聖書の「言葉」
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
ーーーーーこれは聖書のことば。
ここに書かれている言葉とは、
イエス・キリストのことで、
コミュニケーションを
はかるために使う言葉のことではない。
ーーーーー人間と神さまは、会話ができない。
人間は罪があり、汚れた存在で、死後に罪を裁かれて
地獄に落ち、(別の空間にある。)永遠の裁きを受ける定めだ。
汚れた人間は地獄に行く存在であり、聖い神さまと
会話できるような身分ではない。人間は裁かれる立場だ。
地獄は、本来人間が行く場所ではなく、悪魔のために用意された
永遠のゴミ箱だ。そこで悪魔と悪魔に従った人間は
同じ仲間として神さまに永遠に苦しめられることになる。
生きている間もいろいろな苦しみがあるが、それは
人間が神さまにたどり着くためのチャンスとなるため。
何にも考えていない人はスムーズに生き、スムーズに死んで
地獄に行くことになっている。まるで、動物のように。
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言葉は人となって、人の間に住まわれた。
この方は神と人との仲介者であった。
イエス・キリストは、人間に神さまのことを
伝える言葉の役目をされたという意味なのです。
神さまが、罪人を救おうとされていること。
罪は裁かれなければならないこと。
罪のない神さまの右の座につく方(かた)が、
神さまの愛を人類に示すため、人間となって
現れたこと。罪のない人間が、罪のある人間の
身代わりに、神さまから裁きを受けること。
それができるのは、神さまと同じ想い、同じ愛、
同じ聖さ、同じ力をもった「神のひとり子」しかいない。
イエス・キリストの言葉を読むことは、神さまを知ることと
同じことだという意味が、
「初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。」という意味なのだ。
イエス・キリストは、人間に救われる方法を教えるために
天の神さまの元から遣わされた「言葉」なのだ。
罪があって、神さまと会話できない状態の人間が、イエス・キリストに
よって罪が赦され、神さまと会話できるようになるのだ。
だからクリスチャンは、お祈りの最後に
「イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。」と言って
祈るのだ。神さまのひとり子が、十字架にかかり、
人類の罪の裁きを身代わりに受けて、神さま」から裁かれてくれた。
それを信じる者は、罪が赦され、永遠の罪の裁きにあうことがなく、
死後も神さまの国である天国に行ける。
それを信じていない者は、裁かれる。
生まれつき裁きは定まっているから、既に裁かれている存在なのだ。
聖書に書かれた神さまのメッセージは、「愛」だ。
結局は、神さまが、人を救いたくてしたことを、自分のためであったと
受け止めて信じるかどうかだ。
神さまを信じていない人は、聖書も信じないし、神様の言葉
(神さまのスポークスマンであり、神さまのコミュニケーションツール)
であるイエス・キリストを信じてはいない。
信じていないどころか、悪魔の手先となって聖書を攻撃する
スポークスマンになる。
死後の世界について、はっきり言及できる者とは、神さま以外にないだろう。
死にかけた人間は脳が酸欠になって、柔道で落ちた人のようになっている。
その時に見た夢、幻は、日本人は共通していて三途の川のイメージだ。
外国人の死にかけた人の見る夢は、また違う。
人間を創ることができるような神さまなら、人間に救いの道を用意してくれても
不思議は無いだろう。
イエス・キリストは、「わたしがそのメシヤ(救い主)です。」と、言われたし、
普通の人間ができないような奇跡を多数、見せてくれていたし、
死後に三日目に聖書の預言の通りよみがえり、500人以上の人の前に
現れ、大勢が見ている前で、天に帰られた。
見ている途中で雲が彼の姿を隠したと聖書に書いてある。
宇宙のどこかに天国があるというわけではなく、別の空間にあることを
教えるためだろう。死んでお終いなら、普通の人間だ。
普通の人間は、人間のために身代わりにはなれない。罪があるからだ。
身代わりに地獄の罰を受ける愛も、気構えもないだろう。
天使ができることではない。預言者も他人の罪の身代わりになれない。
預言者も人間で、こころに罪があるからだ。
初めから、神さまと共におられた、神さまと同じ立場神のひとり子。
それが、イエス・キリストだった。
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
ーーーーーこれは聖書のことば。
神さまは、あなたを地獄から救うために、罪を赦す方法を
用意された。イエス・キリストはあなたの罪を赦すために
神さまが送られた「言葉」である。
その「言葉」は、「神さまはあなたを愛しているのです。」と、
伝えている。
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生きている間に、神さまを信じて救われてください。