月日のたつのは早いと思う感覚 | 日本のお姉さん

月日のたつのは早いと思う感覚

月日のたつのは早いと思う感覚って、不思議。


年々月日のたち具合にスピードが加わってきているような感じが


するんだけど、


子供の頃は、幼稚園や学校がいろんな行事をするから「めりはり」が


付いているので、ゆっくり月日が過ぎていくように感じているだけ


なのではというのは友人の説。ある人は、どこかの宗教家か哲学者の


ように、時間の感覚は先細りの螺旋形なので、年を取るほど先の方の


一周が狭くなるから時間の立つのが早いのだという話をする。


テレビの影響だろうね。そんな風には感じるけど、世界の時間全体に


加速が付いているようには思えない。子供も大人も同じ時間を生きて


いるんだもの。


もしもイベントが少ない方が、時間の立つのが早く感じられるなら、


大人になっても、自分でイベントを自分の生活に取り入れたら


いいのさ。


自分で、今日は「何々の日」というのを作ってしまえばどうよ?


たしかに昔、南国の島に住んでいた時、四季の変化がゼロだった


時は、時間の立つのが早く感じたな。


毎日同じ半そでTシャツを着て、洗っては干しをくり返すので


服のよれ方が早いの何の。


日本から持ってきたTシャツは、あっという間に古びて


みすぼらしくなった。現地で買ったTシャツはもっとよれよれになるのが


早かった。


四季の変化が無いというのは、なかなか寂しいものがあった。


それでも一応、乾季と雨季があって、


雨季には、夕方すごいスコールが降ったし、果物はどんどん


市場に出てきたし、蒸し暑かった。


乾季は、7月を中心として半年あって、海に行くにはいい感じ。


夜はうっすら寒い日もあって、南国の島でも風邪をひく人も出る。


時間は「ある特定の日」を待っていると、なかなか来ないような


錯覚に陥る。給料日を待っていると、一週間の過ぎるのが


遅いのなんの。ぼけ~っと過ごしているとあっという間に


時間が過ぎるのか、忙しく過ごしていると時間がたつのが


早く感じるのか、どちらだろう?


やりたいことがたくさんある人には、時間はわずかしか無い貴重な


ものなのかもしれない。ヒマな人は、特にやりたいことが無いだけで、


ヒマでも食べていける環境にあるということだ。


やりたいことがたくさんある人は、時間の使い方がうまくて、


のんびりした人の2倍以上の仕事をやりとげてしまう。


象もねずみも、心臓のドキドキ打つ回数は同じなのだと


テレビで大学教授が言っていた。呼吸の数も同じだとも言っていた。


縄文時代の人の呼吸数は象と同じだったが、今は人間は


象より長生きしているそうだ。栄養が足りているからかな?


細胞には、分裂を繰り返す数が決まっていて、DNAのらせんの先に


分裂を繰り返す分の長さの棒条のものが付いているんだって。


その棒の長さがだんだん短くなって、ゼロになると、その細胞の寿命は


お終いなのだ。


最初から寿命は遺伝子に組み込まれているということらしい。


人間の場合、120歳まで生きられることになっているらしい。


そうはいっても、脳も体も元気な状態で、長生きできるならいいけど、


よぼよぼになって長生きしてもねえ。


でも、そんな風に考えるのは若いからで、よぼよぼになったらなったで、


もっと生きたいって思うらしい。月日のたつのが年を取るに連れて


早くなったかどうか、今までどうだったか考えると、やっぱりここ10年の


速さは過去最高に早かったように思う。2006年は、もう4分の1が過ぎた。


会社の帰りに、日本政府の給付金を使って習い事をしていた時は、


毎日苦しかったので、一年のたつのがものすごく遅く感じた。


嫌な一年だった。でもあの学校に通ったおかげで、会社の仕事の内容が


変わって、仕事がやりやすくなった。有意義な一年だった。


生きていればいつか、どんなプリティーな女の子も、オババになる。


毎日、上手に生きていれば、オババになった時に大きな違いが


できているのだと思う。オババの顔には、生きてきた姿勢が


現れてきている。意地悪な人は意地悪な顔になっているし、


生き生きとやりたい事を頑張って過ごしてきた人は、オババになっても


結構、いい顔をしている。わたしはまだオバハンだが、どうせ長生き


できるならば、いい時間を過ごしていい顔のオババになりたい。


毎日を大切に生きるのは、良い事であるのは言うまでも無い。


一日の積み重ねが一年、一年の積み重ねが一生とよく


言うではないか。


何か期限を決めて、「この日までにこれをする。」と決めると、


月日のたつのが遅くなるような気がする。


4月中に、3キロ痩せるとか、1週間で500グラム痩せるとか、


そのために週2回プールに通うとか、そんな目標でも持つと、


とたんに時間がたつのがゆっくりになる。嫌な課題をやり遂げる時間は


ゆっくり過ぎるように感じる。自分にイベントを与えることと、嫌な課題を


与えると時間はゆっくり過ぎてゆく。


WBCの決勝戦で、日本のチームが勝った時はみんな本当に


嬉しそうだった。今までのチームのみんなの苦しかった時間がいっきに


報われた瞬間だった。スポーツの試合を観ていて、彼らが喜ぶ時間は


時間としては一瞬だけれど、今まで苦しみに耐えてきた想いが、


一気に花咲く時間なのだ。だからスポーツ選手の喜ぶ顔は、見ていて


本当に美しいと思う。そんな顔は、めったに日常生活では見られない。


勝利の瞬間は短いが、長い間苦しんだ時間の分だけ価値がある。


頑張って結果が芳しくなくても、それはそれで、精神的に得るものが


あるのだと思う。人生も同じかもしれない。


価値があるものを得たと、一瞬でも感じることができた人は幸せなのだ。


ある人の過ごした時間が長いか短いかは、生きた年齢で決まるのだが


その人が、人生を長いと感じたか短いと感じたかは、


また別のことだ。幸せだった人は、短いと感じるのだと思う。


自殺するような人は、生きる意味が見い出せないほど不幸せで、


自分で人生が長すぎると思ったから、自分で自分を殺す人だ。


神さまが与えた命や時間を自分で操作するのは、命に対する冒涜だ。


神さまに対する重大な罪だ。


うつ病にかかった人は、脳内が負の物質でいっぱいになっているので、


薬で調整しなければならない。


うつ病でもないのに自分の命を殺す人は罪を犯している。


神さまにもらった命は意味のある大切なことに使わねばならない。


自分の過去10年を振り返って、短かったと思う人は


幸せだったのだと思う。短かったと思えるほど、幸せな時間を多く持てたと


いうことなのではないか?


最近、わたしの時間のたち方が早いのは、幸せだからかもしれない。


以前は、「わたしの生活には、他の人よりも辛いことが多い。」と


思っていたし、「他の人は人生のパートナーも子供もいるのに、


わたしには何も無い。だからわたしは、人よりも不幸せだ。」と、思って


いた時期があった。


他の人を意識して、他の人と同じか、それ以上を求めるような


価値基準だと、自分の幸せの基準が、「他人」や「世間」になっている


ので、こころが安定しなかったように思う。もちろん、パートナーを


求める気持ちは自然なものなので、よい願いだと思う。


恋や友情や結婚など、いろんな有意義なイベントを自分の時間に


組み込めたら、メリハリが付いて、時間のたつのがゆっくりになりそうだ。


あんまり幸せだと時間のたつのが早く感じられて損かもしれない。


恋や友情や結婚が壊れたら、それはたしかに不幸な出来事だが、


それで時間のたつのがゆっくりになる。心の傷が癒えるのを待っている


時の、時間の過ぎる速度は、超が付くほどのスローだ。


過去を振り返り、時間が早く過ぎたことを、気にするのは、


意味が無いことなのかも。


わたしとしては、早く死んだとしても、神さまのお役に立てたら


それでいいと思うことにしている。命の長さは関係無いのだ。


クリスチャンの考え方である。

わたしという人間が、生きているということは


神さまにとって、意味がある。

神さまの願いをまっとうすることが、わたしの幸せだと思っている。


最近、東京に来て、講演会をした中国人の元北京大教授の


焦国標は、クリスチャンだ。


横田めぐみさんのお母さんもクリスチャンだ。


台湾の独立のために働く人も名前は忘れたがクリスチャンだ。


神さまに与えられた使命を、心に抱いて生きているので、命知らずな


働きが出来るのだと思う。聖書に、「神は、み心のままに人の心の中に


働いて志(こころざし)をたてさせ、それを行わせてくださるのです。」と、


書いてあるが、神さまが助けてくださる事を信じるから、希望を捨てずに


志を実行させることができるのだと思う。


横田めぐみさんのお母さんの時間は、めぐみさんが帰るのを待つ


長い長い時間であったと思う。日本政府が動かないので、アメリカに


訴えに行ったのは、なかなかあっぱれな行動だった。


それだけ、日本政府の対応が情けないということであるが、、、。


最近、日本に中国の民主化を求めるよう提言に来た焦国標も、


中国共産党の中央宣伝部に対する歯に衣着せぬ論文を発表したために、


北京大学の教授の座を追放された。


日本で「アジアの民主化を日本政府も援助してほしい。」と


いう内容の講演を行ったが、中国に帰国後に中国政府からどんな


「お咎め」が待っているのか、心配されている。


それこそ、命をかけて行われた講演である。


台湾独立のために、人々を啓蒙している人々も、中国政府の妨害や、


へたをすれば暗殺される恐れもあるのに、よく頑張っていると思う。


人間の生きる意味は、神さまの中にある。


命は神さまがあなたに与えたもので、無意味な命はひとつもない。


どの人の命も価値があり、有意義なことのために


使われるべきなのだ。独裁者たちが自分達の生活を豊かに保つため、


勝手に人を拘束したり、拷問したり、殺めたりしてはならないのだ。


わたしも、何か、神さまのお役に立つことがしたいと考えている。


それが何かは今のところ、ピンと来ていないけど、


テポドンを打ってきた国と、クリスチャンを拷問して殺している国には


あまりにもひどいと腹が立つので、ブログで文句を言っているところ。


何か意味があるのかどうか分からないが、文句を言わねば


OK!!と、相手に言ったことになるから。


ブログを書くのは楽しいし、中国共産党に対する文句もいくらでも


あるので最近時間がたつのがすごく早い。