昔の日本と中国 | 日本のお姉さん

昔の日本と中国

中国が殷(いん)・周の頃は、日本は縄文時代で、


秦(しん)・前漢の時代は、日本は弥生時代で、


57年には、日本の倭の国王が光武帝に使者を派遣し、金印を


もらう。倭の奴の国王と日本人は読んでいるが実は中国には日本は


倭(わ)奴(ど)と呼ばれていて、背の低い小さい奴隷という意味。


中国は昔から、自分の国以外には、虫や鳥や動物の名前を


つけて卑しんだが、結局後にそれらの人々に攻められて中国人


そのものが混血になった。今の中国人は、漢民族ではない。


中国は後漢・三国時代・五胡十六国時代になる。


239年ごろ、日本では卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)に


朝貢する。4世紀には朝鮮半島のみまな地方に


支配地ができて、日本は国司をつかわして支配していた。


350年には、日本では大和朝廷が全国統一をしていた。


413年には倭王・讃(さん)が中国の東晋に使節を送っている。


439年には中国は南北朝時代が始まる。


日本は他に珍、済、興、武が国書を宋や南朝諸国に国書を


送っている。「倭の五王」が南朝に国書を送ったと「宋書」や


他の中国の書物に書かれている。


その後、中国に隋ができ、日本の聖徳大使が593年に


摂政となった。


607年に小野妹子を隋に派遣した。この時の国書に


聖徳太子が手紙を書いている。


「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや」


という文章だった。


「随書」には、隋の「火易」帝が、怒って「今度から彼から手紙を


受け取っても私に見せに来ないように。」と言ったそうだ。


朝鮮半島のみなまの日本府は562年に滅亡している。


日本に仏教が入ったのは538年。仏教も輸入された宗教だった。


618年には中国には唐が建国された。日本は飛鳥時代に入る。


(つづく)