信じる者は救われるのです。 | 日本のお姉さん

信じる者は救われるのです。

お姉さんは、神さまを信じている。

だから神さまを信じていない人を見て、よくいろんなストレスに耐えて

生きていっているなと感心する。


ストレスは、自分の思い通りに人生が動かないときに、自分にかかる

負荷である。当然、思い通りにいかないことが多いので、いつも

ストレスがかかる状態で生きることになる。

ところが、ストレスがかからない状態が良いかというと、そんな事は

ないと、お姉さんは思うのだ。


ストレスが無いと、人間は「ダレてくる。」

そして、進歩が無くなる。同じ状態をキープすることになる。

それでいいと思ってしまう。

のんびりして、戦う気力が無くなる。すると、問題に立ち向かうクセが

培われないので、実際に問題が起こるとたちまち、意気消沈してしまう。

まあ、日本人みたいに、ボケた人間ができあがるワケ。


周りにストレスをかけてくる国が無いと、ボケてしまうのだ。

いつまでも保護者が必要なお子ちゃまになってしまう。

幸せかもしれないが、弱い人になる。

水産業を営む人なら良く知られている、タンクにピラニア一匹、

入れておくと、お魚がしゃきっとして、長時間移動しても、一匹も

死なないが、安全にして運ぶと、何匹も移動中に死ぬって、

話を考えてみて欲しい。

魚はピラニアを入れる事で、緊張したのだ。それでストレスがかかって、

しゃきっとなった。ゆらゆら揺らされる事にかまっていられなくなったのだ。


ストレスがかかると、作家や芸術家、音楽家は、すばらしい作品を

生み出したりする。締め切りがあると、人間は、びっくりするような

力を出す。適度なストレスは益なのだとお姉さんは思う。

火事場のバカ力も、火事というストレスで、おばあちゃんでも、タンスを担いで

逃げることが出来るような、一瞬の力が出るのだ。

オリンピック選手もそうだ。普段出ないような力が出るから記録が更新

されるのだ。


長時間のストレスは、信仰が無い者には致命的だ。希望を無くした人間は

弱い。アウシュビッツで、長くストレスに耐え、最後まで生き残った者

の中には、神さまを信じる信仰を持っている者が多かったのだそうだ。

希望を失った者から死んでいったのだそうだ。


いつまでも残るものは信仰と希望と愛だ。その内一番大切なものは愛だ。


信仰とは、神さまがいると信じる気持ちです。

そして、その神さまは、自分を愛していると知ること。

どのように知るかというと、神さまとは決して、人間を創りっぱなして、この

宇宙空間に、地球という宇宙船に必要な物を詰め込んで放り投げて

いるのでは無い。

この世界に干渉する神さまだということを、

聖書の預言や、預言を神さまから託され、聖書という手紙を世に出した

イスラエル人から知ることができる。


世界の始まりから、世界の終わりまで、神さまは聖書に預言という形で

神さまの意向というものをイスラエル人に書かせている。

そのイスラエル人は、勘違いをして、宗教行事をしていれば神さまが

喜ぶと思ってしまった。聖書からズレてしまったのだ。


聖書の意図するのは、人間がひとりひとり、神さまに自分の罪を

許してもらわなければ天国に入れないこと。

自分の努力や宗教行事では、神さまの要求を満たせないこと。

罪を赦すためには、罪のない者の犠牲が必要であること。

神さまは聖く、正しいお方なので、罪には裁きがつきものであること。

罪のない神さまのひとり子が、神さまの右の座から、

地球の人となり、預言された家系から人間の子どもとして生まれ、

最後に木にかけられ、大勢の前で裁かれること。

その神さまのお子の苦しみによって、神さまは、全人類の罪の

裁きを終わらせること。終わらせた後はよみがえって、天に帰られ

元の座に着き、信じた者の長男として天で待つこと。


それを信じる者は神さまから、罪を赦され救われること。つまり、死後

天国に行ける身分に変わること。信じない者は、裁かれること。

はっきり言えば自分の罪の罰を死後、地獄で受ける。死後には

時間の感覚など無い。つまり死後は永遠の始まりであって、生きている

時間が、神さまに出会う時間なのである。

だから、神さまを生きている間に信じなさいと、神さまが聖書で
言われている。


神さまの言いたいことは、

「信じる者は救われるのです。」ということにつきる。


神さまを信じる者は、罪を赦されたので、神さまの子どもの身分を

もらえる。当然、神さまにいろいろお祈りしてもいい。

そして、神さまは信じた者が生きている間も、聖書から語りかけ、

祈りに答え、細かく毎日信じた者を守られる。

つまり、永遠に救われるし、生きている間も常に救われる。


ストレスは、常にある。それはどの人間にも、もれなくある。

ストレスや問題の無い人間は、実は神さまから見捨てられている。

問題の無い人間は人生について、死後について、神さまについて

悪とか善とか、自分の内面のことについて、全く考える事は無い。

つまり神さまに出会うチャンスも無い。


動物のように、食べて飲んで年をとって死ぬ。

神さまがいないならそれでいい。けれども、神さまは自分で

聖書をイスラエル人に書かせて、

「わたしが神だ。他にはいない。」と、宣言する方だ。

おとなしい白ひげのおじいちゃんのイメージではない。

積極的に救いに来てくれた神さまなのである。


全ては聖書が神さまが書かせた書物かどうかにかかっている。


お姉さんは、聖書を信じる。進化は信じない。

時間は、物質を単純にするが、複雑にはしない。

いまだかって、いのちを作れた人間はいない。いのちは霊的な存在だと

思う。神さまも霊的な存在だ。見えないエネルギーだ。意志のある、

知恵のある、感情とこころのある、目に見えないパワーだ。

そしてこの世界は神さまのパワーで保たれているし、神さまの中に

わたしたちも存在していると聖書に書いてある。

神さまを信じ易いように、未来の予言も書いてくれている。


お姉さんは、才能もない口も頭も悪い人間だが、神さまは絶対

信じる。困った時は、お祈りする。

ストレスや問題にあったときは、神さまが絶対、助けてくれると

信じて祈る。神さまはわたしを愛してくれていると、確信している。

自分のひとり子を、わざわざ人間にして十字架の上で罰を

受けさせるほど愛してくれていると信じている。

イエス・キリストは聖書の預言通りのメシア(救い主)であると

信じる。世に勝つ者とはだれでしょう?イエス・キリストを信じる

者ですよ。罪が赦されていることは、わたしの強さですね。

天国に行ける永遠のいのちとは、神さまのプレゼントであって、

お姉さんの努力で行けるものではないんです。


信仰と希望と愛がお姉さんのパワーです。他には無いですね。

ストレスすらも、神さまからの訓練として受け止めますしね。


ある人が自殺しようとしている時、必要なのは、鬱病なら薬だし、

人生について悩んでいるなら、神さまの気持ちを伝えるしかない。

神さまがその人に「天国に行けるよう、神の愛を信じなさい。」と、

言われていると伝える。

いのちは神さまのもので、自分で絶ってはならないと、言うしかない。


神さまに死ぬ時期は任せなさい。

お姉さんならそう勧める。死ぬ前に神さまを信じて、天国に入れて

もらいなさい。神さまのすることを待つこと。これもお姉さんのパワー

の源だ。何もしないで待つのも、王道だ。


たとえば、会社に嫌な人がいる。積極的に妨害してくる。

お姉さんは神さまに任せて、お祈りして待つ。それだけだ。

神さまが働いてくれる。

対処の仕方も聖書や周りの人から教えてくれる。


国がうまく動いていないとする。

指導者のために、神さまに祈りなさいと、聖書には書いてある。

指導者とは、神さまが選んでいる人々なので、彼らの責任は

重いと聖書に書いてある。

彼らのために祈るのは、神さまを信じる人の仕事である。



彼らは失敗しても成功しても、自分の国を愛して、自分の国の

存続をかけて頑張る人々なのだ。和平も戦争も始める時期も

止める時期も、間違ってはならないのだ。

間違えると、自分の国民が苦しむことになる。

戦争を経験して、日本は貴重な財産を得たのだと思う。

どのように戦争になったのか、世界に伝える義務がある。

強い国が戦争を仕掛けて来る前に、戦争を回避する方法を

学んでいるはずだ。どうすれば、自分の国を繁栄させることが

できるか、知っているはずだ。

お姉さんは神さまのことを知っているので、世界に知らせる

義務があると思っている。

年はとって、おばはんになったが、経験だけはリッチになっている。


ストレスだって、自分に与えられた神さまからの試練として、柔軟な

姿勢で受け入れる。自分の弱さや愚かさを素直に受け入れる。

神さまが分かっていてくださっている。自分は弱くても神さまに

信頼しているから強いと感じる。

知恵もついた。ストレスのかかっている時は、栄養のある物を

食べる。サプリメントも摂る。一駅早く電車を降りて歩く。

自然に触れて神さまの存在を感じてみる。海や山や川辺や滝で

神さまを思い感謝する。

生きていることを感謝する。救われたことももちろん感謝する、

それは教会で感謝の気持ちを、現す。

からだを動かし汗をかく。笑えるテレビ(下品ではないもの)や、

DVDを観て、笑う。友達の家に行って、優しくしてもらう。

自分の世界を広くして、ストレスの毒を薄める。家と会社の往復なんて

とんでもない。神さまや宇宙や未来について思いをはせる。聖書を

読むのが一番だ。その時々にぴったりの文章を、神さまが読ませて

くださる。まるで、答えを教えてくださるように。

求める者に、神さまは答える方なのだと信じる。

自分の弱さや他人の弱さを赦す。神さまが赦してくれたように、、、。

お姉さんを愛してくれる全ての友人や猫たちに愛をかけてもらう。

不完全で弱くて愚かな自分を、自分で愛せない分だけ、彼らに

愛を補完してもらう。お姉さんの周りの人々は、天使だ。

神さまが遣わしてくださった、神さまの使いみたいなものだ。


こころから神さまとみんなに「ありがとう。」と言えたら、

結構元気になっている。

眠れるだけ寝て、ゆっくり過ごしてみる。休息と栄養と友の愛情と

聖書の励ましと神さまとみんなへの感謝で満たされたら、

またひとつ経験が増えて強くなったお姉さんがいる。

月を見て美しいと思い、花を見て喜びを感じるお姉さんになっている。


そして嫌だった人にも優しくできるようになっている自分がいるのに

気が付く。そしてまた神さまに感謝する。


お姉さんは、他人と比べれば、欠けているものがあると思うのだけれど、

ちょっぴりユニークで、すごく幸せな人生であったと思うし、

嫌なことも多かったけれど、そのかわり人の辛さも理解できる。

人の弱さも理解できる。だから人を励ますのも結構上手い。

人に酷いことを言うのも上手い。薬と毒を持っているような気分だ。

上手に使わないとね。優しい自分でいると、神さまも喜んで

くださるだろう。

酷いことを言って怒らせたみなさま、ごめんなさいね。

自分の性格を思えば、ひとりでいる幸せもあるなと思うし、

未来はまた違うことを考えているのかもしれないけれど、日々

神さまに頼って生きていたら、ここまで来れたなという自信がある。