人さらいの女真族
日本は昔、朝鮮との国境にある生女直(きじょちょく)という民族の
一部族である刀伊(トイ)に1019年に襲われたことがある。
対馬、壱岐(いき)、北九州で、365人殺され、1289人拉致され、
牛馬は380頭さらわれた。
今でも古い朝鮮語では、野蛮人のことをトイと言い、生女直(きじょちょく)を
馬鹿にしてオランケ(ばけもの)と呼んでいたという。
北朝鮮が拉致が好きなのは、生女直の後裔(こうえい)だからかも。
女真族は狩猟民族だが、中国文化に接して半農化したが、
農耕が苦手というか嫌いで、漢人や朝鮮人をさらっては、農作業を
させていた。
遼寧(りょうねい)省や吉林(きちりん)省に住んでいた女真族は
熟女直(じゅくじょちょく)と呼ばれていて、後の満州族になった。
1115年に金を建国、遼(りょう)を滅ぼしついでに宋も滅ぼした。
宋の王さまは、杭州に逃げて南宋を建国。
女真族の金は、狩猟と遊牧の民だったが、高句麗と渤海(ぼっかい)
にずっと支配されていたので、農耕にあこがれていた。
だから、北の草原には見向きもせずに、南宋の河南地方ばかり
気になっていたため、北ががらあきになり、100年後には、
モンゴル人のジンギス汗が、力を付けてくることになった。