なぜ日本は戦争をしたのか? | 日本のお姉さん

なぜ日本は戦争をしたのか?

日本は、見えない力で戦争に導かれていった。

時代の流れが、戦争しか無いという結論を、日本のトップに

判断させてしまった。

いったいどこで、逆らえないほどの流れに、日本は巻き込まれて

しまったのだろう?


昔、アジアでは、西洋諸国に植民地化されていなかったのは、

タイと日本だけだったのは、知っている者はいるのだろうか?

全てのヨーロッパの国々は、アジアを、アフリカ、中近東に次ぐ

手に入れるべき植民地として、蔑視し、

支那は、アヘン戦争以来、生糸の生産地として、搾取されっぱなしの

土地となっていた。生糸の代金として、アヘン(麻薬)を、

与えられ、昔アフリカが、金とガラス製のトンボ玉を交換していたように、

ヨーロッパに翻弄されていた。支那は、抵抗することもできず、

各都市に、ヨーロッパの治外法権の基地が出来、そこでは中国人は

犬と同じ扱いとされていた。それを見ていた日本に、ヨーロッパに対する

恐れは当然あったと、想像できる。次は日本が植民地化されるの

では?という思いは常にあっただろうし、日本はヨーロッパと

肩を並べる国になりたかったのであろう。


ロシアも、いつ日本に攻め入るか分からなかったし、アメリカも最後の

徳川幕府の支配する当時の日本に対し、一方的に貿易をせまる

強欲な国であった。日本としては、自国を守るために、最善を尽くそうと

ロシアと日ソ中立条約を交わしたり、ヨーロッパの反逆者、ドイツ、イタリアと

手を組んでヨーロッパを支配しようとする勝ち組のバスに乗り遅れまいとした。

ロシアとは、当時日本が持っていたカラフトをロシアに渡し、その代わりに

千島列島を譲り受け、日本の守りを固めようとしていた。


ドイツは再三、日本にロシアを攻めるよう要求したが、日本は応じなかった。

ロシアは日本に近い国。いたずらに戦争をするより、仲間に付けていた方が

日本としては安全であるように思われた。

そんな日本にドイツは特に、苦情も言わずにいた。


日本人はドイツから多くを学んでおり、医学もドイツ語でカルテを書くほど

であったし、ドイツに留学する者も多く、ドイツ贔屓(びいき)も多かった。

しかし、ドイツの状況と、ドイツの戦車が、ロシアで使用するには、オイル系が

寒さに弱い等、現場に入って検討する者がいなかった。

日本に来たドイツのロビーイストに引きずられたということもある。


アメリカには、日本の参戦は驚きであった。

中国は日本に侵略され、満州を盗られた時、アメリカに留学していた

政府高官の娘たちの必死のアピールに、国民の同情を買ってはいたが、

参戦には至らなかった。

アメリカは日本に、中国からの即時撤退を迫った。同時に原油の供給を

止めた。原油が手に入らないと、もって2年で日本の機能は止まる。

戦争をせずとも、日本は負ける。日本でも、なんとかこの問題から、

打開策を練ろうと、話し合いを続けるが、同時に軍を東南アジアに送り、

精力を伸ばしていく。日本としては、原油の確保のために、

どうしても、産油国と、日本までのル-トを確保したいところだ。

アメリカにも、10年間で、中国から徐々に撤退し、主権を支那に

受け渡すと申し出るもアメリカに却下される。

ハルノートには、とうてい日本が実現不可能な条件が書かれ、日本は

アメリカが戦争を仕掛けてくると確信する。

アメリカは戦争をしたかったのだ。日本がハワイを攻めるという情報も

在米日本大使館より先に、アメリカは知っていたが、その知らせは

故意なのか、郵便でハワイに郵送された。

電話も電報も使われなかった。日本大使館員は、事前に重大発表が

あるから、注意して待てと通達を受けていたのに、残業もせず、

大使館を空にして、全員帰宅しており、宣戦布告の知らせが来ても、

翻訳に手間取り、ハワイの真珠湾攻撃に、何時間か遅れて宣戦布告を

出すハメになった。アメリカは、それを最大限に利用し、自国民を

鼓舞して参戦した。


戦争は陸軍のトップ、8名で決定された。天皇は参戦を渋った。陸軍は

渋る天皇をたきつけ、「これが国民の意思です。」と言って、納得させた。

海軍の山本五十六は、後で参戦の報告を聞かされ激怒したそうだ。

軍備は十分では無く、一年か一年半の内なら勝つ見込みはあるが。

それ以上になると、分かりませんと、山本五十六は、陸軍と海軍の

会議で発言した。山本五十六は日本に勝ち目はない。少ない軍備で

勝つには、戦争の早い段階でアメリカの軍艦を潰すしかないと考え、

真珠湾攻撃を計画した。

戦闘機を従えて、軍艦を空から攻撃する方法は、当時としては画期的で

アメリカは直ぐに、手に入った日本の飛行機に改良を加え、B25,B29と

次々と新型飛行機を生産した。日本は飛行機を大量に作らず、逆に

大型戦艦ばかりに力を入れて制作した。

3年半の間に、日本は戦力を拡大しすぎ、マラッカ海峡の守りも再三の

その地の軍の要求に応えず、原油の船を援護する部隊が少なかった。

守りに力を入れず、攻めに走ったので、たちまち資源が枯渇する。

その内東京を焼夷弾で焼かれ、一気に事態を好転させたい海軍が、

護衛の飛行機も一機も残っていないままにミッドウェーに出陣して、

軍艦を全て撃沈される。サイパンなど、太平洋の島もアメリカに

全て取られ、日本はどんどん追い込まれていった。ついに自爆部隊に

アメリカに打撃を与えさせ、アメリカに厭世気分を与えて、終戦と

なることを願うしかなかった。日本はロシアにも、停戦時の仲介役を頼み、

戦争を止めることを検討するが、アメリカのトルーマンは、

日本に原爆を落とす計画実行のため、日本が停戦することを知りつつも、

ロシアに使節を送り、ロシアの日本への開戦を遅らせる工作をする。

アメリカは日本の通信を全て把握していた。レーダーも開発していた。

実はレーダーやラジオ、アンテナなどは、全て日本人の発明だったが、

日本では、それらの発明は相手にされず、アメリカの先見の明のある

会社や大学が、それらの研究をわずかな金額で日本人から買い取り、

先にアメリカの武器としていた。

良い研究をしても、アメリカに先に買われていくのは、現在も同じだ。

その辺から負けは決まっていたのかもしれない。日本にも暗号がアメリカに

読まれていると気が付いた人がいて、何度も軍に警告したが、

「調べてみたが、大丈夫である。」と、言われ相手にされない。まるで現在の

官僚たちの言動と同じである。


軍の機密が東南アジアでアメリカの手に渡った時も、会議で「アメリカに

読まれていない。」と、決定されて、軍の計画が全て読まれてしまった。

各地の軍の内部では、日常的に部下への暴力や搾取が行われ、

兵士たちが十分な食料が与えられていなかった。


現場の軍が、到底勝てそうに無いと判断し、本部に意見を申し立てても、

本部の現場を知らない机の前の偉いさんが間違った命令を多数下し、

多くの貴重な人材と機材を失わせた。軍の学校で学んだ、若い軍の偉いさんが

現場に合った作戦を立てず、古いドイツの戦闘方法を教科書通りに進めて、

戦場に最適な戦いを出来ずに敗北した。

今の日本社会に通じるものがたくさんある。日本社会の体質が戦争の負けを

決定したとも言える。

アメリカは、米兵に無駄な死者を出させないためという名目で、

原爆を次々落としていった。


呉市も狙われたが、たまたま曇りの日であったので、惨事から免れる

ことができた。日本は全土がボロボロで、どの街も焼夷弾で焼かれていた。

それでも、原爆は落とされた。今でもアメリカは、それが正しかったと考えている。


日本はアジアで始めて西洋人に楯突いた国であり、昔からの独立国であり、

誇り高き民族であった。そして始めて原爆を落とされ、徹底的に負けた国だ。

そして今も徹底的に、戦争に負けた国として、中国や韓国に罵倒され

続けているし、アメリカにコントロールされている。


中国においても、日本においても、アメリカの爆撃機は、子供でも、狙いを定めて

機銃を発射させて殺したし、汽車に向けて面白半分に一斉射撃を加えた。

汽車の中にいた人が、弾丸の幅に合わせて、一人おきにバタバタと倒れて

いったそうだ。たまたま生き残った人が証言している。

日本人は中国でそのような事はしなかったという。


アメリカは、軍艦が沈んだ後も、溺れる日本兵に向けて機銃を向けて殺したそうだ。

日本人は、敵が白旗を掲げれば「打ち方、止め!」と言って、必ず無駄な

殺しは止めた。捕虜となったアメリカ兵や、オーストラリア兵は、食料が十分与え

られず餓死する者も出たが、日本人も食料が無く苦労していたのだ、

ごぼうを与えられ「根っこを食わせた!」と、怒るアメリカ兵もいたとか。


中国では、南京で、抵抗軍のゲリラ戦の結果、日本軍も残虐な行為もした。

中国人に穴を掘らせ、その場で殺して穴に埋めるという部隊もあった。

部下に無理矢理中国人を殺すよう命令したり、女性を犯すよう強要した

部隊もあった。

戦争とは、やらねばやられるという状況の中で凄まじく醜い行いも、行われる。

日本が敗戦した後は、同じ事を中国が日本に、ロシアが日本に行った。


しかし、中国では残留日本兵は蒋介石の一言で、寛大に扱われ、

シベリア送りにされなかった者は比較的紳士的に扱われて日本に帰る事ができた。

一方シベリアでは、多くの日本兵が

20年以上も拘束され、シベリアで犯罪者や奴隷のように鉄道作りにかり出される

ことになる。シベリアで死んだ日本人は決して少なくない。

ロシアが日本が敗戦した後に、侵略してきて殺した日本人の数は、アメリカが殺した

日本人の数に比べても、あまり知られていないだけで、決して少なくはない。

シベリア抑留で殺された日本人は、原爆で死んだ犠牲者の数と等しい。


敗戦から60年が過ぎた。東京裁判でアメリカに裁かれた日本人も、日本という

国を守るために、よかれと思って始めた事が失敗し、結果として、多くの日本人と

アジアの人を苦しめる事になったことで死刑となった。

「戦争は、アメリカにそのように、仕向けられた結果として、起こった事である。」と、

東条英機は裁判で語ったという。


中国に侵略し、アメリカに楯突きた罪が裁かれたと言ってもよい。しかし、中国に

その前に侵略し、植民地化していたヨーロッパの罪や、太平洋の島々を自国のものに

した、アメリカや、原爆を投下して、一般市民を大量に殺害した罪、ロシアの中立

協定を破った罪、日本の領土を奪った罪、シベリア抑留の罪は全く裁かれていない。


日本だけが、戦争に負けたので、戦犯達が裁かれ、死刑となったのである。

彼らが、日本の代表となって、裁かれ死んだのなら、中国、韓国はこれ以上の責めを

新しい日本に負わせるべきではない。


いくら謝っても執拗に、謝罪と賠償金を請求し、日本を土下座させ、日本固有の

領土を奪い取る国、資源を奪い取ろうとしている国には、はっきりと、

戦争が終わった事を教えよう。


国と国は対等である。日本人の代表に、宗教行事までも規制し、教科書の書き換え

まで要求する国に、いつまでも土下座している必要は無い。


自国を守れず、西洋に犯されていた情けない隣国を助けるという建前で

始めた侵略も、当時の日本としては、

自国を脅かすヨーロッパの国々への恐怖心からの行動だったのではないか?

そして、アメリカが日本に実現不可能な要求を出したからなのではないか?

石油を止められたのだから、戦争をせずとも、敗戦だったのだ。


そこに至る前に、戦争を回避出来なかった、全ての過去を悔いて、新しい日本は

新しい立場で、アジアを平和に導かなければならないと思う。


自国の政権を立て直すために、いたずらに日本を憎む隣国の愚かさに

負けてはならない。

軍備をひいて、脅すなら、日本も脅しに負けないだけの軍備を持たねば

ならないし、あらゆる方法で平和の道を探らなければならないのである。


戦争に負けて卑屈になっている政策だけでは、今の不穏な事態を納めきれない。

毅然として、日本は正しいと信ずる事を主張するべきである。

それとも、全ての日本人は自分を愛し、自国を愛する思いを失っているのか?

信じるものさえ、既に失なっているのか?