あなたも天使
わたしの母方のひいおじいさんは、クリスチャンで、
日本の田舎を回って、キリストの福音を伝えていた伝道者
だったそうだ。
ひいおじいさんのことは、戦争で写真が焼けたのでどんな人かは、
見たことは無いのだが、先祖は、前田蕃の指南役の一人だったそうで、
もしかしたらキリシタンだったのかもしれない。
ひいおじいさんがいつイエス・キリストを信じたのかは知らない。
余りにも忙しく宣教に飛び回っていたので、家庭を顧みる
ヒマが無く、子供達は全員クリスチャンでも無いようだ。
わたしのおじいさんも、若い頃は神さまの存在ぐらいは信じていたかも
しれないが、イエス・キリストが自分の救い主(だとは信じていな
かったようだ。戦後、引き揚げ者としてボロボロになって日本に
帰って苦労してから,クリスチャンになったようだ。
おじいさんは、若い頃から丁稚奉公(でっちぼうこう)に行かされて、
辛い時代を過ごしたようで、親を少なからずうらんでいたようだ。
丁稚奉公とは、どこかの商人の家に住み込みで働く小僧さん
のことで、ご飯は食べさせてもらえるが、給料は、ほとんど出ない。
その代わり仕事を教えて貰えるし、将来その家で使ってもらえたりする
という特権もあったようだ。親切な商人の家では、勉強も習わせて
くれて、就職の世話やお嫁さんの世話までしてくれる家もあったらしい。
丁稚奉公にやられた子供というのは、ほぼ口減らしのために商人の
家に預けられている。普通は商人の家でこき使われ、同年代の子供の
ようには遊べず、辛い思いをしていたらしい。
しかし、子供の頃から商人に必要な知識や、仕事のやり方などを教わり、
食べさせてもらえるのだから、結構すごいシステムだったのではない
だろうか。おじいさんは、昔の写真を見ると、背も高くてハンサムだったし、
上品で、美人なクリスチャンの奥さまと結婚もできたし、旧満州で、
商売を始めて成功し、日本が戦争に負けるまでは使用人を何人も
使って、結構きちんとした暮らしができていたので、良い家に
丁稚奉公に行けた方なのではないだろうか。
おじいさんには兄弟姉妹がたくさんいた。その内のひとりは牧師に
なったそうだ。わたしが子供の頃、親戚が集まった時に小耳に
はさんだ話しだが、その牧師になった兄弟がまだ小さかった時、
おじいさんのお姉さんが、弟二人を連れて、山に遊びに行ったの
だそうだ。車が通れる道を外れて、どんどん山の中に入ると、
明るく開けた場所があり、そこにすり鉢型の池があったのだそうだ。
池には底まで見えるきれいな水が溜まっていたのだそうだ。
その池に、小さい弟が身を乗り出した。そのまま足をすべらせて、
お姉さんの見ている前でトプンと池にはまった。
池にたくさんの波紋が出来て、小さい弟の姿がスローモーションの
ように、ゆっくりと、すり鉢型の底まで沈んでいったのが
見えたのだそうだ。
山の中には誰もいない。おじいさんのお姉さんは、必死で
「イエスさまあああ!!たすけてくださあああい!!」と、
あらん限りの声を出して、神さまに叫んだのだそうだ。
すると、山の中の何も無い場所なのに、帽子をかぶって背広を着た、
すらりとした立派な紳士が二人、どこからともなく現れて、一人が
服のまま池に飛び込み、弟を助け出してくれたのだそうだ。
おじいさんのお姉さんは、「あの時はわたしだって小さい子供だった
から、自分たちだけでは、弟を助けることなんか到底無理だったのよ。
小さい弟は、通りかかった紳士たちに助けてもらったおかげで、
命拾いしたのよ。でも、山の中の道も無いような場所だったのに、
彼らは突然現れたのよ。だから、わたしは、神さまが、わたしの
必死の叫びに答えて、天使を送ってくださったんじゃないかと
思っているの。
あと1分でも、助けが遅かったら、弟は死んでいたもの。
わたしたち、びっくりして3人で抱き合いながらしばらく大声で
泣いていたのよ。気が付けばふたりの紳士は影も形も無いのよ。
だから、いつも弟に、あなたの命は、神さまが助けてくださったの
だから、神さまに感謝しないといけないよって、本当はあの時、
死んでいたかもしれない命なのよって、言い聞かせていたのよ。
そしたら、あの子、兄弟でひとりだけ、牧師になったのよ。」
この話しは、2回ぐらい聞いたことがあるが、大好きな話しだ。
山道を通りかかった紳士は、天使ではなくたまたま通りかかった
普通の人々だったかもしれないけれど、神さまが小さな女の子の
祈りに答えて用意してくれた人々だったのだと思う。
だから、やはり、彼らは天の神さまが使った「天の使い」だったのだ。
神さまは、本当の天使を送ることもできるし、普通の人々を使って
神さまに祈る人を助けることも出来る。あなたも、わたしも知らない間に
誰かの天使になっているかもしれない。
おじいさんのお姉さんは、小さな弟が、滑るようにすり鉢型の池の底に
沈んでいく姿を、大人になっても忘れることはできなかったそうだ。
ちょっぴり不思議ないい話だと、わたしも子供心に思った。
大人になったら、いつか誰かに話したいなと思った。
二人の帽子をかぶって背広を着た紳士達が、本当は誰だったのかは、
重要ではない。神さまが、小さい女の子の祈りに、
直ぐに答えられたことが、素敵なことだなと思ったのだった。