マチュピチュに行きたいけれど。
ペルーの人里離れた山間に、石造りの古代の都市がある。
住む人のいなくなった今もその街は、精密に組まれた石垣の
壁に囲まれて、訪れる人を待つかのように霧の中にたたずむ。
マチュピチュは、ペルーが誇る世界遺産だ。
上下水道が完備された街の跡に、今も清らかな水が音を立てて
流れているという。
誰が立てた街なのか、誰が住み、そして去っていった街なのか、
今だ謎に包まれた山の上の空中都市。それがマチュピチュだ。
いつか死ぬまでに行ってみたいわたしのあこがれの場所だ。
マチュピチュに立って、山々の連なりと空を眺めて、遠く古代に
思いをはせるんだ。冷たい空気を胸にいっぱいに吸いこんで
みたいんだ。少し高いところに登って、マチュピチュの街を上から
覗いてみたいんだ。
マチュピチュに行くには先ずアメリカに行って、それからペルーに
行くんだそうだ。40時間、飛行機に乗って、リマに行く。それからが
また長いんだそうだ。結構高いところにあるので、高山病になる人も
いるそうだ。なめてかかっては、いけないんだ。
日本のおばちゃんたちがツアーでマチュピチュに行った時、一人、
具合が悪くなった人が出たんだそうだ。
でも親切なおばちゃんたちは、具合が悪いおばちゃんを抱えて山に
登っていったんだそうだ。
ところが途中のホテルで、ついに具合が悪いおばちゃんは意識不明に
陥ったんだそうだ。
幸運なことに別の旅行団体の中に日本の女医さんがいて、おばちゃんが
高山病で瀕死の状態になっていることに気が付いてくれた。
すぐさま、女医さんは街の大病院と連絡を取り、ヘリコプターを要請して、
高山病で意識不明になったその患者さんを搬送してもらうように
してくれたんだそうだ。病院では圧力をかけたタンクが用意され、
患者さんは直ぐにタンクに入れられた。直ぐに適切な治療を始める
ことができたので、その方はなんとか一命を取り留めたのだそうだ。
体調が悪い人を無理矢理高山に連れて行ったのが仇になってしまった。
その話を新聞で読んで、マチュピチュに行くには、体力と幸運が
必要なのだと思った。女医さんが記事を書いて新聞で注意を促して
おられた。無知のまま旅行に出ないようにとのことだった。
マチュピチュに行きたいけれど、そんなに会社は休めない。
まだ若くて元気があるのに、そんなに休みは貰えない。友達のお母さんは
「定年退職してから行けば?」と言うけれど、60歳のおばさんになってから、
マチュピチュに行っても楽しいだろうか?体力は残っているだろうか?
若い時には時間があっても金が無く、そこそこ若くて金もできたら、
こんどは時間がない。うまくいかないのが日本のお姉さんだ。
大会社なら2週間のゴールデンウィークの休みがあるんだろうが、
たった2週間で、マチュピチュとアンデスを駆け抜けるのは、余りにも
寂しいバタバタした旅行なのではないか?おばちゃんになっても、
旅行はしたいけど、若い姿で遊ぶのとでは、また違うものがあるのでは
ないか?いろいろ一人で考えながらお店でドーナツを食べていたら、
後ろに座ったお婆ちゃんたちが、
「ヨン様を好きになって何が悪いのよ、ねえ!韓国に行きたいと思って
体を鍛えるようになったし、楽しみが増えて若返ったから、いいこと
ばっかりよねえ!旅行に行くからおしゃれ、するようになったし!」と、
おしゃべりしておられるのが聞こえたの。行きたいところがあるのは、
きっといいことなんだと思ったの。
60歳になっても、70歳になっても、気持ちは今と同じなのかもしれない。
マチュピチュに行けるように今から体を鍛えておかないといけないかなあ。
ヒマな人は、金を借りてでも、若い内に旅行に行ってらっしゃいね。