他国に攻められない努力
日本は昔、アメリカに戦いをいどんで負けた。
実はアメリカが石油を止めると言った時に、
戦争をしなくても2年以内に日本は経済的に
負けてアメリカの言いなりになるしかない事が
分かっていた。どっちにしても負けが決まっていた。
1年半以内に戦争を終えないと負けると
分かっている人も軍にはいた。
負けるような戦争はしてはならない。
戦争をするなら負けてはいけない。
負けそうなら、ボロボロになる前に止めなければ
ならない。
戦争は避けなければならない。
攻めてきそうな国には、攻められない努力をしなけれな
ならない。
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20年ほど前に知ったんですが、アメリカ軍が日本本土の稲
作地帯に、枯葉剤を撒く準備をしていました。
戦争末期の1945年(昭和20年)。
日本本土の南部と四国の稲作地帯に枯葉剤を撒き、日本人を
飢え死にさせようと言うんですね。
枯葉剤。
この名前は、たぶんもうご存じでしょう?
そう、アメリカ軍が後のベトナム戦争で、実際にベトナム人
の頭上から撒いた「悪魔の薬」のことです。
敵の隠れる場所を無くすためと称して、森林をこの枯葉剤で
根こそぎ枯らしてしまったんですね。
人間として信じられないことを考えたものです。
その成分は2,4,5-Tという物質。
そしてその中に、不純物として含まれていたのが塩化ダイオ
キシンなんですね。
これは史上最強の毒物です。
たとえば青酸カリ1gで数人を殺すことができるとすると、
この塩化ダイオキシンのある種のものでは2万人も殺せるほど。
これ以上の毒物はありません。
神経ガスなみの毒性ですよね。
これを、自分は飛行機という安全な場所にいながら、地上に
暮らす人間の頭上からばらまいた。
後に、この枯葉剤を浴びた母から奇形児が次々と生まれ、大
問題になったんです。
アメリカ政府でさえ、この枯葉剤が、遺伝子の損傷や奇形児、
ガン、精神の不安と大いに関係があると後になって認めたほど。
でも、ベトナムの子どもたちは一生、この影響を心と体に受
けて生きていかなくてはならないんですね。
ところで1945年当時、アメリカ政府のチームは、2個の
原爆と枯葉剤の両方を完成させ、日本本土を狙って、準備して
いたんです。
この事実を、先ほどもお話したように、ぼくは20年前ほど
に知りました。
日本の稲作地帯に枯葉剤を撒くため、B29の改造機をグア
ムに待機させていたんですね。
そして原爆の投下を先にするか、枯葉剤を先にするか。
どちらも悪魔の薬です。
最終的には原爆が先になり、ほんのちょっとした判断で、枯
葉剤の散布がなされませんでしたが、もしそれが実施されてい
たらどうなっていたでしょう。
URL/http://www.kt.rim.or.jp/~setu/yama.shtml
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