種類にしたがって神は世界を創造された。 | 日本のお姉さん

種類にしたがって神は世界を創造された。

全ての生き物には、「種」があって、みだりに異なる「種」とは、


混ざることはない。亜種が出来ない。できても繁殖能力がない。


あっても、元の種に帰るだけだ。レオポンとかラバとか、


そういった動物は一代限りだ。自然は、思いのほか「保守的」だ。


ネコと犬が一緒にくらしても、「イヌネコ」なる子孫はできない。


「種」という大きな壁が立ちはだかっている。


聖書には、神が「種類にしたがって」この世界とその中の物、全てを


創造されたと、何度も何度もしつこいぐらいに、くり返し書かれている。


蝶が、地域によって色が変わるとか、犬でもいろいろな種類があるとか、


そんな話を言っているのではない。順応とか形状の変化の話ではない。


もし自然が、徐々に出来上がったものなら、今ある「種」の壁については


どう説明するのか。ある日突然、壁ができたのか?


聖書はひとりのデザイナーであり、知恵も人格(神格)もある霊的な存在である


神が明確な意志を持って、世界の全てを創造したと宣言している。


また、神は人を神に似たものとして創られたと、書いてある。美しいものを美しいと


感じるこころや、正しい事と道に外れた事を見極めるこころを人は持っている。


聖書は、自然界に存在する創造物によって、神の存在は明らかになっており、


全ての人には弁解の余地が無いと断定している。


エネルギーは目に見えないから存在しないなどと言う人はいない。


目に見えるものは、物質であり、初めがあり終わりがある期間限定のものでしかない。


目に見えないが、力を持ち、感情を持ち、滅びていく人類を愛し救いの道を用意している


神が、聖書を通して語りかけている。失われた人を探すために神はひとり子の


関係であるもうひとりの神を人類の罪と、死と裁きの問題を解決するために、この世に


送られた。それが昔から聖書に預言者が預言してきた、救い主イエス・キリストであると


聖書は語る。努力によっては、神に近づくことはできない。ただ、神の恵みにより、


信仰によって罪は赦され、罪の裁きである永遠の地獄から人は救われるのだと、


神は聖書から人類に語りかけ、神を信じ救われることを勧めておられる。