メッカ巡礼に30万円
インドネシア人の友達のお母さんは、ご主人が亡くなってから
女手ひとつで、当時中学生だった友達の妹を育て上げ、
高校も手作りお菓子を売ったお金で出し、彼女のお婿さんまで
家に受け入れた。彼女は18歳で結婚し、ひとつの家に4人で仲良く
住んでいる。友達が、妹を母親と一緒に育てたのかは不明だが、
インドネシアでは、普通の家の収入は、1ヶ月、5千円ぐらいだ。
大学を卒業して、一流の会社勤めをして1万5千円ぐらいだ。
友達のお母さんは、1ヶ月いくら収入があるのか知らないが、
正月に友達とメッカに行ったそうだ。
メッカに行くには30万円かかる。
大勢のインドネシア人が同じ飛行機に乗ってメッカに行くのだそうだ。
日本人にとっても30万円とは、大金だ、でもイスラム教ではメッカに
行くと天国に行けるということになっているらしく、
みんな行きたがっている。月収5千円の人がメッカに行くのは
大変な事だろうと思う。世界中のイスラム教徒が、サウジアラビアの
飛行機で出かけたら、すごい金額が動いているのだと思う。
すごく儲けている人がいるような気がする。
クリスチャンは、イスラエルに巡礼に行かなくても、イエスを信じる者は
天国に行けるので、お金に余裕があり、興味があって
実際にイエス・キリストの空になった墓や、モーセが十戒を与えられた
シナイ山に行ってみたいと思う人が観光に行っているようだ。
わたしの行っている教会では、イスラエルに行くのはお金持ちの
道楽として見られている。イスラエルは、自爆テロに会う確率の高い
危険な場所というイメージがあるので、特に行きたいとは思わないが、
教会によっては、グループで観光に行ったりしている所もあるらしい。
巡礼というより、好奇心でだ。クリスチャンは、ヤコブが荒野で、
夢を見たように、天におられる神さまとは、イエス・キリストという
はしごで繋(つな)がっているのだ。(英語でジェイコブ ズ ラダー)
いつでも、どこでも神さまと、親しく祈り、聖書から必要な言葉を
いただき、毎日神さまと交流(交友)があるので、イスラエルに
あえて行く必要はないのである。まあ、ユビキタスということだ。
どこにでも偏在される神さまと、イエス・キリストのあがないによって
自由に語りかけることができ、神さまもまた、信じる者を日々
導いてくださるということだ。
(あがない=彼の犠牲によって罪が赦される事)
聖書を読めば、質問の答えが与えられるのだ。
神さまを信じない者は、罪が赦されていないため、神さまとは
「無関係」という関係にある。だから祈りは答えられない。
まず、神さまの前に立って、(心の中で神さまに呼びかけ)
イエス・キリストが自分の罪のみがわりに死なれたこと、
葬られたこと、三日目によみがえられたことを信じ、神さまに
一言、自分の意志を表現する必要がある。
声が出なくても、心の中で「信じます。」とか、「ありがとう。」とか、
思ったとうりに神さまに語りかけるのだ。
それが初めての祈りだ。
神さまを信じた後は、罪が赦されているので、親と子供の関係に
戻っている。自由にお願いをしたり、感謝したりできる身分になっている。
まず、神さまに罪が赦されることが、神さまと親しい関係に入るのに必要な
事なのだ。罪が赦されないと、誰も神さまの国である天国に行けないから。
今日、会社の帰りに本屋に寄ったら、ジョージ秋山が旧約聖書の
一部をマンガにしていた。
「はじめに神が天と地とを創造された。」という聖書の出だしから
始まらないといけないのに、いきなり進化論っぽいマンガから始まって
いたのでガッカリした。よけいなマンガを一番最初に勝手に入れている。
しかもサルが背広を着たマンガまで描いてあった。クリスチャンとしては、
非常に不愉快。不満足だ。
その後は、ほぼ聖書の順番通りに、イスラエルの歴史を書いていた。
アブラハムの女奴隷ハガルとの子、イシマエルのことも
書いてあった。彼らはアラブ人の先祖となったとちゃんと書いていた。
アラブ人にも神さまは砂漠で大いなる民族にするという約束を
与えている。その手には常に弓を持つ民族だが。
エジプトに渡った理由も、モーセの出(しゅつ)エジプトのことも
ちゃんと書いていた。最初の変な進化論のマンガ以外は、聖書に
忠実に書いているようだ。全部立ち読み出来なかったので、はっきりは
わからない。本を買うつもりはないが、全部本屋で立ち読みするのも
本屋に悪いので、パラパラとしか読めなかったが、
聖書を読む気が無い人には、読んでみてもいいマンガかもしれない。
でも、聖書を読んだなんて、言ってはいけない。
マンガを読んだからって聖書を読んだことにはならない。
あらすじだけだもの。しかも神さまを信じていないで進化論を
信じている人が書いたマンガだ。
それに、神さまを信じないなら、まんがを読んでも全く意味が無い。
神さまの目的は、聖書を読んだ者が神さまを信じて、神さまに祈る
ことだから。信じる者が天国に行けるようになるためだから。
でも、マンガで神さまを信じる人もひょっとしたら奇跡が起こって
ひとりぐらいはいるかもしれないな。どうだろう?
旧約聖書のⅠとⅡがあった。読んでみる?
ジョージ秋山は、不思議な人だな。手塚治虫のマンガ聖書の方が
最初の天地創造の場面は好きだな。進化論を最初に持って
こなかったから。
でも、ジョージ秋山のマンガ聖書は女の人の絵がきれい。
リベカがラクダに乗って砂漠を旅する場面は、上手に描けていた。
アメリカ版のマンガ聖書を少し参考にして書いたのかな?
というわけで、クリスチャンは毎日、神さまに祈ります。
罪人だけれど、神さまに赦され、天国に行ける身分を持っています。
いつでもどこでも、神さまが側にいてくださるので、いつでも
祈れます。教会に行くのは、イエス・キリストがよみがえったのが
日曜日の朝なので、記念の日にみんなで神さまを礼拝するため。
イスラエルに行く必要はありません。
わたしのいる場所が天国とつながっているのです。
イエス・キリストという「はしご」で。だから神さまに感謝しています。
罪を赦すために、神さまがひとり子のイエス・キリストを
救い主として送ってくださったから。
(中国と日本が平和であるように今からお祈りしよっと。)