無知な中国外相発言by櫻井よしこ
小泉首相に申す 櫻井よしこ
歴史の全体像を見よ
七日、中国の李肇星外相が内外の記者団を前に一時間四十分にわたって日本をあしざまに非難した。首相の靖国参拝に関連し「ドイツでヒトラーやナチスを崇拝する指導者はいない」とまで語った。日独両国を、また”A級戦犯”とヒトラーを同列に置いているのだ。
無知な外相発言は中国政府の程度を示す。彼らにとって気の毒な指標だ。
李外相発言から、私は東京外国語大学名誉教授の岡田英弘氏が『この厄介な国、中国』(WAC)の冒頭で触れた「指桑罵槐」=桑を指して槐を罵る=という言葉を連想した。
真の標的は直撃せず間接手法で批判するというものだ。中国人の言葉は額面どうりに信じてはならず、隠された意図を読み解くことが大事なのだ。
李外相の感情むき出しの言葉が、ほぼ同時に報道された東シナ海天然ガス田開発に関する中国提案の傲慢な印象を薄めようとするものだとは容易に想像がつく。正真正銘の日本国領土である尖閣諸島周辺と、日中中間線の日本側のみでの共同開発を提案してきた中国は、真実、恥知らずな国だ。そんな中国への融和策を唱える日本の親中派の責任はおくとして、外相発言と東シナ海での中国の傲慢、不遜、不法、侮蔑の行動の負の相関関係は比較的わかりやすい。
戦慄の東シナ海略奪戦略から目をそらそうと持ち出された靖国問題を、小泉純一郎首相が「もう外交カードにはならない」と一蹴したのは正しかった。だが、日本側には中国の言い立てる歴史観の罠にまだ陥っている人々がいる。原因は歴史を一九三一年の満州事変から四五年までの短い期間の中で見るからだ。
満州事変の調査のために国際連盟が派遣したリットン調査団は、七ヶ月を費し、二百四十五ページにのぼる報告書を作成した。その『日支紛争に関する国際連盟調査委員会の報告』を読むと、調査団はたしかに満州国の独立は認めなかったが、日清戦争までさかのぼって日中の立場と両国の歴史を極めて公正に
分析している。報告書のどこにも、現在の日本や中国で言われている”邪悪な日本の軍国主義VS.気の毒な中国”の単純構図で事変を分析している部分はない。
それどころか、世界規模でパワーバランスが変化した十九世紀に、中国は孤立状態を脱すべきだったにもかかわらず、「此新なる接触に應ぜんとするの用意無かりき」と批判され、日本は「自己の古き價値を減ずることなく西洋の科學と技術を同化し西洋の標準を採用したる速度と完全性は遍く賞嘆さられたり」と称賛された。
調査団は、その日本を攻撃した国民党の激しい反日政策、教科書、人民外交協会など、社会の各層で鼓舞された抗日反日運動が中国人民の感情の自然な盛り上がりというより、国民党政府の政策だった面を指摘した。反日教育は往時も今も、中国不変の国策なのだ。
一方、米国の外交官マクマリーは一九三五年に満州事変を「中国は、満州でまいた種を自分で刈り取っている」と書いた(『平和はいかに失われたか』原書房)。
彼は中国との条約を含め国際条約を守ったのは日本であり、守らなかったのが中国であること、両国の公平に扱わなかった米国に偏りが日本にとって耐え難い状況を作り出したと指摘した。
中国の掟破りは昔も今も日常茶飯だ。一例に一九二六年の関税実施がある。その四年前のワシントン会議で各国の単独行動が禁止されたにもかかわらず、広東の国民党政府は突如、これを実施。日本はワシントン会議の参加諸国が集まり協議すべきだとしたが米国は中国の非をとがめず、逆に日本の要求を拒否した。
翌二七年春には、国民党軍が日米英各国の公館などを襲い暴動と殺戮をほしいままにした。南京事件と呼ばれる右の事態でも米国は国民党への制裁行為に加わらなかった。
道理を欠く米中両国のやり方に直面しながらも、日本は満州事変までは「ワシントン会議の協約文章ならびにその精神を守ることに極めて忠実であった。そのことは、中国に駐在していた当時の各国外交団全員がひとしく認めていた」「当時、中国問題に最も深くかかわっていた人々は、日本政府は申し分なく誠実に約束を守っていると考えた」と、マクマリーは書いている(前掲)。
満州事変とその後の歴史の責任を日本のみに求めるのは、もう好い加減によしたほうがよい。日本の責任を見つめながらも、米中そしてソ連の行動を分析して歴史の全体像を見つめる新しい視点を、私たちは持つべき時だ。それなしには未来永劫、李外相の無知なる発言に脅かされ、日本の領土領海を侵され資源を奪われても尚、中国の顔色をうかがう国のままだろう。
引用元:産経新聞(東京版)3月9日13版3面(総合面)