私の感想が間違えていなければ、
日本人の家屋の使い方は、戦後大きく変化しています。
戦後の日本の暮らしの変化にも興味があって、資料を読んだことがある。



日本は、もともと『食堂』と『寝室』という区別が曖昧というか…
ちゃぶ台を置くと、家族が食事をとる食堂になり、
ちゃぶ台をたたんで、
布団を敷くと、家族の寝室にもなるという部屋の利用をしていました。



私が、『箱膳』に興味を持ったのは、
その曖昧な空間利用を象徴してるのが、
『お膳』という考えかただなと思ったからです。
昔、冠婚葬祭が日本では自宅で行われていたのですが、
(私の母の故郷では未だに葬儀を自宅で行っている。)
何も無い空間さえあれば、
そこに集まる人数を問わず、
『お膳』を並べることで、家族の食卓から、
大勢の宴会までが、その空間でなされた
———というのが、私にすると面白く感じたのでした。
食堂と寝室どころか、宴会会場にまで化けてしまうという、
集まる人数も、ものともしない懐の広さ。



我が家は、お盆で食卓に料理を運ぶのですが、
運んだお盆を食卓にしてしまう斬新な発想…
当時、誰がコレを考えたのかは知りませんが、
ある意味、合理的だな『お膳』って
———と、感心してお膳を見ていたのでした。

面白い発想ですよね。



としをとると、足腰が痛くて、
実際は、食卓と椅子という食事のほうがラクですし、
何十人も集まる空間じたいが、
難しくなっているので、
公民館とか、
専用の施設の利用のほうが、
合理的かとは思うんですが、
(たまの会合や、人の集まりのために、広い空間を維持するのは大変
)

日本家屋の考えかたじたいが、
面白いというか、勉強にはなります。



『道具』と、暮らしかたというか、
家屋は密接に関わっているんですが、
部屋を何通りにも使うという曖昧な考えかたは、
平屋造りに畳敷き。
襖という、木枠に紙を貼っただけという仕切りにも表れていたらしい。
個人の部屋が、襖をはずすと大宴会場という考えかたなんだよね、たぶん。
別っこに広い空間を構えなくて、
普段は、襖で仕切って個別に使うって考えかたなんだと思う。
(母の故郷では、二階建て。
離れが家族の普段の部屋になっているので、
広間は別という考えかた。
こういう造りも多いと思う。)
(広間が別なんで、お膳というより、
大きな同じ塗りの食卓机が用意されている。)