中国の昔の人肉を食べる習慣
一斤30文。
魯迅を読んでいると処刑される人の血により饅頭を濡らし肺の弱い
家族にたべさせるシーンがでてきます。中国だけではないですが
人肉を食べてきた歴史が存在します。白楽天の詩にもみられます。
明代万暦45年、46年(1617-18)には山東で。
清代同治3年、4年、安徽南部では人肉が一斤30文。
飢饉の拡大により120文。
http://cn.news.yahoo.com/051125/541/2g8u8.html
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内容は、どうやら人類は弱肉強食の動物なので、現代人にすると
食人文化は、残虐な話しだが、昔の動物だった頃のなごりが
残っているということにすぎず、中国では戦乱の時代に普通に起
こっていた事なのだと書いています。
(中国は唯物主義で神さまを信じないので、人間は昔は動物だったと
言っている。共産主義は無神論が基本です。)
唐代や宋北では、戦乱時に、戦国の大将が食べるものが無くて
百姓を連れて歩いて食糧にしていたとか。子供の肉がうまくて、次は
女性で男性の肉は最後。人肉は「足二本の羊」と呼ばれていた。
人肉をひものにして携帯していたとか。女性の肉は「羊より旨い」
で、子供の干し肉は「骨ごと料理して食べられる」という名前が
付けられていたとか。
食べ方はいろいろで、まわりを焼いてから煮たり、袋に入れて釜ゆで
にしたり、羊のように串刺しにしてまるごとあぶって焼いたり、
いろいろな料理法があったそうだ。
男の人の一部と女の人のおっぱいだけ、切り取って特別な料理を
作ってあとは捨てたりしたそうだ。
ある恐ろしい武将は、人を生きたまま木に磔(はりつけ)にして、
腹を割いて肝臓を取り出し、まだ人が泣き叫んでいる内に
食べたそうだ。
おばあさんが食べられるという場面でお嫁さんが「身代わりに
わたしを食べてください。」と言ったり、食べられるために捕まった
夫を救うため、「夫はまだ子供がいません。食べられたら家の血が
途絶えます。代わりにわたしを食べてください。」と言って、自分が
身代わりに食べられた事があったそうだ。夫は彼女の頭蓋骨を持たさ
れて家に帰り、手厚く葬ったそうだ。
ある日、食人を好む戦国の武将が、しきりに拝んでくる男に不思議に
思い「なぜ拝む?」と聞いたら、男が「妻も子供も親もあなたに
食べられました。墓が無いのでどこで拝んでいいのかわからず、
あなたの腹を拝んでいるのでございます。」と答えたので、
武将はちょっと恥ずかしくなったそうだ。まだ人の心が残っていた
らしい。
以上、勝手に訳してみたのですが、間違っていたらごめんなさい。
なにしろ中国語が出来ないもので、、、。勉強しなくちゃね。
無理矢理、目で追っていたら読めるようになったりして!