コンゴの夜明けはまだ遠い
以前ルワンダでフツ族とツチ族が、恐ろしい戦争をやった。
フツ族の人口は全体の85パーセント、ツチ族は14パーセント。
2部族はいっしょに住んでいたのだが、フツ族の隣のおじちゃんたちが、ある日
殺人鬼集団と化して、ツチ族のお穣ちゃんたちを犯し、兄弟たち、ご両親、おじいちゃん、
おばあちゃんを惨殺し、村人たちを教会に集めて生きたまま焼き殺した。
ツチ族の残された女たちに、望まれないフツ族との子供が生まれた。
赤ん坊は直ぐに捨てられた。
教会は、誰からも愛されないその子たちを拾って育児園を作って育てた。
大勢が焼き殺されたその教会の跡はまだ残されている。
お互いに殺し合いをしているので、どちらが悪いと判断しにくいが、
現在では集団殺戮を繰り返すフツ族がいけないとなっている。
昔の話だと思っていたが、最近でもフツ族がコンゴで殺戮をおこなっていると
知って驚いた。実話を基にした映画「ホテル ルワンダ」は、日本では、
商売にならないとかの理由で配給されず、ビデオにすらなっていない。
日本人にはアフリカは遠くの関係のない国のようだ。
中国は積極的にアフリカ各国の政府筋に、大変愛想の良い、感じのいい中国人スタッフを
中国代表として送り込んでいる。
http://arab.fc2web.com/rwanda/tuti-futu.htm
ツチ族とフツ族
http://c-cross.cside2.com/html/bp0ri001.htm
ルワンダの大虐殺
http://blog.ishikawa-news.com/mt/archives/200408/15-1100-476.php
今でも虐殺されている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E7%B4%9B%E4%BA%89
ルワンダ紛争
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ブカヴー(RDコンゴ)
土曜日から日曜日にかけての夜、RDCの東、南キヴで、武装した男たちによって、30
人以上の住人が生きながら焼かれた。
ブカヴーの北西70kmにあるトゥルマンバの村で、ほとんどが女性の30人以上の住人
が殺され、他の50人以上が怪我をした。
犠牲者は小屋に閉じ込められ、武装した男たちによってそのまま焼かれた。
月曜日の午後に派遣されたパキスタン軍によれば、住人の証言から死者は39人だとい
う。しかしすでに埋葬されていて、確認はできない。
国連コンゴ派遣団(Monuc)は、この虐殺を激しく非難し、徹底的調査を行うと表明し
た。
住民の証言によれば、この襲撃は地方の民兵、特にルワンダ民主解放軍(FDLR)のルワ
ンダのフツ族によるものだ。
Monucによれば、カフジビエガの国立公園での最近のコンゴ軍の侮辱に対して、FDLRが
報復したとみられる。
侵略者は、国連とコンゴ当局に協力することを住人にやめさせようとした。国連軍は7
月4日からカバレ(トゥルマンバがある)とワルング(南キヴがある)で、1500人を動
員して大規模な保安のための軍事行動を行っていた。
11年間RDコンゴにあって、1994年のルワンダの虐殺に積極的に関わったとして、キガ
リが告発しているFDLRの反乱軍は、この虐殺に関与したことを否定している。
この反乱軍は3月末、武装を解きルワンダに帰ることを約束していた。この約束は死語
となり、政治的軍隊は激しく分裂している。
ルワンダと国境を接している南および北キヴーの住人はしばしば、この地域のさまざま
な武装グループが犯す、略奪、誘拐、強姦、虐殺の犠牲になっている。
5月23日、トゥルマンバにあるニンジャの集落で19人の市民が、地方の兵士に斧で
殺された。
月曜日の朝、FDLRと同盟しているコンゴの、マイマイ1000人以上の兵士が、ルシュラの
3つの村を襲った。
軍隊は暴徒の数におされて撤退を余儀なくされ、実態は明らかになっていない。
トゥルマンバの虐殺のあとMonucは、虐殺の責任者を特定するのは、FDLRの過激分子と
頻繁に変わる地方兵士を疑っているが、今のところできないと指摘した。
キヴスでの暴力の復活は、2003年に始まったRDコンゴの不安定な政治的移行と2006年の
普通選挙を非常に脅かすとみなされている。
RDコンゴ:コンゴ民主共和国
ブラザビル
コンゴ難民”海岸の失踪“の裁判が火曜日コンゴの首都で始まった。1999年、ブラザビルの海岸に到着した353人の難民が消えた。政府の高官がこの失踪に関わったとさている。
この高官たちは、「虐殺」「人道に対する罪」「戦争の罪」「暗殺」に関わったとして、裁判にかけられる。
この353人はドゥニ・サスー・ゲソ大統領の新体制に、ニンジャ義勇軍にいたと疑われ、逮捕され、以後命の保障はなかった。損害賠償請求人としての家族によれば、彼らは拷問を受け、処刑された。
ブラザビル当局と被告は真っ向から否定し、政治的陰謀を主張している。そして難民がRDコンゴ(旧ザイール)に戻る際に特殊な“手落ち”があったという以外認めない。コンゴ司法の独立を疑う、フランスに亡命した被害者の家族から、多くの告訴が出されていたが、2004年フランスの司法はそれらを無効にした。
コンゴ当局は、裁判をテレビ中継し、公平で透明であることを示すと断言したが、人間の権利の擁護団体は、当局に有利な展開を警告している。被告はプロの司法官と個人の陪審員からなる重罪裁判に出頭する。
(この裁判は延期されました)
無料メルマガ「今日のアフリカ」より。