飼い殺しの犬たち。 | 日本のお姉さん

飼い殺しの犬たち。

日本では、犬は室内でペットとしてかわいがられる犬と、

外で番犬として利用される犬の二種類いるように思う。


ペットとして飼われる犬は、部屋にペットシーツを置いてもらい、

いつでもトイレを使える。散歩にも、連れて行ってもらえる。

外の犬は、飼い主に散歩に連れていってもらい、

外で用をたす。外の犬はくさりでつながれているのが普通になっている。


外で飼われている犬は、散歩に連れて行ってもらえないと、おしっこも

ウンチもできない。それで、我慢できなくなると、悲しげな声で鳴き出す。

あまり散歩に連れて行ってもらえないとなると、くさりにつながれたまま、

そこらへんに垂れ流してしまう。


ダイエットのために、会社の帰りには、一駅前に駅を降りて、45分間歩くようにしている。

毎日ではない。お姉さんは会社の帰りはいろいろ忙しいのだ。

友達に会ったり、習い事に行ったり、スポーツクラブに行ったり、(たま~に、、、)買い物を

したり、ヘアーカットに行ったり、友達の犬を病院に連れて行ったり、

日々やることがあるので、毎日は無理なのだが、街を歩いていると、

いろんな犬に出会うんだ。


それが、かわいそうなことに、ウンチを垂れ流している犬が本当に多い!

飼い殺し状態なんだ。


工場の前につながれていた、白い秋田県風雑種のシロ(勝手に名前を付けて、そう呼んでいた)は、

一回も散歩に連れて行ってもらっていないようだった。

ご飯は白ごはんにみそ汁をかけたもの。

ウンチやおしっこは垂れ流し。冬も毛布一枚もらえず、鉄格子の小屋の中で丸まっていた。

近所の主婦が、哀れに思って、ダンボールを小屋にしいてやったり、毛布をやったり、

していたが、いつのまにか捨てられている。

わたしも、シロに冬は毛布をやったり、犬用の缶詰をやったこともあるが、

工場の犬だし、文句を言っても、「だったら、差し上げますから、もって帰って!」と、

言われると困るし、どうしようもない。

近所の主婦も、「散歩も行ってやってないみたいよ。かわいそうに、、、。」と、言っていたので、

飼い殺しだったのは事実だ。二年後ぐらいに、シロはいなくなった。死んだようだ。


道路わきの空屋の庭に、グレーのマルチーズ風雑種の小さな犬がいて、いつもお腹をすかせていた。

たまに会ったら犬用のおやつをあげていた。目が真っ白で余り物が見えないようだったが、

わたしが来ると食べ物のにおいで気が付いて、柵越しにおやつを食べていた。

タロスケと、向かいの家の少年に呼ばれていた。その家のおじいちゃんの犬のようだった。

ご飯はやっぱり白ごはんにみそ汁をかけたもの。ウンチとおしっこは垂れ流し。目が見えないから仕方が無いかもしれなかった。

ある日、タロスケがガリガリになっていた、

お腹もぺっちゃんこだ。飢えている。このままでは死ぬ。向かいの家には誰もいない。

勝手に家に連れて帰ろうかしらと思った。わたしの家には猫がいる。

玄関に置いておけば大丈夫かしら。とにかく、飼い主にきかないと、、、、。

その日はそのまま家に帰った。1月の終わりの事だった。わたしは風邪をひいてしまい、その後こじれて気管支喘息になったりで、

体調が悪く、会社に行くのもやっとな日が続いた。

2月になって、タロスケの家の前に行くと、タロスケはもういなかった。

助けることができなかった。タロスケはきっと、餓死したのだ。


立派な家の立派な犬でも、つながれっぱなしで、ウンコとおしっこを垂れ流している。

コリーに似た美しい犬だが、その子はちゃんとドッグフードをもらえている。

でも、いつみても、ウンコがころがっているので、散歩に連れて行ってもらっていないのかもしれない。

勝手に散歩に連れて行ってやりたいぐらいである。


犬が好きなので、犬を見たら友達になってしまう。でも、鎖につながれて、散歩もしてもらえず、

死んでいく犬を見ると、

「こいつらの人生(犬生)って、なんだったのだろう、、、!!」と、思う。


幸せな犬として、死んでいく犬は日本ではまだまだ少ない。

番犬として、くさりにつながれ、一日中誰にも相手にされず、白ごはんとみそしるを食べて、

ウンコとおしっこを垂れ流し、同じ風景を見ながら老衰か病気か、栄養失調で死ぬ一生って、

何なんだろう。不幸せに見えるんだけど、飼い主以外の人間は何もしてやれない。


イギリスや、アメリカだったら、アニマルレスキュー隊か、動物愛護協会が、

飼い殺し状態の犬を見かけたら、飼い主に忠告するとか、

保護して、他の可愛がってくれる飼い主を捜してくれるとか、してくれるのだろうか。


日本では、不幸な犬は死ぬまで不幸だ。


散歩をしない飼い主に飼われたら、その瞬間から、その犬の一生は、不幸だと決定してしまう。


以前、テレビで日本語がペラペラな、ドイツ人の主婦が、論文を読んでいた。

日本の犬は不幸だ。

一日中くさりにつながれ、面白くなさそうにしている。

犬は人間とふれあいを持ちたがる生き物で、愛情を示され、抱きしめられる事を願っている。

庭があるのに、なぜつなぎっぱなしにしておくのか。

ストレスをためて、ほえているのが哀れだ。

散歩は一日にたったの2回で、それも、用便を済ませるためだけの散歩で、

遊んであげている様子も無い。

一匹の犬として、犬の幸せも知らず、空しく年を重ねている。

自宅の前の犬だけではない。多くの日本の犬が。そんな飼われ方をしている。

犬として扱われていない。ただの番犬。ただの物としての扱いしか受けていない。

飽きれば保健所に簡単に電話して、処分してしまう。

同じ地球に、同じ生を受けて、共に存在するこの生き物に、

もっと愛と関心を与えてやってほしいのだ。

そんな風な事を訴えていた。ストレスをためた、不幸そうな近所の犬を見て、心を痛めているのだそうだ。


日本人は犬の命を大切にしていない。

ペットとして飼っても、都合が悪くなれば保健所のガス室送りだ。簡単に死ぬのではない。

檻の中で恐怖と絶望を味わい、捨てられた悲しみを背負ってガス室に入る。そして、

苦しみにのたうち回りながら

死んでいくのだ。中には、一回のガスで死にきれず、再度ガスを送られる犬もいるのだ。

長い長い時間、苦しみながら死んでいくのだ。

インターネットで、その様子を見たことがある。

あまりに酷い光景で、ビデオの方は見れなかった。

連続写真の方でも、十分苦しんでいる犬の姿が見て取れた。

ガス室に送られる直前の犬を撮った写真展を、最近デパートで見た。

悲しい瞳(ひとみ)で、撮影者を見ている姿だ。

でも、その犬の目は飼い主を捜している。

涙が出た。犬たちは、待っている。助けにこない飼い主を。


犬を飼うなら、散歩に連れて行くと決めてから飼って欲しい。

庭があるなら、逃げないようにして、自由に歩けるようにしてあげられないのかな。
それより、都合で犬を簡単に保健所に渡さないで欲しい。

ベランダで犬を飼っている人が、近所の人に臭いと怒られた。

飼い主は、あっさり犬を保健所に渡した。

近所に文句を言われるぐらいなら、犬を殺すしかないと判断したんだそうだ。

これからも臭くならないようにはできないから、犬を手放したのだそうだ。

悲しい話ではないか。

犬の飼い主に文句を言う時は、飼い主を追いつめてはならないのだ。


犬のブリーダー達も、かなり酷いことをしているそうだ。子犬が生まれた瞬間、売れそうにないのは

ひねり殺すそうだ。ペットショップの売れ残りの犬、猫も、ずっと大きくなりすぎた彼らを

養うのは費用がかかるので、保健所送りにするのだそうだ。

法律もぼちぼち整備され始めたようだが、今までどれだけの命が簡単に殺されてきたことだろう。

だいたい金儲けのために、政府の管理無しに動物を生かしたり殺したり、自由にさせておくのが

おかしい。通勤の途中に犬のブリーダーらしき場所が一軒あるが、散歩にだしている様子は無い。

たまに赤ちゃん犬が増えている。かと思えばその犬が成犬になり、お腹が大きくなっている。

たくさん犬がいるから散歩に連れて行くのは大変だろうが、犬の受難に政府も気が付いてほしい。

ずっと同じ場所で繁殖のためだけに、一生を終わるのは酷くないか?飼い主を儲けさせているのに、

散歩も連れて行ってもらえないとしたら?

友達の一人は、精液をとるだけのためにベランダの檻に入れられ、紫外線で目をやられて盲目に

なった血統書付きの立派な猫を知っているそうだ。

まだまだ日本には、酷い目にあっている犬、猫がたくさんいるにちがいない。

物を言えない動物たちの受難を日本はいつまで無視し続けるつもりなのか。

食べるための動物はどうなると、つっこまれても返答に困るが、せめてペットは最後まで

面倒を見て、良い一生を保証してやって欲しいのだ。