イスラム教徒の友達と友好を保つ方法
イスラム教徒の友達と神さまの話しをすると、どちらも
世界は創造主によって、創られたと信じているし、
たまにわたしが、いいこと(?)を語ると、
「アミン。」とか言ってくれるのだが、話しが聖書とかコーランとか、
聖書の預言されている救い主、イエス・キリストの話しとか、
モハメッドの話しになると、二人ともケンカのようになる。
無神論の友達も、なぜかユダヤ人が嫌いで、その系統の本ばかり
読んでいるのだが、わたしがユダヤ人の味方をするので、
その辺の話しになると、ケンカみたいになる。
それでも、友達なのは、受け入れられない部分を抜きにして、
友達として受け入れられる部分がたくさんあるからなのだ。
100%思想が同じ、信じる物が同じ、感じ方が同じ人なんて、
そんなにいるもんじゃない。
100%、思想が一緒じゃないと、受け入れられないなんて言ったら
殺し合いになってしまう。強い者に、弱い者が従う世界になる。
昔、浅間山山荘という別荘で、赤軍派という当時のテロリスト集団の
人達が閉じこもって暮らしていたのだが、同じ考えを持った人々の
集まりだったのに、ちょっとした意見の食い違いで、殺し合いが起きて、
結局、強い者しか、生き残らなかった事件があった。
今でも赤軍派は日本のどこかにいるらしい。
子供だったので、詳しい事は覚えていないが、人間は違う考えを持つ
人間をお互いに許しあって生きなければならないのだと感じた。
結婚となれば、違うものを信じる人とは「生きる目的」が違うので
上手くいかないと思う。どちらかが、我慢して相手に合わせて
生きるようになるのだと思う。
友達ぐらいだったら、毎日顔をつきあわすわけでもないし、
一緒に力を合わせて生きるわけではないから、少しぐらいなら
我慢することができる。
今、反日教育を中国政府に施されて、「日本に原爆をぶちこめ!」とか、
「小日本をぶっつぶせ!」とか、インターネットで書き込みをしている
中国の青年達も、会ってみればいい人達なのだろう。
いくら憤慨した中国の青年がたくさんいて、反日デモに参加したり
日本製品ボイコットをしていたとしても、中国にいる日本人を
殺したりしていないならば、そんなに問題でもないのかもしれない。
中国で法律が守られている間は、日本と中国はうまくいくはず。
合わない部分だけみると、友達なんて作れない。
「この人には、こんないいところがあるんだ。」と、良い部分をみると、
友達付き合いはできるのだ。
お互いに、「タブー」に触れないようにする事が大事なのかもしれない。
それと、お互いにあまり近づかない事が大事だと思う。
人間同士の付き合いも、国と国の付き合いも、あまり近づき過ぎ
ない方が、友好を保てるような気がする。
家庭の奥様とご主人も、あんまり近づきすぎて、
「こいつは、おれの思い通りになるヤツだ。」と思わせたら、
あんまり大事にされなくなるような気がする。
「この人は放っておけば、どこかに行ってしまうかも。」と
思わせておいて、要所要所で、アメをやる方が、大事にされそう。
(バレンタインデーには、是非、チョコをあげてくださいね。)
日本と中国も、上手に付き合っていって欲しいと思う。
「宗教」は、ほぼタブーの領域ですね。
日本の「宗教」と、中国共産党の「中華思想教」のタブーが
ぶつかりあっているようなので、お互い干渉しないことと、
「日本は思い通りになる。」と、中国に思わせないことが大事
なのではないかと思う。