中国の小学生は怒っている。誰に?
「革命記念館の参観を終えたある小学生の日記」
と言われている文章をご紹介します。
ある中国メディア記者さんのメーリングリストから
送られてきたものを翻訳したものです。
果たして本当に小学生が書いた日記なのか。
真相は分かりませんが、こういう文章が出回っているんだなぁ、
程度の気持ちで読んでくだされば幸いです。
**********************************
☆ 革命記念館の参観を終えたある小学生の日記 ☆
**********************************
今日
先生が僕たちを烈士記念館へ
参観に連れて行ってくれました。
僕はとても感動しました。
あの革命烈士たちは
革命のために
拷問にかけられることを恐れず
雨あられの弾丸が降り注ぐことも恐れず
貧しい人々を解放するために
自らの尊い生命を捧げました。
僕は彼らを手本として
革命の後継者になり
大きくなったら
人民のために奉仕したいです。
僕は
貧しい人々のために政権を取り返した
あの烈士たちを熱愛し
あの資本家反動派たちを心から憎みます。
僕のおじいちゃんは
解放を迎えたばかりのころは
生活は毎日苦しかったけれど
あの頃の官僚は
どこもかしこも汚職犯がいる
今のような官僚ではなくて
「老百姓」
(一般庶民、大衆)
のためを一心に願っていたんだよ
と言っていました。
「大きくなったら
汚職官僚を捕まえる人になる。
彼らに唐辛子水を飲ませて
拷問にかけて
汚職したお金を出させて
貧しい人たちに分けるんだ」
僕はおじいちゃんに言いました。
僕の家も貧しい家庭です。
お父さんもお母さんも失業しています。
お父さんは毎日
三輪車
(人力車のようなもの)
をこいでいます。
街を管理する「城管」からは
いつも追い立てられて
三輪車を「城管」に没収されたときには
お父さんは一晩中泣いていました。
「僕が大きくなったら
クラスの友達を集めて
城管たちをやっつけてあげるよ。
木の上に吊るして殴って
ベルトでぶって
奴らがそれでも気勢をあげることができるのか
見てやるんだ」
僕はお父さんにこう言いました。
お母さんは
僕をとっても可愛がってくれます。
お母さんは体が悪いのに
お金がなくて治療を受けることができません。
それでもおいしくて
体によい食べ物を僕に残してくれます。
僕がお母さんに食べさせようとしても
いつもこう言います。
「お母さんはお腹がすいていないのよ」
小さいころは
おばあちゃんの家に遊びに行くのが大好きでした。
おばあちゃん家には
小さな中庭があって
古びてはいたけれど
近所の人たちの仲はすごくよくて
あそこに住んでいた
おじいさんやおばあさんたちはみんな
「お前はいたずらで聡明で
大きくなったら将軍さまになれるよ」と言って
僕の事を好いてくれました。
中庭には
一本のナツメの木があったので
毎年秋になると
そこでたくさんのナツメを食べました。
だけど
おととしにあそこは
立ち退きで取り壊されてしまい
部屋は全部倒されてしまいました。
僕のおじいさんとおばあさん
それから
ほかのおじいさんやおばあさんたちは
市内の大きな部屋を買うお金がなかったので
小さな部屋を借りて住むしかなくなりました。
跡地には
高層ビルが建てられ
にぎやかなショッピングセンターに変身して
たくさんのお金を稼いでいます。
おばあちゃんが小さな部屋に住むことになったのに
どうして
(取り壊しをした)
あの人たちは大金を稼いでいるのか
僕には分かりません。
僕はあんな高層ビルなんて少しも好きじゃありません。
「大きくなったら
ビン●ラディンを見習って
飛行機を操縦して
あのビルを倒して
おばあちゃんに新しい四合院を建ててあげるからね。
ナツメの木を植えて
ザクロの木を植えてあげるからね。」
心の中で
僕はおばあちゃんに言いました。
先生はいつも僕たちに
しっかり勉強をするようにと指導してくださいます。
先生の話をしっかりと聞いて
勉強に励み
僕は将来
発明家になりたいです。
僕は
いい人と悪い人が判別できて
発射した弾が悪人に命中するまでずっと追いかけて
お尻に穴をあけることができる
武器を発明したいです。
僕はピストルが好きです。
一番すきな銃はAK47です。
大きくなったらこの銃を使って敵を撃ちます。
かならずぼくは犠牲になることを恐れず
かならず勝利をおさめることができると思います。
あの烈士たちは僕のお手本です。
..................................
<編集後記>
最後まで読んでくださりありがとうございます。
どこの国にもこういう考え方をする方は
いらっしゃるのかも知れません。
それでも、「日本人の小学生が書いたもの」
という題名で同じ文章を送られてきたとしても、
きっと同じようにメルマガなどでご紹介していたと思います。
「木の上に吊るして殴って、ベルトでぶって、奴らが
それでも気勢をあげることができるのか見てやるんだ」
なんて日記を自分の子供が書いていたら何となく
怖いなぁと思います。
<発行人について>
まや
2004年9月より北京に滞在。
現在中国ジャーナリズム教育の最高峰、
中国人民大学ジャーナリズム学科修士課程に在籍中。
購読解除は以下のURLから。
http://www.mag2.com/m/0000175624.html
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/pinpin/
と言われている文章をご紹介します。
ある中国メディア記者さんのメーリングリストから
送られてきたものを翻訳したものです。
果たして本当に小学生が書いた日記なのか。
真相は分かりませんが、こういう文章が出回っているんだなぁ、
程度の気持ちで読んでくだされば幸いです。
**********************************
☆ 革命記念館の参観を終えたある小学生の日記 ☆
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今日
先生が僕たちを烈士記念館へ
参観に連れて行ってくれました。
僕はとても感動しました。
あの革命烈士たちは
革命のために
拷問にかけられることを恐れず
雨あられの弾丸が降り注ぐことも恐れず
貧しい人々を解放するために
自らの尊い生命を捧げました。
僕は彼らを手本として
革命の後継者になり
大きくなったら
人民のために奉仕したいです。
僕は
貧しい人々のために政権を取り返した
あの烈士たちを熱愛し
あの資本家反動派たちを心から憎みます。
僕のおじいちゃんは
解放を迎えたばかりのころは
生活は毎日苦しかったけれど
あの頃の官僚は
どこもかしこも汚職犯がいる
今のような官僚ではなくて
「老百姓」
(一般庶民、大衆)
のためを一心に願っていたんだよ
と言っていました。
「大きくなったら
汚職官僚を捕まえる人になる。
彼らに唐辛子水を飲ませて
拷問にかけて
汚職したお金を出させて
貧しい人たちに分けるんだ」
僕はおじいちゃんに言いました。
僕の家も貧しい家庭です。
お父さんもお母さんも失業しています。
お父さんは毎日
三輪車
(人力車のようなもの)
をこいでいます。
街を管理する「城管」からは
いつも追い立てられて
三輪車を「城管」に没収されたときには
お父さんは一晩中泣いていました。
「僕が大きくなったら
クラスの友達を集めて
城管たちをやっつけてあげるよ。
木の上に吊るして殴って
ベルトでぶって
奴らがそれでも気勢をあげることができるのか
見てやるんだ」
僕はお父さんにこう言いました。
お母さんは
僕をとっても可愛がってくれます。
お母さんは体が悪いのに
お金がなくて治療を受けることができません。
それでもおいしくて
体によい食べ物を僕に残してくれます。
僕がお母さんに食べさせようとしても
いつもこう言います。
「お母さんはお腹がすいていないのよ」
小さいころは
おばあちゃんの家に遊びに行くのが大好きでした。
おばあちゃん家には
小さな中庭があって
古びてはいたけれど
近所の人たちの仲はすごくよくて
あそこに住んでいた
おじいさんやおばあさんたちはみんな
「お前はいたずらで聡明で
大きくなったら将軍さまになれるよ」と言って
僕の事を好いてくれました。
中庭には
一本のナツメの木があったので
毎年秋になると
そこでたくさんのナツメを食べました。
だけど
おととしにあそこは
立ち退きで取り壊されてしまい
部屋は全部倒されてしまいました。
僕のおじいさんとおばあさん
それから
ほかのおじいさんやおばあさんたちは
市内の大きな部屋を買うお金がなかったので
小さな部屋を借りて住むしかなくなりました。
跡地には
高層ビルが建てられ
にぎやかなショッピングセンターに変身して
たくさんのお金を稼いでいます。
おばあちゃんが小さな部屋に住むことになったのに
どうして
(取り壊しをした)
あの人たちは大金を稼いでいるのか
僕には分かりません。
僕はあんな高層ビルなんて少しも好きじゃありません。
「大きくなったら
ビン●ラディンを見習って
飛行機を操縦して
あのビルを倒して
おばあちゃんに新しい四合院を建ててあげるからね。
ナツメの木を植えて
ザクロの木を植えてあげるからね。」
心の中で
僕はおばあちゃんに言いました。
先生はいつも僕たちに
しっかり勉強をするようにと指導してくださいます。
先生の話をしっかりと聞いて
勉強に励み
僕は将来
発明家になりたいです。
僕は
いい人と悪い人が判別できて
発射した弾が悪人に命中するまでずっと追いかけて
お尻に穴をあけることができる
武器を発明したいです。
僕はピストルが好きです。
一番すきな銃はAK47です。
大きくなったらこの銃を使って敵を撃ちます。
かならずぼくは犠牲になることを恐れず
かならず勝利をおさめることができると思います。
あの烈士たちは僕のお手本です。
..................................
<編集後記>
最後まで読んでくださりありがとうございます。
どこの国にもこういう考え方をする方は
いらっしゃるのかも知れません。
それでも、「日本人の小学生が書いたもの」
という題名で同じ文章を送られてきたとしても、
きっと同じようにメルマガなどでご紹介していたと思います。
「木の上に吊るして殴って、ベルトでぶって、奴らが
それでも気勢をあげることができるのか見てやるんだ」
なんて日記を自分の子供が書いていたら何となく
怖いなぁと思います。
<発行人について>
まや
2004年9月より北京に滞在。
現在中国ジャーナリズム教育の最高峰、
中国人民大学ジャーナリズム学科修士課程に在籍中。
購読解除は以下のURLから。
http://www.mag2.com/m/0000175624.html
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/pinpin/