沖縄が本土の盾にされた時 | 日本のお姉さん

沖縄が本土の盾にされた時

彼は沖縄のある小さな島に住む16歳の少年だった。

戦争が、終わりに近づき、もうアメリカ軍が村の近くまで侵入していて、

明日にも村が攻められそうな状態だった。村人は夜は洞窟に隠れて

日々を過ごしていたが、見つかるのは時間の問題だった。


その日、島に派遣されていた本土の兵隊が、村人全員を集めて、

家族ごとに集まって座れと言った。ひと家族に一つ、手榴弾が渡された。


もうアメリカ軍がそこまで来ている。女、子供はアメリカ兵に見つかったら

大勢で辱めを受けるから、家族ごとに集まって、爆弾を爆発させ、

自決するようにと言うのだった。

兵隊の命令は絶対服従するものだった。アメリカ兵たちに愛する

母親と妹を渡す訳にはいかない。


村人が家族ごとに寄せ集まり、次々に手榴弾のピンを抜いて

爆死しだした。

中には、不発弾もあって、死ねない家族もあった。


男たちは全員戦争にかりだされて、母親と子供たち、そして年寄りしか、

村には残っていないのだ。どうしても、母親と妹をアメリカ兵たちから

守るため、殺さなければならない。


彼と二つ上の兄は、手榴弾のピンを引いたが、不発だった。

どうしよう?二人は顔を見合わせた。


死ねなかった家族が、近くの木の枝を折り、それでお互いを突き、

血まみれになって死んでいく姿をながめ、二人は決意した。

アメリカ兵たちから、母親と妹を守らねばならない。

二人は、木の枝を取った。

他に武器などなかった。刺しにくい木の枝を母親と妹のからだに

何度も何度も突き立てて、ついに自決させることができた。


全ての村人が死に絶えて、二人の兄弟だけが残った。後はお互いに

木の枝で刺し違えて死ねばいいのだ。


でも、同じ死ぬならアメリカ兵のいる部隊に行って突っ込めば、

敵の銃で死ねるのではないか。同じ死ぬなら、敵に向かって行って

死のう!二人は、そう覚悟して、アメリカ軍のいる場所に向かった。


ところが、アメリカ兵は、彼らを殺さず捕虜として収容した。その時、

二人の村に来て村人に自決用の手榴弾を配った本土の兵隊も、

捕虜として、アメリカ軍の場所に自ら出向いているのを見た

のだった。


その時、彼は「騙された!!」と、やっと気がついた。

彼と彼の兄は、その時から、いっさい自分達が母親と妹を木の枝で

刺し殺した事を口にしなかった。

後悔と罪の念に悩まされながら、彼は二十歳になった。

そして、ある日、自分の罪を赦すことができる神のひとり子である

イエス・キリストを知り、誰にも言うことが出来なかった罪の重荷を

降ろすことができた。神を信じ、罪の裁きから救われ、永遠の

いのちを得た。


彼は今年76歳の、キリストを伝える現役の牧師である。

無知だから騙されたとは言え、彼は自分の肉親を自分の手で

殺してしまった。愛しているから、敵の手に渡すまいとして、木の枝で

刺して殺してしまった。その罪は、神さまが赦してくださった。

「その罪は、神さまの御子(みこ)が十字架で流された血によって、

赦された。罪が赦されたことを神に感謝している。

だけどね。一日だって、あの日の事を忘れたことはないよ。」と、彼は

語るのだ。


日本政府は沖縄を本土の盾にするために、日本軍を投入した。

それも当時蝦夷(えぞ)と呼ばれ差別されていた北海道の部隊を

送り込んできたそうだ。沖縄に入るものは、全滅することが

始めから想定されていたのだ。

沖縄に送りこまれた日本兵もまた、捨て駒として使い捨てにされた

者たちなのである。

戦争が終わった後も、洞穴に隠れて、村人を殺して作物を奪い、

いつまでも出てこない日本兵もいたそうだ。


本土に原爆を落とされて、日本は終戦を迎えた。

「もしも、アメリカが原爆を落とさなければ、日本人は最後の一人までも、

アメリカ兵と戦おうとしただろう。

あの頃の日本人は、ひとり残らずそんな風に教育されていたんだ。」
そう彼は続けた。


沖縄が本土の盾にされた時、沖縄では90パーセントの人が戦争で死んだ。

その90パーセントの中に、彼の母親と妹も含まれている。