イエス・キリストの誕生 | 日本のお姉さん

イエス・キリストの誕生

イエス・キリストの誕生は、次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と


決まっていたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身重に


なったことがわかった。


夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にしたくなかったので、


内密にさらせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、


主の使いが夢に現れて言った。


「ダビデの子、ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。


その胎に宿っているものは聖霊によるのです。


マリヤは男の子を産みます。その名をイエスと名付けなさい。


この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」


この全ての出来事は、主が予言者を通して言われたことが成就する


ためであった。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。


その名はインマヌエル(訳すと神は私たちと共におられる、という


意味である。)


ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、


その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることが


なく、その子どもの名をイエスとつけた。


ーーーー聖書より。---


当時のユダヤでは、婚約者は結婚前にご主人となる親の家で


未来のご主人としばらく一緒に暮らす習慣があったが、これは


婚約したら、家族ぐるみでに監視されるという意味でもある。


女性の性格が一族と合うかチェックする意味もあるのかも


しれない。全家族の習慣ではないと思うが、ユダヤでは


結婚前に男女が性行為をする事は、許されないことだった。


(今でも、パレスチナに住む民族は、結婚前にふしだらな行為を


する女性はたとえ男性による暴力の被害者であっても、家族に


「名誉の殺人」として殺されている。そうしないとその家族は


村に住めなくなる。屋上から突き落とされたり、油をかけられ


焼かれるなど、事故として処理される。昔からの不文律なのだ。)


ヨセフはマリヤが、自分の婚約者でありながら、誰かとそんな


関係になったのかと思い、マリヤを内密に去らせようとしたが、


夢に天の使いが現れて、それを止めた。


その半年前には、ザカリヤという祭司にも天の使いが現れ、


救い主イエスがマリヤによって与えられるという予告を受けている。


マリヤには天使のガブリエルが現れ、詳しい予告を受けている。


「名前をイエスと付けなさい。」という命令も受けている。


イエスとは、「神が民と共にいます」という意味だ。ザカリヤの妻の


エリサベツもマリヤに会ったときに、


「私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。」と、


言って、マリヤの胎のなかの子は「主」であると言っている。


「主」とは、ユダヤ人にとっては、「世界の創造者」であって、


偶像の神のことではない。


神という言葉はみだりに使ってはいけない言葉であって、


呼び名は「ヤハーウェ」。意味は「わたしは在るから在る」と


いう意味だ。


神は誰かが作ったり誰かから生まれたから在るのではなく、


「存在するから存在するもの」なのだと、いう意味だ。


旧約聖書の始めには創世記があるが、ここで神は複数形で


書かれている。父である神、子である神、聖霊である神が同時に


共に存在し、共に世界を創造したと書かれている。


「われわれに似るように、われわれのかたちに人を創ろう。」という


文章があるが、神は人を、神に似たかたちに創ったのだと、言って


おられるというわけだ。感情があり、知性があり、イマジネーションが


あり、愛があり、善と美を喜ぶかたちに創られたのだ。


しかし、人は神を自主的に愛する道と、神に自主的に逆らう道を


選ぶ自由と権利が与えられていた。人は積極的に神に逆らい


死後に裁かれる存在となったのだった。


この人間を救うために、神は、子の関係である神を世に遣わし


救済の道を一本、用意された。


イエス・キリストは、父である神の右の座に座す存在でありながら、


死ぬべき姿をとって、世に現れた。人間の罪を背負って身代わりに


死ぬためには、人間の姿で死ななければならない。


しかし、人間の姿を取っていても、イエスは神として存在していたし、


神のひとり子という立場は、不変であった。


イエスは、時間と場所に束縛される人間の姿を取られたが、


いつでも、どこにでも同時に存在できる不変の神であった。


人間に神のひとり子であるという自分の言葉の証明のために


数々の奇跡を行った。イエスが神のひとり子として活動を始められて


から十字架にかかり死ぬ日まで、3年半しかかかっていない。


この間に、イエスが本当に神のひとり子であると信じた者は多くはない。


イエスが死後に預言の通り、3日目によみがえり、40日目に天に


帰った姿を直接見て信じた者がほとんどである。


500人以上の人がよみがえられたイエス・キリストを見た。


大勢の人が見る中で、イエス・キリストが天にあげられ途中で神の栄光の


雲が彼の姿を隠すのを見た人々である。


ローマの皇帝の恐ろしい迫害にも負けずに、


初代キリスト者(クリスチャン)は、全世界に出て行き、神の福音を


伝えてきた。東の果ての小さな島、日本にまでその福音は


伝わった。日本のクリスチャンは1%未満。プロテスタントや


カトリックや異端(本当はキリストを信じてはいない。)を入れて


数えてもこの数字だ。日本では、クリスマスと結婚式場として、


有名になっているキリスト教だが、イエス・キリストは日本人の


ためにも、十字架の上で死んでくださったのだ。


イエス・キリストが自分の罪のために神から裁かれてくださった


ことを信じる者は救われるのである。


それが、神のメッセージだ。メリー・クリスマス!