トルキスタン人の独立のために何かしたい日本人がいる | 日本のお姉さん

トルキスタン人の独立のために何かしたい日本人がいる

まあ、世の中のほとんどのみなさまにとってみれば、

東トルキスタン独立なんて夢のような絵空事に近いこと

なのでありましょう。けれど、1990年のあの日、東トルキスタンの

土を踏んでから、そのときは東トルキスタンなんて言葉は夢にも

知らなかったのですが、私はこの国の独立を夢見るようになった

のです。国家としてのこの土地を見たいと思いました。


私は本当に東トルキスタンを独立させたいと思う人だけを支持し、

信じていくつもりです。


 それだって、私は何の責任も取らなくていいし、リスクも

負わなくていいのですから。せいぜい、もう東トルキスタンの

土を踏めないぐらいで、失うものはほかには何もありません。

 もちろん、本当は死ぬほどもういちどあの土地に行きたいですよ。

でも入ったところで、私が愛していた、私が大好きだった景色は

もうないのです。いや、あるでしょうけど。でもないのですよ。

 あるウイグル人が東トルキスタンに漢族の姿があるのを見ると、

あの美しい土地が汚されるようで悲しいと語ったことがあります。

もはや私の思い出の中の東トルキスタンは蹂躙されてしまいました。

東トルキスタンの主要な都市は、普通の漢族の都市と変わらなく

なりつつあります。いつか、またそれがもとどおりの東トルキスタンに

もどることがあったら、私は訪れます。そうなるまでは、行っても

意味がありません。

 まあ、私の潜入取材を期待されている方もいるかもしれませんが、

私も命は惜しい。というか、漢族女性の女性に対する拷問のほうが

残酷で恐ろしいと聞きますものでね。乳房えぐられるとか、

チクビに針金を通されて天井からつるされるとか。

 私がそれだけひどい目に遭っても、日本のみなさまがこの問題に

対して覚醒してくれるとも思えませんし。

香田証生さんのような人生になるのはいやです。

あの方の死をもっても、イラクの問題が日本人に理解されたとは

思えませんから。

  今のウイグル人にもウイグル人の活動家にもそして、日本人で

支援しようと考えてくださる方々にも決定的に欠けているのは、

信じるということなのです。
 もちろん裏切られることもあるかもしれません。

ですから、本当は私はあまり気軽にウイグル独立運動への支持を

日本人のみなさまへ訴えるつもりはございません。

でも、私は信じるつもりです。私が信じ続けていれば、ほかの日本人の

みなさまも信じてくださるでしょうし、ウイグル人もお互いをもっと

信じあってくれるようになるかもしれない。

そうしたら、これほど行き詰っている独立運動も何か変わるかもしれない。

 金銭的な援助は二の次でけっこうです。もちろんお金は喉から手が

出るほど必要でしょうが、半信半疑や不信感いっぱいで援助して

いただくことにはあまり意味がありません。

ウイグル人ももっと日本人の信頼を勝ち取る努力をする必要があります。

そうして信頼関係ができてからでないと、金銭的な援助はかえって

混乱を生んでしまいます。

 まずはウイグル人を信じてください。独立への熱意を信じてください。

そして、ウイグル人もその信頼を得るだけの活動をしてください。

まあ、ウイグル人に対してそうできるだけの環境を国際社会が

整えることも必要だとは思いますけれども。

 いきなり独立を支持していただくてもいいのです。

まずはウイグル人はテロリストなんかではないと信じてください。

彼らを支持することはテロ支持ではないと信じてください。

些細なことであっても、ひとつのことを信じぬく、それがウイグルの

独立運動に決定的に欠けていることです。

日本人のみなさまにも、まずウイグル人を信じていただきたいとも

思います。

 そうなるにはウイグル人どうしが信頼で結ばれなければならない

んですけどね。

それもウイグル人の方々には肝に銘じていただきたいです。
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