漢字を作った中国人の先祖
中国人の先祖はどこからきたのだろう。
いろいろ説はあるのだが、バビロニアからきたセム人だという
フランス人の学者もいる。
紀元前1600年ごろ、甲骨文字を作った民族である殷と言う
国ができた。
殷が遊牧民族であったというのは、13回も遷都を行った事と、
風習を見るとわかる。
殷という国は、祭りのたびに羊を捧げ物にする民族で
後には近隣の民族の首をはねて羊の代わりに捧げ物に
しだしたので、嫌われていた。
中国の漢字をみると羊に関係したものが多い。
美しいのは、大きな羊である「美」だし、羊をかぶった私は
羊の犠牲のおかげで罪を赦され、罪のない者と
された「義」だ。学者が言うように、中国人の子孫はバビロンの
時代に捕虜になったイスラエル人の影響を受けた者がいる
民族なのかもしれない。イスラエル人は昔から、神さまに
罪のための犠牲の捧げ物として、傷の無い羊を捧げていたのだ。
日本人が鳥居を赤く塗るのも、「みこし」を担ぐのが好きなのも、
イスラエル人の祭りの真似かもしれない。
中国では消えた習慣が日本には残ったのかもしれない。
秦の始皇帝が、バラバラにあった漢字の書物やその他の
異郷の書物を全て焼き捨ててしまったので、詳しい事は
何一つわからない。焚書(ふんしょ)を行うと資料がゼロになるが、
秦の始皇帝は漢字を一つにまとめて編集したので、それも
漢字の普及に役に立ったのかもしれない。
始皇帝が死んだ時も墓は次の支配者の項羽に荒らされ、宝物は
掘り出されて運ばれ、300箇所以上あった、建築物は全て燃やされ、
けむりは3ヶ月絶えることは無かったという。
中国の文字や文化は破壊を免れて、残ったものなのだ。