旧暦のお正月を祝う春節。2006年は今日が春節。 | 日本のお姉さん

旧暦のお正月を祝う春節。2006年は今日が春節。

日本では、旧暦はあまりなじみがない。


そして、戦争中に使っていたという、日本の年号も、もう


知っている人はいない。


昔は、日本は月の暦で、農作業をしていたそうだ。


昔の時の名前も、月の名前も、いつのまにか


すたれていった。学校でも勉強しない。


丑三つ時(うしみつどき)とか、如月(きさらぎ)とか、


忍者の小説とか、時代劇にしか出てこない。


昔の色の名前も、日本画でも勉強していない限り


覚えられない。バリでは、月の暦があって、


西暦と一緒に、それを使って生活しているんだとか。


日本の味わいのある、いろんなものが、


いつのまにか、消えていっている。


日本人は、新しい物を取り入れるのに敏感で、


日本の古い物は、便利で無いと判断されれば、


公的に使われなくなる。


漢字だって、公用漢字が決められて、


使ってはいけないとか、名前だったらいいとか、


いろいろいじられる。日本政府は簡単に日本の昔から


あるものを処分してしまう。


昔、ミャンマーが、ビルマという名前を捨てたが、


もともと昔からビルマという名前だったのに、


簡単に国の名前を変えるミャンマー政府に不信感を


もったことがある。日本の学校を3学期制にしないで、


2学期制にしようという話しが、日本政府で出ている


そうだが、そんな事を決めるより、先に改革しないと


いけないことがあるだろう?


いろいろ、名前や文化をいじる政府は、


自らの無能を隠すために目立つことを先ず行うような


気がしてならない。


中国の旧正月は、爆竹で祝うそうだが、日本には


そんな習慣は入ってこない。


考えてみれば韓国の習慣も入ってこない。


はるか昔は、どんどん大陸から文字や文化を


取り入れたのだが、全てを模倣したわけではない。


中国人と違法CDやDVDの件でケンカすると、


日本人は漢字をコピーしたではないかと言われるが、


日本はひらがなを作って漢文よりもっと日本人に使いやすく


変えてしまったし、ころころ入れ替わり立ち替わり


支配する民族が変わる大陸のそれぞれの時代の文化は


取り入れず、日本は独自の文化を築いていった。


日本人は、昔から自らを変化させることが好きな


民族なのかもしれない。


農作業に向いた暦を西洋の暦に変えて、近代化を行い


天皇の暦を止めて変化する事が、日本の常なら、


女性が天皇になったり、女系の子孫が天皇になったりするのも


どんどん政府が決めてしまっても不思議は無い。


日本は、本当に不思議な国だ。


日本の国名が、「にほん」だろうが、「にっぽん」だろうが、


天皇が、将来誰になろうが、これからも日本は


古い文化を脱ぎ捨て、新しい文化に着替えながら


変わっていく国なんだろう。


日本が、大陸のいいなりになって、土下座外交をして、


それで全て良かったという日々は過ぎ去った。


大陸では、経済が発展し自信を付けた彼らは、新しい考え方で


日本と対峙しようとしている。


時代の波を読んで、うまく変化し成長する日本でいてほしい。


アメリカに挑んで破れた過去も上手く生かして、


日本という船の舵取りを政府が上手く操ってほしい。


日本人全員が賢く、抜け目なく、成長しないと


アメリカに土下座したまま、ついでに隣の大陸にもずっと


土下座し続ける国のまま、成長できない子供のような


国になってしまう。捨てるべき物は何か、残す物は何か。


変えるべき法律は何か、変えるべき考え方は何か。


政府は、周りの状況を見ながら決めて欲しい。


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ちなみに戦争は、日本が軍国主義になった時から、


避けられなかった事態であって、諸外国が大陸を


植民地化して、ロシアも南下していた時代に、


危機感を持ってしまったのは当然であったと思う。


話し合いで、日本が生き残れる望みは薄かったと


思うし、ドイツとイタリアの味方になった時点で、


アメリカとの衝突は避けられなかったと思う。


どこの国とも戦争していなかったとしても、ロシアと


諸外国に無理難題を押しつけられ、別の戦争が


起こっていたと思われる。そして、アメリカに負けた


場合よりももっと、悲惨な未来が待っていたかも


しれない。アジアの世界は今も西洋に植民地として、


支配されていたと思われる。起こってしまったことは、


もう変えられない。大陸には十分な賠償はしたではないか。


懺悔の時間はほどほどにして、未来のために頭を使え。