昭和22年4月22日に戦争は終わったのか。
横井さんは1997年に亡くなられていた。
1972年12月にも、一人隠れている人が
出てきたらしいので、本当に戦争が終わったのは
昭和47年かな。
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■2001/08/15 (水) 終戦記念日 |
本日は終戦記念日である。とはいうものの無条件降伏を打診したポツダム宣言を受諾するのを通知したのは前日であり、事実上1945年8月14日で戦争は終結している。とはいえ8月15日の玉音放送以後も戦闘は局地的ながら続いていたのである。
ざっと書いてみると本土防空戦では8月17日に横須賀航空隊が迎撃戦闘を行っている。沖縄から偵察飛行に飛来したB32(B29とは別の機体)に対して迎撃を行い、撃墜には至らなかったものの、B32搭乗員が一名機上で戦死している。防空戦闘ということで休戦協定違反には問われなかったようである。
さらに8月18日未明、北方領土の占守島にソ連軍が上陸を敢行している。ソ連軍は確かにポツダム宣言には加わっていないので戦闘状態は継続しているのだが、ソ連の参戦理由が日本のポツダム宣言受諾拒否(7月末にポツダム宣言を日本に打診した際、一旦は日本は黙殺した)に起因するとしており、日ソ中立条約の規約もあってこれは明らかにソ連の侵略行為である。戦闘は一進一退であったが、停船命令により占守島守備隊は21日停戦、23日に武装解除を行っている。その後ソ連は千島列島、色丹、国後、択捉島を占領している。今も残る北方領土問題の原因はソ連の侵略行為によるもので、この事実は日本人として忘れてはいけないものと思う。
また、占領された太平洋の島々でも生き残った人々が、ゲリラ戦を展開していた。サイパン島では昭和20年末までゲリラ戦が続き、47名が年末に投降している。ペリリュー島では昭和22年4月22日まで残存日本兵がゲリラ戦を展開している。グァムの横井庄一氏(1997年没)ルパング島の小野田寛郎氏らもこうした方々である。
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横井庄一さんが隠れていた穴
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