかった。ラジオの声がうるさくて、とにかく音を止めたかった。嫌いな歌手の


舌足らずな歌い方が腹だたしかった。「こいつのせいだ!」とフト思ったりした。


とにかくラジオを止めたかった。


ところが、気が動転しているので、ラジオのボタンの位置が分からない。


あせって、あちこちといろんなボタンを押していたら、ワイパーが動いたり、


洗浄液がでたり、ランプが消えたりした。


シートで固定されていたので、そのままの格好で、あちこち動かしたり


止めたり忙しくしていたら、近くに何台も車が止まり、バラバラと、


大学生ぐらいの男の子や女の子が6,7人出てきた。


彼らは車の正面の窓からのぞいてくれている。何人もの顔が並んだ。


「大丈夫ですか~!?」と、一人がたずねてくれた。


「まず、出ましょうね。」と、女の子が言ってくれた。そうだ。出ないといけない。


ラジオを消すなんて後でいいのだ。パニックになっているので、外に


出るという行為を忘れていたようだ。あわててシートベルトを外すと、いきなり


座ったままの格好で、ドタッと、そのまま下に落ちた。


足で、自分の体を支えてから、ベルトを外せばいいのに、シートにくくりつけ


られたまま、ベルトを外したので、引力の法則に従って、地面と接触している


助手席の窓に落ちたのだ。「しまった!体重で窓ガラスが割れたかも!」と、


そんなことを考えたが、窓ガラスは割れなかった。起きようとジタバタして


いたら、車の天井を踏んでいたらしく、跡で見たら変なところに自分の足跡


が付いていた。


運転席の窓から外に出たら、車が4台ぐらい止まっていて、


若い男の子や女の子が、たくさん外に出て来てくれていた。


新たにもう一台、車が止まって、20代後半ぐらいの男の人が出てきた。


その人が、「ガソリンがこぼれていなかったら、このまま帰れそうだけど、


途中で少しでも変だと思ったら、すぐに車を乗り捨ててレッカー車を頼んで


くださいね。」と、言ってくれた。男の子たちは、「さあ、起すぞ~!」と言い、


大勢で車に手をかけて、「せ~の!!」と言いながら、簡単に起してくれた。


わたしは、気が動転しているので、ひたすら何かしゃべっていたようだ。


「これからどうしたらいいのかな。」「警察に行かないとだめなのかな。」


男の子たちと、女の子は、みんなきれいな顔をしていて、


最後に止まってくれた20代後半の男の人も、男前だった。


ぼうっと立ってひたすらしゃべっているわたしをよそに、みんなきびきびと


動いてくれた。


ある者は、転がったタイヤホイールをひろってくれて、ある者は、


後ろから車が来ないように道路の真ん中に立って車を止めてくれていた。


たぶん、その間、そんなに時間はたっていない。


「車は見た感じなんともないので、今日はそのまま家に帰ってください。


明日ディーラーに見せて整備してもらえばいいです。」と、20代後半の


男の人に言われたので、


みんなに「ありがとうございました!」を連発しながら車に乗った。


わたしが出発すると、男の子や女の子たちも、次々と自分の車に乗り込み、


それぞれに出発しだした。


「横転したときに、後ろからトラックなどが来なかったのは、ラッキーでしたね。」


と,女の子が言っていた。


横転して、車の側面は傷が入ったが、自分の体はなんともなかったので、


神さまに感謝した。車もどこも調子が悪いところもなく、普通に運転できた。


ひどい目にあったのに、あんまりショックでもなかったのは、親切な男の子や


女の子が、直ぐに助けてくれたからだ。まるで、映画の中の主人公になった


ような気分だった。きれいな顔の若いみなさまに優しくしてもらえて、


なんだか幸せだった。横転したのは、横断歩道の手前の変な形の


コンクリートの島にタイヤをひっかけたからだが、なんだかいいことがあった


日のようにさわやかな気分で家に帰れた。横転した時に、直ぐに車を止めて


助けにきてくれて、ひっくりかえったわたしの車を起してくれたみんなは、


わたしのために神さまが遣わせてくれた天使たちなのだと思った。


ひっくりかえったのは自分の不注意で、自分が悪いのだけれど、神さまは


ちゃんと、後ろに親切な人々を用意しておいてくださったのだと思った。


「こんな優しい人々が、たくさんいる日本って、いい国だあ~。大好き。


みんな、大好きだ。わたしもきっと、困っている人を助けるよ。


神さま、ありがとう。親切な皆さんを用意してくださって!」心の中で


神さまとみんなに感謝した。


みんなきれいな顔で、素敵な人々だった。


次の日、ディーラーに、傷だらけの車を持っていくと、


「あそこは鬼門ですわ。」と言っていた。あそこで車がひっくり返っているのは


前にも見たことがあると言っていた。なんだ。


やっぱり、見通しの悪い場所なんだ。腹が立つので、その道はしばらく


使わないようにした。何ヵ月後に同じ場所を通ると、変なコンクリートの島は


削られて平らになっていた。鬼門というより、事故が起きやすい突起物だった


ということだ。車は保険できれいになった。次の年の保険代は少し上がった。


家の近所に同じ機種の同じ年代の車が置いてあったが、その車も横転した


らしく片面が傷だらけだったので、何だか嬉しかった。


ワゴン車にする前の車は、走り方が軽快で、大好きだったが、手入れが悪くて


道の真ん中でファンベルトが燃えて廃車になった。


ガソリンスタンドで、安い車検に出していたので、肝心な部分を点検してもらえて


いなかったのだ。その車は、天井のパネルの塗料が外れてダランと垂れ


下がってきていたが、近所に止めてあった同じ車種の車の天井のパネルも


ダランと外れていたので、その時もなんだか嬉しかった。


ワゴン車は、その後、改良されて違う形になっていた。保険は「この車種は


事故が多いので、保険があがります。」と、保険会社に何年かして言われて、


ちょっと高くなった。ちょっと横転しやすい形だったようだが、乗りやすくて、


荷物がたくさん運べて、わたしは好きなのだ。友達の犬を運ぶ時も


便利だった。友達の引越しにも使えたし、自転車もバイクも、冷蔵庫も


立てたまま運べた。木でできたラティスも運べた。


ワゴン車で、思い出もいっぱいできた。ぼちぼち廃車になる運命だが、一番の


思い出は、ひっくりかえった車を起してくれた、あの時の天使たちのことだ。


ワゴン車の天井の足跡は、記念のためにそのままにしている。