スーダンの副大統領が死んでしまった。内戦を終えて副大統領になったばかりで!
スーダンでは、21年間内戦が続いていた。やっと、和平交渉で、
元反政府軍のジョン・ガラン氏が、副大統領になったばかり。
それなのに、事故で死んでしまった。
そもそも、現スーダン政権は、クーデターでいきなり出来た軍事政権。
リビアのイスラム過激派の助けを借りて、元大統領を追い出した
イスラム集団のボスが大統領になってできた独裁者の国。
中国との関係は深い。
昔、香港を治めたイギリス軍の隊長が、この地で、スーダンの英雄との
戦いに負けて戦死している。中国人は、この話を良く持ち出す。
現在では、石油採掘を手伝い、スーダンと深い友好関係を保っている。
オサマビンラディンが、ビジネスマンとして、一時期
住んでいたこともある。
突然できたイスラム国家の締め付けは厳しかった。
南のデンカ族など、キリスト教徒が多い地区の人々には受け入れ
がたいものだったので、独立を求めて内戦が始まった。
スーダン政府は、南の土地の作物を焼き払い、村ごと人が住めない
状態にして、人々を追い出し、その後地に、北のイスラム教の
入植者たちを送り込んだ。ジャングルを焼き払ったり、女、子供を
殺したり、残虐な方法で南の人々を追い込んだ。
それでも残り少ない人口で、南の人々は21年間も良く戦ったものだ。
南の人々の中には、難民となって、アメリカに逃げた者もいる。
9・11の時に、キリスト教徒であるのに、イスラム教徒と思われ、
アメリカ人に嫌われた人たちだ。その時は、窓にアメリカの国旗を
付けて誤解を解いたそうだ。
スーダンには、コプト教という、昔からのキリスト教を信じる一派が
住んでおり、彼らも迫害を受けた。外国に出る者は、現金50ドルしか、
持ち出しが許されず、規則を破った者は、死刑となる法律もあった。
イスラム教徒の旅行者は調べず、コプトの教会の息子を捕まえ、
公開処刑を行った。この時の難民が、多くアメリカやカナダに
今も難民として住んでいる。
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アフリカの雑誌のサイト、インテリジャン・コムより
スーダンの副大統領、元反政府軍のジョン・ガラン氏は先週末、
ウガンダから乗ったヘリコプターが墜落し死亡した。
「副大統領は、ウガンダから乗っていたヘリコプターが墜落して死亡した。
同ヘリコプターはスーダンの南、アモトンジ山脈に激突し、大破した。
視界が悪かった模様だ。」 と、大統領府は発表した。
「ジョン・ガランと6人の大統領専用機の乗務員も同じく絶望だ。」 と
共同声明は加えた。
ギャラング氏の政治運動、スーダン開放人民軍(SPLM)は、
政府よりも早く、同氏の死を知っていた。
SPLAと政府の調停者ラザロ・スンベイヨは、「彼は土曜日に死んだ」 と、
詳細を述べた。
スンベイヨは、「スーダン政府が、和平交渉を続けるのを願う。1月に
ハルツームとSPLAの間でかわした条約には、権力を分け合うという
合意があるからだ。」 と言う。
「和平交渉に支障がなければいいのだが。」 と続けた。
ウガンダの当事者によれば、ウガンダのヘリコプターでスーダンに戻る
途中、天候が悪くなり、ラジオの通信も途絶えたという。
ギャラング氏は、1月9日にナイロビで調印された合意に基づき、
7月9日にスーダンの副大統領に就任し、21年間におよぶ内戦に
終止符を打った。
この内戦で150万人が死に、400万人が難民となった。
ニュースでは、ギャラング氏の支持者たちが暴動を起こしたと伝えている。