「論外の中国案、ガス田共同開発 」by櫻井よしこ | 日本のお姉さん

「論外の中国案、ガス田共同開発 」by櫻井よしこ

東シナ海の天然ガス田をめぐるせめぎ合いで、日中両国が展開する外交は、余りにも対照的だ。

たとえ相手を騙してでも目的達成を目指す勢力と、相手を信じたいと虚しく希望する勢力が相対すれば、敗れるのは後者だ。この場合、前者は中国政府、後者が日本政府であるのは言うまでもない。

3月7日に終了した第4回日中政府間協議での、中国側の提案は予想どおりだった。彼らの提案した共同開発は二か所。一か所は日中中間線から深く日本側に入った尖閣諸島北の海域だ。流石に尖閣諸島から12マイルの日本の領海には入り込んではいないが、それでも日本側排他的経済水域(EEZ)のまっただ中だ。

もう一か所は、現在中国が開発を進めている白樺(中国名春暁)、楠(断橋)、樫(天外天)など一群のガス田の北、日韓大陸棚にかかるこれまた中間線より日本側のEEZだ。

日本が前もって中国に要求していたのは、①白樺と楠など、明確に中間線を跨いでいるガス田の共同開発、②それ以外については中間線の各々の側で双方が独自に開発する、③共同開発についての合意が成立するまでは、中国は白樺、樫の各ガス田での作業を中止する、だった。

中国はこれら全てを拒否し、日本側海域のみでの共同開発を提案し、厚顔にも「東シナ海を平和の海にしたい」と言ってのけた。

時期を同じくして李肇星外相が内外の記者団に、感情も露わに首相の靖国参拝とヒトラー、ナチス崇拝を同列視して口汚く日本を罵った。

東シナ海を平和の海に、という言葉が虚しく響く。

にもかかわらず、取材を進めてみると、日本側に奇妙な空気が流れているのに気づく。驚くことに、今回の中国提案を評価する空気である。

評価の理由は、前述の日韓大陸棚にかかる“北の海域”での共同開発が、中間線を越えて中国側に張り出す可能性があるにもかかわらず、中国側が“敢えて”それを提案したからだ。

この提案を“中国の変化の兆し”と読み解こうとする空気が日本側にあるのだ。中国の一部の人々は変化を志向しているのだが、中国国内にはまだ頑迷な軍部や守旧派がいて、開明派が苦労しているという解釈だ。そこから生ずるのは、開明派を助けるために日本側も少しは譲ってやろうという配慮である。

中曽根康弘氏は首相在任時の85年、靖国神社公式参拝を中国に非難され、翌年から参拝を止めた。氏はその理由を、胡耀邦党総書記の失脚を避けるためと説明した。良好な日中関係を築こうとした胡総書記の足を引っ張るまいと、中曽根氏が決断したのが靖国神社参拝中止だった。

だが、政敵を葬り去る口実など、山程作り出せる。胡総書記は失脚、そして中国は今日に至るまで靖国カードを握るに至った。中曽根氏は明らかに判断を間違えたのだ。そして今もその間違いの延長線上に立ち、靖国に代わる施設を建立せよと説く。政治家が自国の国益を二の次にして他国の国内政治の片方の勢力に力を貸した結果がこれである。今回も日本政府は同じ轍を踏もうとするのか。


鉄面皮で押し通す中国

そもそも東シナ海について、中国の主張は支離滅裂だ。彼らは、自分たちは過去20年近く同海域を開発してきた、中間線は認めないが、日本に配慮して中間線を越えないようにしてきた、それを今更、共同開発と言われても出来ないというのだ。

中国の主張は前提から間違っている。日本が中間線を主張し、中国が受け容れていないということは、東シナ海全域が係争海域であることを意味する。国連海洋法は係争海域での開発を禁じている。つまり、中国は過去約20年も、国連海洋法に違反してきたと自ら告白しているのだ。

また、海面上で中間線を越えていなくても、ガス田は海底で日本側に大きく広がっていることがわが国の調査で確認された。真っ当な国なら一時、その時点で開発を中止し、日本側と協議するだろう。

中国はこれまでも、そしてこれからも決してそのようなことはしないだろう。なぜなら彼らは92年に領海法という法律を作り、東シナ海は沖縄直前の沖縄トラフまで全て中国領だと決めているからだ。中間線を越えなかったのは、日本への配慮というより、日本外交の甘さをよくよく読んでのことであろう。目に見える形で中間線を越えさえしなければ、日本は“一線は越えていない”として、東シナ海の現実と中国の脅威に目をつぶるに違いないと見通していたことだろう。日本が主権国家として正しく対処しようとすれば、当然中国との間に摩擦が生ずる。摩擦を最も怖れるのが日本外交である。ならば摩擦を起こさなくともよいように、日本が自己弁明出来るように、認めてもいない中間線から、申し訳程度に中国側に入ったところで井戸を掘ったのではないのか。


日本の主権を行使せよ

中国が70年代、80年代に南シナ海でやってきたことを、日本政府はなぜ、しっかり分析しないのか。中国は、ベトナムやフィリピンを相手に軍事力で西沙諸島と南沙諸島の実効支配を打ち立ててきた。その手法は、話し合いの一方で強引に実効支配を固めていくというものだ。

今回の中国の提案を地図上で確かめるとその意図が明らかになる。彼らは東シナ海の中間線の西側で独自の開発を進めてきた。今回の提案は、開発範囲を、中間線の東側、さらに日韓両国が争う日韓大陸棚、つまり東シナ海の北部まで広げることを意味する。中国は東シナ海全域に手をのばし、全て中国の海だと宣言しているのが今回の提案だ。これを中国の変化の兆しとするのは希望的観測にすぎない。少なくとも海洋権益に関する中国の過去の行動はそう告げている。

中国の意図を知る最も大事な手がかりは、中国が何を言ったかではなく、何を言わなかったかである。真に平和の海を望む国は、今回のような、隣国への挑戦状に等しい厚顔無恥の提案はしないものだ。中国は、それが可能なとき、南シナ海で西沙諸島と南沙諸島を奪ったように、東シナ海でも日本からこの海と資源と尖閣を力で奪うであろう。日本の為政者は、そのような状況を念頭において、対策を立てなければならない。

対策の第一は、中国同様、話し合いを続行させつつ日本の資源を開発することだ。試掘権を与えた帝国石油の作業の安全と効率を担保するために、外務省、防衛庁、経産省など関係省庁一体の支援体制を作りあげなければならない。尖閣諸島及び日本の海域に、自衛隊、海上保安庁が目配りする警備体制の確立も急がなければならない。日本の領土、領海、排他的経済水域で、日本の主権を行使するのは国家として当然の責務で、国際法上問題はない。主権国家としての振舞いなしには、どの国とも対等の外交はあり得ないのだ。

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/03/post_427.html