自戒を込めてたらたら書いていくことにする。
私はやはりどうあがいても某PSカルトゲームの影響を受けているから、
こういうのを書くときに思うのは某シルバーうんちゃらっていうゲームの裏シナリオ(裏というかプラシーボ…)の某フリーライターの言っていたことと同じ事を思いながらこれを書くのだけど、
まあそんな余談はいいや。あれだよ、ブログなんてもんはだいたいが「自分にしかわからない言葉で、自分以外が見れる場所に書いていく行為」っていうあれだよ

元々性分として、誰でもない誰かの非難を想定しながら、そのリスクを回避していくっていうやり方をしてしまうから、たかだかブログに何かを書くだけでこんなに理由が必要になってしまうけど、
あれだ、要するにもの申したい気持ちであるし、忘れないで言語化するためにも書いていくよってことでいっちょやるでッ

   ◇   ◇

あーーー

でもなーーーー、私は自身がないくせにプライドだけは高いから、自分が出来ないことっていうのを、やっぱりこういう所でも極限まで出したくないんですよね
めんどくさい人の典型ってことはわかってるけど、例えそれがこんなネットの辺境の独り言であっても、書くを憚ってしまうんですね

こんなことをダラダラ書いてるなら、さっさと本題に入れよって、自分でも思うのですが、
昔のように無駄な自虐をひたすら書いていくよりはずっとマシで生産的な気がするから、許して欲しい。夜だから許して欲しい。ちょっとは成長しただろ

   ◇   ◇

悔しい事に、自分が存外土壇場で使えない人間であった、ようなんですね
と同時に、そうであるという事を認めるのは、悔しいのですね

なまじ今までなんとか生き延びて来た実績があるから、なんとなく出来るかなあとか思ってしまうから、出来ない事をどうしても、すんでのところで認めたくなくなってしまう
出来る出来ないかで言ったら、もちろん出来ない側の人間なんだけど、なんだろうなあ、出来ない事が多いから、少ない出来る事に頼るしかないというかなんというか

去年うちの教授に「自分の背丈にみあったことをしろ」って怒られたことがあるんですけど、
そんなん言われても、私の身長は150センチないんですよ
150センチでなにが出来ると思うんですか?普通に生きることもままなりませんよ
一般人からしたらペットの対象ですよペット、人間じゃないですよ

それでも、148センチはある人間なんです

と、開き直ってみるじゃないですか、けども、人生の経験が圧倒的に足りなくて、148センチで何が出来るかがわからないんですよ
だからとりあえず色々やってみるしかないじゃないですか
そもそもいまはその自分の持ってる148センチで何が出来るか探らないとならない期間であることはわかってるけど、
その何が出来るかわかるってことは、何が出来ないかもわかるっていうことと同義でさ

何が出来ないかをわかるっていうこは、出来ない事を認める事でもあり、
それ自体はもの凄く大切で、これから曲がり形にも行きていく上で必要な肯定である事はわかってるけど、
なんだろーなー、なんだろーじゃないですね、それを認めるのはすごく悔しい事でもあるってことなのですよ
いままで割と出来るかな?って正直思っていたし、わりと出来ていた部分もあったから勘違いしちゃっただけで、やっぱり出来ない事は出来ないっていうのも、あるんですよ

これ全然自戒じゃないな

   ◇   ◇

いや、なんだろう、自戒だっていったのは、
自分がこれは出来る、ずっとやってきた!これからもやりたい!っていうものを、
土壇場でテンパって出来なかったことがすごく悔しいって、まあそれだけなんですよ
なんでも結果が全てであるし、それはもの凄く身にしみてわかってたことなのに、
それを結果として残せなかったっていう事実が、ものすごくくやしいってだけなんですよ

今この瞬間わたしが持っている苛立というのは、
風が吹いているのにも関わらず力を尽くして精一杯生きれなかった自分に対してであって、
制度だとか周りだとかではないっていうのを、とりあえず書きたいんだけど、

相手に結果を示せる場で、その一番大切な証明を出来なかったっていう後悔が、
それだけがいまものすごく自分にのしかかっていて、それがすごく悔しいんですね
だから、それを忘れないように、いまここに書いておこうって、思ったんです

いいか、何が求められているかはわかった
(何の話をしているか絶妙にわからなくしたいけど言いたい事はいいたい複雑な気持ちのせめぎ合いがいますごいから、ここだけは完全に自分に対して記号的な言葉で書くね)

要するにあの場は、きみの言っていることを具体的に例示しろってことであって、
それがわからずただ単純に考えてしまったきみが悪かった、きみの敗因はそこにある
言われるハードルは確かに高いけど、この事をもしすぐにわかっていたら、多分、恐らく、いまよりはいい結果が出せた
あのときは、それが出来なかったからダメだった
それはきみが口だけの人間だと自分自身で烙印を押してしまった事に他ならないし、
それがいまわかったのなら、次からあの場で何をすればいいのかがわかったはずだ、次はそれをすればいい、以上

   ◇   ◇

次がないのが一番かなしいところだけど、まあ、これから生きる上でのことね
相手に伝わったものが全てであって、何を思って本来なんであるかは、関係ないのだ
なにを提示するかによって、それがなんであるかが決まる、いいか?全部結果次第 結果が全て

多分、今回このことを知れたのは、とても幸運だ
本当の意味で、なにごとも結果、表層に出た物が全てなのだ
ようすにその表層にどれだけ過程を含めるか
言ってしまえば、どんな過程でも表層が優れていれば過程も優れているように見える
私自身が二年前考えを改めたロランバルトのあれみたいなもんだよ
物事はレイヤーによって成り立って一番奥に作者の考えがあるんじゃなくて、作者の考えも時代性も一緒くたな色んな線で編込まれた一枚の布なんだよ

ようするに、結果で示せってことですよ
それがわかったので、良かった

   ◇   ◇

1000人弱の中から10人に残ったのは、確かに嬉しい
そこはまじで嬉しい、けど、そこから残れなかったのは、まあそういうことというわけで、
あーえー、まあひた隠しにしてたけど、これはそういう話だったのですよ

こんなにダラダラ書いてもどうせ後悔はしてるから全くスッキリしないし
ゼミ発表来週なのにほぼほぼ手をつけてないからまじでやばい現実逃避でしかないんだけど、
まあ今回は何を聞かれているかわからなかった、その場で頭が回らなかった私が悪かったということで、その後悔を盛大に抱きながら、このポストを締めくくろうと思います
どうでもいいけどこういう端々に出てしまう前時代のオタク感なんとかしたい
とうらぶのことがドスこれと呼ばれなくなって久しい。
ドスこれっていうの、けっこう好きだったんだけどなあ。

久しぶりに浮上しては長いポストを置いていくスタイルを貫きついでに、
やらなくなってしまったとうらぶについて思いを馳せようと思います。

今もそうですが、とうらぶを起動するたびに、いろいろな事を考えてしまうのですよ。艦これの良い部分、やろうとしていることの熱意と工夫みたいなのの所在とか……
そんでもって、とうらぶは艦これをほぼほぼ丸パクったわけだけど、そうじゃなくて、全く別の、違う形でやった方が良かったんじゃないか、とか……

艦これがやろうとしていることは、個人的にはとても好きで、だからこそずっと続けてるし同人誌も出しちゃう訳なのですが、
じゃあとうらぶはどうなのかと問われれば、様々な粗がですね、艦これが好きだからこそ見えてしまう粗がですね、あるのです。
しかもそれはただ「粗」って言ってしまえる程度のレベルのことではなくてですね、それこそ艦これにおける「ゲーム性」が、根こそぎなくなってしまうようなレベルの、「粗」なのです。

どういうことかというと、えーと、まずは艦これの良さ、もとい「ゲーム性」からだらだら喋っていきましょう。

艦これの面白さって、まずはあれです。常にユーザーにある程度の倫理観を要求する所です。
倫理観と感情移入っていうのはほぼ同義で、これは要するに艦むすを轟沈させたくないって思うアレのことです。データでしかないものに、出来るだけ感情を移入させていくシステムが、とてもとても上手く出来ていると思うのです。

ただのデータに対してどうやって感情移入させていくか。
もちろん轟沈システムっていうのはとても大きいです。それもあれど、もういくつかあります。それは、えーと、なんだろ、便宜上、今は「ドラマ性」って呼びましょう。

じゃあそのドラマ性はどこで生まれるかっていうと、艦これのゲームとしての面白さ(またの名をゲーム性)から、出ているものなのですね。

艦これはよくいわれている通り、兵站ゲーであり、運ゲーであり、育成ゲーです。
兵站を管理し、装備を揃え、艦むすを育成し、備えある資源の元でその艦の運用方法を考えながら装備を積んで、そして画面の前でひたすら祈る運ゲーです。
運ゲーなんですが、兵站と育成は、プレイヤーにゆだねられている。つまり、運ゲーの「運」の部分を、ある程度操作することが出来るんですね。
プレイヤーはどっかへ出撃するたび、出撃する海域に合った編成を考えなければならないのです。しかし、いくら装備をそろえて育成しても、完全に勝てるとは限らない。これが、艦これの楽しさです。

そんでもって、ここにこそ、ドラマ性が生まれる訳です。
ドラマ性ってのは、具体的に言うと、夜戦で姫が残りHP150とかででもあと攻撃出来るの綾波と時雨しか居ない…アッ綾波大破、頼む、頼む時雨…!お前だけが頼…よし!カァーートイーン!!!\ボゴォーン/critical259\ボガァーン/ゲージ破壊!!「…この雨と、提督のお陰だよ」ウッヒョオオオみたいな現象のことです。
よくやった時雨ェ!!綾波も、よく中破で照明灯と照明弾打ってくれた…!;;;という状態に陥りますよね。

艦これはやっぱりコレクションゲームなので、艦むす達をこれくしょんするゲーム、要するに「収集」というゲーム要素が、もちろんあります。
そしてそうやって「収集」した艦むすを「育成」し、「兵站」で支えながら、「運用」していくわけです。
「運用」っていうのは、なんだろ、用兵……って言ったほうがよいのかな。ポケモンでいうと手持ちパーティー六体の編成だけして実際の戦闘はポケモン達に任せるって事が言いたい。……ん?「編成」でいいのか

とにかく、そうやって手塩にかかった艦むすたちは、出撃していく、結果は、本人たちの頑張り次第――もとい、「運」次第。こうした構図が、絶妙なバランスで綺麗に成り立っているゲームが、艦これ、だと思うのです。
そしてこれを引き立てるためのバランス調整が、とてもとても上手い、と思うのです。イベント海域の難易度とか。

どうしてもこっちからは左右できない要素があるからこそ、そこにドラマ性が生まれるのです。
時雨はいつ大破したっておかしくないのに、決めるところはちゃんと決めてくれる。時雨ちゃんが大天使だってこと、はっきりわかんだね

(これは余談なのですが、プレイヤーを「提督」とするのは、ほんとにほんとに上手いと思いました。あくまで全体の指揮はするけど、各艦の運用はしない……ほんとに提督だ……となりました。)

とまあ、艦これのキャラに対する愛っていうのはこうした緻密に組み上げられたもので、ある程度ちゃんとやっている人間、というかやってしまう人間に嫁艦が出来てしまうのは自然の摂理なんじゃ。
そして、艦これというゲームには、この流れに最適なシステム、UIが組み上がっているという訳です。

艦これととうらぶの小さな違いは、今言ってきたような「ゲーム性」を目指しているか、目指していないかという点で見ると、それはそれは大きい違いになるのです。


とうらぶは、端的に言ってしまえば、こうした艦これにおけるゲーム性を軽視しすぎました。
UIやらシステムやらを丸パクったはいいけど、そこで成り立っていたゲーム性はパクれなかった、それがいまのとうらぶ、だと考えています。

とうらぶやってる人にはわかると思うんですが、とうらぶって完全に作業ゲーなのです。レベルの高い戦闘区域に行っても編成によるルート変化なんてないし、装備も変える必要がない。補給もいらない。
艦これの「めんどくさい」部分がきれーになくなっているのですが、このいちいち手間をかけさせる「めんどくさい」部分こそ、艦これの胆だった、ということは上でグチャグチャ申しましたな。手がかかるからかわいいのだ。

とうらぶは「編成」する必要も、「兵站」に気をつける必要も、「運用」方法に頭を悩ませる事も、ないのです。悩ませることがない代わり、それぞれにあったゲーム性が、なくなってしまっているのです。

溶かした玉補給するための資材なんぞたかが知れてす。大体資材溜まるのがとても早いので、とうらぶやってて資材気にしている人なんてガンガン建造回している人くらいだと思います。
艦これでガンガン建造回したら、やばいですよね、その後なきを見る羽目になります。でもとうらぶはそうでもないですよね。この違いです。

それと運用、っていうかなんというか、とうらぶはレベル上げれりゃなんでもボコれるんですよ。運用とかあってないが如くです。
……っていうかこんなこと挙げていくとキリがないのです。細かい所を見ていけば見ていく程、艦これの「めんどくさい」部分が消えたついでに「ゲーム性」も消えたって箇所だらけなんです。
(本丸以外の所に居ても(任務とか手入の画面でも)出撃出来るとか、任務を選択しなくても勝手に消化していってくれるとかそういう"便利になった"細かいアレコレ)

艦これにはあった「ゲーム性」が薄まると、それによって成り立っていた「ドラマ性」が消える羽目になります。
そんなこんなでとうらぶは、ただ好きなキャラを育てて、何も考えずにガンガン敵を殴っていく作業ゲーム、になってしまう、というわけです。

でもですね、個人的には、それでも良いと思うのですよ。
だってそもそもとうらぶが目指している「面白さ」は、艦これと違うのです。

そしてそれは、とうらぶのオリジナル要素を上げていくと、見えてきます。キャラ同士がゲーム内で直接会話、真剣解放、数パターンの立ち絵……
っていうのは、やはり、「感情移入」させるためのファクターってやつです。
上記に挙げたことって、全部「キャラクター」への思い入れを強くさせるためのものだと思うのです。内番なんか、そうやって感情移入したキャラクターをペアにする楽しみなんてもがありますよね。

(っていうかまた余談なんだけど、擬人化系っていいよね!!!死ぬ程おいしいネタが最初から沢山あって軽率にニコニコしてしまうし感情移入してしまう!!!!!)

とうらぶのこうした特徴って、艦これの感情移入の仕方と、ちょっと毛色が違うものなんです。艦これは自分の艦隊が頑張っている姿を見て感情移入するっていう要素が非常に大きい(もちろん艦の擬人化、キャラクターとしてのアレコレも大いにありますよ)のですが、とうらぶの感情移入って、既に設定としてある種類のものなのです。
真剣解放したらウホホーイ!とはなりますけども、割と完全に運で、その可能性を考慮してそのために予め何かの布石(装備)をさせてる、とかっていうのは全くないじゃないですか。
っていうのは、やっぱり、完全に運なんですよ。盛りあがりはするけど、艦これの盛り上がりとは、やっぱり毛色の異なるものだと思うのです。

そして、でも、やっぱり自分は、だからとうらぶは悪いコンテンツだ!って言ってるわけではない、のですよ。
ただ、そもそも艦これと目指しているものが違うんじゃないのって、言いたいのです。

っていうのは要するに、艦これを丸パクる必要は全くなかったんじゃないのって言いたい、ということでもあるのです。
とうらぶは、折角良いキャラクターで、良い世界観をもってるのに、肝心のゲームシステムを、別の所を目指しているものから取ってしまったがために、損をしてんじゃないのって、言いたい訳です。
っていうかどっかから取ってくるんじゃなくて、自分たちで作れ!とも言いたい訳です。

艦これを全く考えずに、とうらぶをひとつのコンテンツとして考えると、それはそれは様々な謎が出てきます。
資材が四つである必要性ない、四つの資材を組み合わせてなんで兵が出来るんじゃい、兵を刀が装備するんですか??!?みたいな、そういうアレです。
これは「艦これでいうほにゃらら」っていう考え方しかしてないから、こういう変な所が出てきてしまうっていうことなんじゃねえのと、言いたい訳です。


こうした上辺だけのパクリは、個人的にとても嫌です。
艦これってそもそも所謂ソシャゲもと課金ポチポチゲーに対抗して作られた、という側面があるじゃないですか。
っていうのはちょっとインタビュー記事調べれば出てくる様なことで。

艦これをパクったとうらぶは、現在の所そうやった所謂ソシャゲ(課金はあまりないにしても)に似た様なものになってしまってるように、思えてならないのです。
パクるんだったらもっとちゃんと艦これの持つゲーム性が再現出来るくらいパクるか、着想だけ得てあとは全く別のオリジナルのゲームを作ってくれるとかすれば、全部解決だったのに、
中途半端にパクってしまったから、色々な弊害が出てきてしまっているのです。
このままでは単なるキャラゲーです。まあ、艦これもとうらぶも言っちゃえば"キャラゲー"なんだけどさ。

要するにここで言いたいのは、とうらぶにはとうらぶに適したシステム、UIがあった筈なのに、それを考えるのを怠ったんじゃないか、ってことです。
キャラクター「ゲーム」として、キャラに感情移入させるためのギミックを、もっともっと「刀剣乱舞」に適した形で落とし込めたんじゃないの?って事です!!以上!!


言いたい事は言ったぞ。
アッまだちょっと言いたいことあった、けど、更に煩雑になるしちょっと毛色の違うことだ……

とはいえ最近はちょいちょい増えてるものもあるので、とうらぶはとうらぶで色々試している時期なのだと思います。

けどこれ以上長くなったらやばいので、これで一旦終わりますぞ。わしはこれから堀川国広を育てなくてはならんのじゃ
じじい?こねえよ
碌にやってないのに建造ばっかするから回せない悲しみの渦に飲まれてる
台風のとき、「ちょっと畑見に行ってくるわ!」って行って帰ってこないみたいなネタが古くからありますが、台風に飛ばされて帰ってこないんではなくて、畑に落ちて、しかもその落ちた畑が深すぎてとてもじゃないが戻って来れない的な事件がありました。
それはですね、ええ、銀河◯雄伝説という、やばすぎる畑です。

事のおこりはピクとかいう支部でした。
冬コミに参戦することになっていたので、その関係で投稿用のアカウントで云々とかしていたそのときですね。
新着画像一覧に、奴が居たんですよ。奴です。ヤン・ウェンリーです。
その時(約一週間前)はまだ某銀河の伝説の事は知らなかったんですよ。名前だけは知ってて、しかも面白いらしいというか有名らしいということくらいも知っていました。
SFつうかスペースオペラ好きだと自負している以上見ておかないといけないなっていう意識すらありました。まあのんびりいつか暇な時見ようかななんて。

そんでですね、その新着画像見て、「あー絶対ワイこのキャラすきやなー何のキャラやろー」って思って開いてみたんですよ。で、あーこの人噂のぎんえいでんの人かーってなったんです。
ググってみたら、どうやらメインキャラの様子。(ということすらそのときは知らなかった)
良い機会だし、1話くらいは見てみるか!!

……………………


…………



……



死んだ


これはやばい
あの、なんていうかかんというか、これはやばいタイプのアレ
私ですね、元来ゼノギアスのシタン先生とか、でぃーぐれいまん(年がバレる)の室長とか、ああいう感じのキャラ死ぬ程好きなんですよ。あのですね、好きなんですよ。
ちょっと待ってよ、、、、これ、、、、、もう、、、メッチャ好きやん、、、、、、、
ダメだ、これはダメなタイプのアレです。ヤバい

えーーちょっと、これ、ほんと、あと何?150話分のアニメと映画3本と原作小説揃えて消化しないといけないのか???死ぬのか?????
あまりに好きすぎるキャラクターがあまりに素晴らしい行動をしているのを見ると辛いっていうアレあるじゃんすか。あまりに好きすぎて胸が苦しいっていうのはちょっと違うけど、そうじゃなくて、ニタア…ってしてしまうのとくるしい!!!!!!っていうのとアアアアアっていうのとかそういうのが折り混ざったアレ!!アレ!!!!!!!!
アレをあと150話分+映画+小説分繰り返さないといけない!!!!なんたる苦行!!!!くるしい!!!!!たすけて!!!!!!!!!

ヤン・ウェンリー、、、、ああ、、、ヤン・ウェンリー、、、、、、、
ああああ、ヤン・ウェンリーを構成する全ての要素があまりに好きすぎてもうダメだ
苦しい、、こんなに感情を揺さぶらないでほしい、、、、、なんだこれ、、なんなんだこの感情は、、、、恋?これが恋なのかな?(違う)
うううううう;;;;;;;ああああああああ;;;;;;苦しみのあまりテンションが完全に一昔前のオタクのそれ;;;;;でもオイイイイイイwとかわ言わないぞ!!!!!!これはめんどくさいオバサンとしてのプライドだ!!!!!!!!!



ヤン・ウェンリー


ヤン・ウェンリー、、、、、、、、、、、、、、



いまは、17話くらいまで来ました。
あとこれが135話+ry分繰り返さないとならないってことに絶望を感じています
ウウウウウウッッッ