サハラの色 | 日本のお姉さん

サハラの色

僕がアイラに出会ったのは、フランスの
留学先の大学の構内だった。ぼくらは同じゼミで文学を
学ぶ留学生だった。彼女とはたまたま席が近い関係で、
グループで研究発表をする仲間となり親しくなった。
きりりとつりあがった眉と、その下の意志の強そうな、
けれども長いまつげに囲まれた潤んだ黒目勝ちの瞳に
僕は夢中になった。
彼女も僕を愛するようになった。
僕らは恋人たちになったのだ。
彼女は小柄で華奢(きゃしゃ)な、カフェオレ色の肌を
した、アルジェリア人だ。小柄ながらも、彼女の
体の曲線は、僕の目には芸術だった。
高価なバイオリンが店の奥の主人の手元に大切に
しまわれ、巧みな奏者に弾かれるのを待つような、
近寄りがたい美しさだった。
その内に、彼女の故郷でフランスに対する抵抗運動が
始まり、アルジェリアからの仕送りが滞り、
彼女の経済も破綻(はたん)した。それで仕方なく
僕の下宿先に彼女も一緒に住むことになった。
しかし彼女は決して僕を近づけなかった。結婚するまでは、
何もしたくないと彼女は言って、僕はそれまでは
何もしないと約束した。
一年半、僕は耐えた。ベッドの側に、魅力的な女が
いるのに手を出せないという事が、それがどんなに若い男に
とっての地獄であるか、経験した者しか分かるまい。
本当に今でも僕は良く我慢したものだと思う。
とにかく僕は待ったのだ。アイラが自分から僕を
求めてくる時を。
僕はアイラに求婚したが、アイラは顔を曇らせて、今は、
それは無理だ、アルジェリアが平和になるまではと
繰り返すのだった。
アイラはいずれ国に帰るのだと、そして僕には卒業後は
自分の国に帰れと繰り返した。
そして、時が過ぎた。僕とアイラは寄り添って
暮らしていた。期限付きの幸せを、ひとつも無駄にしまいと
するかのように、僕らはお互いの愛情をむさぼった。
そして、ほどなく別れの日が来た。
アイラは、泣きながら独立のために戦うために
アルジェリアに帰ると言うのだ。
そして、僕らはもう二度と会えないだろうと、
彼女は言った。
「あたしが死んでも、いつか、サハラを見に来て欲しい。」
と、アイラは言った。
アイラが夜に、友人たちに会いに出るようになったのは、
ゲリラ活動の準備をするためだった。彼女の決意は固く、
僕が止めても聞き入れはしなかった。
アイラが去った後の僕はまるで抜け殻だった。僕はいつしか
大学に行く気力も無くなった。
それで荷物をまとめてアルジェリアにでかけたのだ。
どこにゲリラとして潜んでいるのかわからない彼女を
求めて僕はアルジェリアの地に立った。
「もうアイラは死んでしまったのかもしれない。」と、
僕は思い始めた。
やみくもにアイラを探しているうちに僕は病気になった。
病院で熱にうなされる僕の前に、アイラが現れた。
「アルジェリアにあなたが来てわたしを探しているなんて、

知らなかったわ。」と、アイラは僕に言った。そして、
彼女は今大変な仕事をしているので、いつ死ぬか分からない、
今日がお別れかもしれないと僕に告げた。
僕は彼女の属するゲリラ部隊に入って、彼女と行動を
共にするようになった。
そしてある日、僕らは政府軍の手に落ちた。

アルジェリア人の彼女と仲間は、広場で木にくくりつけられ、
公開処刑となった。
僕は日本の客人として、銃殺もその他の刑も許された。
彼女の最後の姿を、目に焼き付けておかなければならないと
僕は思った。それが、彼女への最後の愛情の証(あかし)で
あるかのように思った。柵の内側には、僕は入るのを
許されなかったが、必死で柵によじ登り、彼女の姿を追った。
彼女と目が合った。合ったように感じた。
僕は大声でアイラの名を叫んだ。

銃が乱射され、彼女の首ががっくりと垂れるのを僕は見ていた。
動物が吼えるような叫び声が僕の口から空に響いた。
彼女の白い服がみるみるうちに赤く染まっていくのが見えた。

それからどうなったのか僕ははっきり覚えていない。
僕は、アイラの遺体を木から降ろし、とにもかくも
村外れまで運んだのだ。
まだ温かいアイラの遺体は、なぜこんなにも重いのか
不思議だった。僕は声を上げて泣きながら、
彼女のはだしの両足をつかんで砂の上を、引きずった。
砂の上にアイラの体を引きずった跡が長く伸びてゆく。
沈みいく太陽は砂漠を赤く染めていた。
村外れの砂漠の始まる場所まで、アイラを運んだ時は、もう夜だった。
僕はぼろきれのような血だらけのアイラの遺体を、
砂の下に埋めた。気が付けばアイラの墓を抱くようにして、

僕は眠っていた。


「日本に帰ったら、サハラを絵に描いて。サハラの美しい砂を
 絵に描いて、日本のみんなに見せてあげて。」と、ゲリラ活動の
移動中、砂漠を見ながら、アイラはよく僕に言っていた。

僕は今は50歳になる。僕は生涯独身だ。別に辛くは無い。
僕は、あの時アイラと一緒に死んだのだと思っている。


日本に帰ってから僕は、砂漠の美しさを着物の上に写した。
サハラの砂の一粒一粒を、金糸銀糸で織り込んだ。
それがアイラとの約束だ。キャンバスの上よりも、サハラの
砂の輝きを、シルクと糸で表現したかったのだ。


アイラとアイラの愛したサハラの色を、

僕は生きている限り、忘れることはないだろう。


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以上は、わたしが以前、女性雑誌で読んだ日本の着物
アーティストの書いた文章を、思い出す限り書いたものです。
彼の文章はもっとすばらしかったのは言うまでもありません。
女性の名前はアイダだったかもしれません。レイラかもしれません。
雑誌には、彼の着物の写真が多数載っていました。
サハラの砂漠そのものに見えました。
彼の深い悲しみと、愛した人への想いが感じられるような作品でした。
着物としても、アートとしてもすばらしい作品でした。
彼の名前は忘れました。たしか、京都の人だと思います。

声を上げて泣きながら、愛する人の遺体の足首をつかんで
砂の上を引きずる彼の姿が、サハラの砂漠の色と共に

こころに焼きついて忘れることができません。

自由とは、いのちをかける価値があるものだと
いうことを、日本人はすっかり忘れているし、自由があること
を当たり前だと思っています。日本が手にしている自由を、ずっとずっと、
これからも手放さないように、して欲しいとわたしは願っています。

ずっと、ゲリラ活動などしなくても、いい日本でいて欲しい。

外国に攻められない日本であって欲しいし、攻めない日本で
あって欲しい。60年間、日本は平和を守り、世界に貢献してきました。
これからも、原爆を落とされた唯一の国として、
世界に正しい意見を言える国であって欲しいし、話しても
分からない国には、攻められない備えをして欲しい。核を持たずに
世界に非核を訴えるなら、アメリカに頼らなくては無防備すぎるので、
辛いところですが、、、。


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あるアルジェリアの作家は、今のアルジェリアには

一部の偏狭なイスラムの指導者たちによって、言論の

自由が犯されていると言っています。参考までに、、、。


イスラムの国は、独立したら全部、イスラム原理主義に

なっちゃうのかなあ。フランスからは自由になったが、

宗教でガチガチに縛られるのかな?


アルジェリアの女性の地位はどうなっているんだろう。

自由が欲しければ、難民になって、外国で住むしかないのかな。

日本はアメリカに負けたおかげで、

自由があって、幸せだわ。


友達のお母さんによれば、日本はアメリカに負けたから、

女性にとってはすごくいい国になっているそうだ。

昔は、女性の地位はかなり低かったらしい。



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『アンテリジャン』より

アルジェリアの作家、ジャマル・エッディヌ・ベンシェイク氏死去

アラブの遺産、アルジェリアの作家ジャマル・エッディヌ・ベンシェイク氏(75)
が、癌のため月曜日、トゥール(フランス)で死去した。

ベンシェイク氏は、フランスで文学を教えていた。特に『千夜一夜物語』の翻訳で
知られている。1250ページの改訂版がガリマールから出たばかりだ。

1930年、カサブランカで生まれたベンシェイク氏は、ソルボンヌで中世アラブ文学
を教えていた。また、アラブとモロッコ文学のフランス語の辞書を編纂した。

アルジェリアが独立して数年後、ベンシェイク氏は自らフランスに亡命し、ウア
リ・ブメディエンヌ政権(1965-1978)から受けた自由の束縛を批判した。

2001年の『政治文学集』でベンシェイク氏は、イスラミストに反対する姿勢をと
り、特に、この“一握り”が、イスラムの名においてイスラム教徒と西欧の対立を
深めると告発した。