海江田組、組員達御用達の喫茶店。人で賑わう店内の片隅にあるテーブルに、丈二と洋一の姿があった。
あからさまに落胆の表情を浮かべた洋一は、目の前に置かれたホットコーヒーをあおるようにグッと飲み干して深いため息をつく。

「あ〜〜〜あ…………こんなコトならアニキの話なんざ聞かなきゃヨカッタよぉ…………」

丈二はそんな洋一に対して申し訳ない気持ちも少しはあったが、気遣うそぶりも見せずに「フン!」と鼻であしらった。

「だから言っただろーが…………そう上手く行ってりゃいいいんだけどってヨ…………」

「そうだけど…………あんな風に言われたら期待しちゃうよぉ…………なのに、直系どころか舎弟頭に降格だなんて…………ショックがデカすぎっスよ…………」

「………………」

丈二は何も答えずに横を向いて胸ポケットのタバコを取り出す。すると、洋一はそんな丈二の顔を見ながら大きなため息をまた一つついた。

「梅沢一家のカシラは…………やっぱ中山の叔父さんの舎弟である清水さんが継ぐんですよネェ…………するってぇと若頭補佐はその舎弟である辻井さんかぁ…………」

「だったらナンだヨ…………?」

「イヤ………………
オヤジより一回りも年下の人達に頭ァ越されチまったなんて…………いくら舎弟頭っツったって梅沢一家ン中じゃもう…………落ち目のオヤッさんの言うことなんて誰も聞かないでしょう!?」

「まぁ………………オヤジは梅沢一家の中でも人望あるから…………誰もハナシを聞かねぇってコタぁねぇだろうけどヨ…………だがこれで…………完全に梅沢一家の相続権はなくなったナ……」

「ですよネェ…………それって現役から一歩退いたってコトでしょう?…………幹部の皆んなは強がってたケド……………………一体これから海江田組はどうなっチまうんスか…………?」

丈二は不安そうな表情の洋一の顔を一瞥すると、手にしていたタバコを灰皿に押し付けて眉間にきつくシワを寄せた。

「どうなるもこうなるも………………このままじゃ絶対に済まさネェ…………」

「え………………?
このままじゃ済まさないって…………アニキ、何かする気なんスか?」

丈二は眉間に深いシワを寄せたまま、洋一を睨むように見据えてその口を開く。

「オヤッさんに…………海江田組にナメた真似する奴ァ…………………………俺が絶対に許さねェっツーてんだよ…………!」

「は、はい??
ウチに舐めたことする奴って…………一体誰の話っスか……?」

洋一は皆目見当のつかない丈二の言葉に目を丸める。
すると、不意に佐山が2人の元へと姿を現した。

「許さねェのはコッチの話だヨ!丈二!!」

「アレ?兄貴…………?」

佐山の言葉に丈二は驚いた表情で答えると、佐山は眉間にシワを寄せて丈二に詰め寄る。

「テメー…………アレだけポケベル忘れるなって言ってただろうが!」

「えっ?ベルならここに…………」

丈二は慌ててズボンのポケットからポケベルを取り出した。

「ありゃ…………スイッチ切れてる…………」

「ったくナニやってんだこのバカッ!」

「すんません…………で、ナンすか?」

「光洋ビルの『ファンタジー』…………あそこのマスターがオメーをご指名なんだよ!…………なんかオシボリの契約の件でスグに来てくれだと…………」

「はぁ…………?」

佐山の言葉に丈二は何やら嫌な予感を感じる。すると、忘れていた2回目の人生での同じ場面がふっと脳裏に浮かんで来た。

――ナンかうっすらとだけど、この場面覚えてるナ…………前ン時はサトシや近田と一緒にいたんだっけか…………確か……この時…………――

「いいからとにかくついて来い!」

佐山は吐き捨てるようにそう言うと店のドアを開ける。その背中を追いかけるように丈二も歩き出すが、不意に立ち止まって後ろにいる洋一へと視線を向けた。

「洋一…………オメーも一緒に来い!」

「え!?お、俺も行くんスか?だって…………兄貴が呼ばれたんでしょ?」

「いいからついて来い!オメーもこれから起こるコトを見とけ!」

「は、はぁ…………?」

丈二に促され、洋一はいそいそと上着を羽織ると2人の後を追うようにして店を出た。


 
 雑居ビルの一角にある、パブ『ファンタジー』に到着した3人は、木製の分厚いドアをゆっくりと開けて店内を見渡す。すると、客席であるソファーに座るマスターの姿があった。

「ちわ~~~海江田の者ですが…………」  

佐山がマスターへと挨拶の言葉を投げかけると、客用のソファーに座っていたマスターは丈二たちに気づいて立ち上がった。

「あ!どうも……………………こちらへどうぞ…………」

佐山は、この店のマスターがオシボリの契約のことで丈二を直々に指名してきたことについて嫌な何かを感じていた。それがマスターの様子を見て確信へと変わる。マスターは何やら困った表情で額に汗を浮かべながら佐山の元へと歩いてきた。

「どうかしましたか?」

佐山はそんなマスターへと問いかけると、マスターはその目を細めて自分が座っていたソファーへと視線を送る。

「いや…………実は…………」  

その視線の先、丁度壁で死角になっていた場所に一人の男が座っていた。男はチリチリのパンチパーマに剃りこんだ細い眉、口髭にサングラスと言ったもう何処から見ても一目でヤクザと分かる風貌で、ゆっくりと立ち上がると佐山の方へと顔を向けてその口を開いた。

「どうも…………ご苦労さん…………!」

「は……い…………?」 
 
佐山はその男に見覚えがなく、思わず首を傾げてその目を丸める。すると、その男は懐から名刺入れを取り出し、中から名刺を一枚手に取ると表を向けて佐山へと差し出した。

「中山組の高木です…………」 

その名刺には、田上梅沢一家 中山組幹部 高木恒夫 と書かれていた。高木はニヤリと不敵な笑みを浮かべて再びソファーへとどすんと腰を下ろし、佐山を手招きしながら再びその口を開く。

「まぁ…………座って話しましょうヨ♡」

その言葉に、山達は断る訳にもいかず相向かいの席にゆっくりと腰を下ろし、高木へと視線を向けた。

「あの…………中山組って…………本家の若頭んトコの?」

佐山がそう問いかけると、高木は得意満面そうな表情を浮かべてその問いに答える。

「そう!
 もうすぐ総長になる中山加津夫の…………若い者ですよ♡」
   
「はぁ…………で、アタシらにナニか御用で?」

「いやネ…………今もマスターにお願いしてたところなんですが…………
………………ウチもこちらの店にオシボリを卸させて貰おうかと思いましてネ………………」 

「え…………?」

「とりあえず日に100本ほど…………」

そう話す高木の顔は先ほどまでの笑みは無く、完全に佐山を睨みつけ、まるで脅すようだった。そんな高木の態度に佐山は額に汗を滲ませて取り繕うように言葉を返す。

「い、いや…………こちらさんにはウチの方で200本卸してますから…………」 

「らしいですねぇ!マスターから伺いましたヨ…………」

「だったら…………」

「だから…………おたくはおたくで納めたらいーじゃないですか!?
ウチはウチですよ!」

とぼけた表情で飄々と話す高木に対して、マスターは困惑の表情を浮かべて声を上げる。

「そんな…………こんな店で日に300本もオシボリは使いませんよ!」

その言葉に合わせて、佐山もマスターを気遣うようにして高木へと口を開く。

「そーですよ!そりゃ無茶って言うモンですよ…………!」

「ほう…………おたくはこの店の心配までされるんですか?」

「当然でしょう!」

その瞬間。高木はそれまでの表情と打って変わり、鋭い目つきで佐山を刺すように睨みつけた。

「なら…………………………お前んトコが引いとけッ!そうすりゃ…………この店も困らんだろうが!」

「そ、そんな…………」
  
海江田組の上部団体である梅沢一家。その幹部の言葉は佐山にとって重くのしかかった。まだ山崎が若頭補佐であればもう少し違う対応が出来たであろう。だが、今の海江田組の状況で高木と揉める訳にはいかない。それがこちらの弱みに付け込んで来ていると分かっていたとしても。
そして、高木はそんなこちらの腹の内が分かっているとでも言うかの様に、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべてソファーの背もたれに身体を預けた。
 
その時。佐山の横に座っている丈二はしれっとした表情で小指を耳に突っ込み、耳の中をかくと指にふっと息を吹きかけてからその口を開いた。

「めんどくせぇコトしてんだなぁ…………中山組の幹部ってーのはよぉ………………」 

「あぁ!?ナンだとコゾー…………もう一度言ってみろ…………!」

丈二の言葉に高木の顔はみるみる真っ赤に染まり、佐山と洋一は慌てて丈二へと視線を送る。だが、丈二は眉一つ動かさずに再びその口を開いた。

「高原さん…………だっけ?えっと……高野さんか?ドッチでもいいけどヨ……天下の中山組ってーのは…………せこいヤロー共の集まりだナって言ってんだヨ……!!」  

その言葉に佐山と洋一はその顔を青ざめさせて丈二へと口を開く。

「オイ!丈二よせ!この人は…………」 

「ちょ、ちょっとアニキ!」
 
だが、高木は収まり付くはずもなく、立ち上がって丈二を見下ろしながら怒鳴り出した。

「ククク…………このチンピラが…………!テメー誰に向かってその口きいてんのか分かってんのかコラ!!」

今にも襲い掛かりそうな勢いの高木に対して、丈二も立ち上がって高木の顔を見据えて睨みつけた。

「テメーなんぞが誰だろーが知ったコッチャねーんだよ!!
んなコトよりテメー…………俺がご指名なんだろ?だったらこんな周りくどいコトしてねーで…………直接俺ンとこ来たらいいだろーが…………!」  

「ククク…………このガキャ…………!」

憤る高木を前に、丈二は「フン」と鼻で笑いながら再びその口を開く。

「しょーもネェ出来事だったから…………殆ど忘れてたケドよ?テメーのツラ見てたら色々思い出して来たゼ…………」

「アァ!?」

「テメー…………確か石川組の吉村と外兄弟なんだよな?コマシの優っツったっけか…………」

「ど、どうしてそれを…………」

丈二の言葉に高木は思わず驚いた表情を見せると、丈二は更に睨みを効かせて高木へと話し出す。

「あの外道が俺にヤられて落ち目になっちまったから…………兄弟分として仇を取りに来てるんだろ?」 

「……………………!!
 ああ…………そうだヨ!吉村んトコじゃアレがヤラれた件については海江田とコミ合わずってコトになっちまったからナ…………そりゃヨソの女に手ェ出したアレにも非があるから仕方ねェけどヨ…………だけどな……………………」

高木は再び丈二を睨みつけてその口を開く。

「アイツはあれから組ン中でも立場がなくなっチまった!テメーの言う通りすっかり落ち目になっチまって…………それが自業自得だったとしても………………俺りゃアイツがかわいそうでよォ…………!」

「フーーーーン…………そりゃあ大した兄弟愛だねェ………………でもナ…………!」

丈二は更に語気を強めて高木へと口を開く。

「あのヤローはオンナに無理矢理シャブ食わしてヤリまくってるような奴なんだゾ?
田上の人間のクセに…………そんなヤローと盃なんぞ交わしやがって……テメー…………」

「ググ………………!」

痛いところを突かれたとばかりに、高木は額に汗を滲ませて拳を握りしめる。丈二はそんな高木を前にして、その目をギラリと見開いて続ける。

「それどころかウチのオヤッさんが降格したのをいいコトに…………そこにつけ込んで来るようなキタネー真似しやがって…………!!!」

そして、丈二はギリギリと音が聞こえる程に握りしめた拳を顔の前に突き出して吠えた。

「テメー!!!

極道として恥ずかしくネーのかヨ!!

オオォ!!?」

後先のことなどどうでもいいとばかりに、丈二はまるでその身に炎を纏っているかの様な熱気を放っていた。そんな丈二の放つ熱とは対照的に、佐山は背中に冷たい汗をにじませながら丈二の肩を掴む。

「ヤメロ!!丈二!!それ以上はもう!」

そばにいる洋一もあまりの丈二の勢いに気おされ、あわあわと言葉にならないその口を上下させながら丈二を見つめる。
すると、目の前の高木は丈二の熱に当てられ、極道としても男としても登り昂る血を抑えられずに冷静な思考を失って行き、感情に流されるまま懐に隠していたドスを取り出して鞘から刃を引き抜き丈二へと向けた。

「このガキャ…………黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって……………………
海江田なんぞなぁ……ウチの枝の一つにしか過ぎネーんだ…………!!
…………ウチがその気になりゃあな…………吹いて飛ぶようなちっぽけな組なんだゾ…………!!
…………俺りゃあもう謝ってもテメーを許さねェ!テメーの血を手始めにして海江田なんぞブっ潰してやるヨ!!」

部屋の空気は、まるで息を吸うことが出来なくなるかと思うほどにどんどんと濃く、重くなって行く。そんな緊迫した空気に慣れていない一般人であるマスターは、首をちぢこませながら両手を上げて「ひぃぃぃぃ」と叫び声を上げた。そして、佐山はなんとかこの場を収めようと大粒の汗を流しながら高木へと懇願するようにしてその口を開いた。

「たっ……高木さん!俺からコイツによく話しておきますから…………この場は何とか収めて貰えませんか!」  

「アァ!?ここまで来て収めるなんて出来るか!テメー等も覚悟決めやがれ!!」
 
高木の目は、サングラスを通しても血管が太くなって網目のように浮き出ているのが分かる。その額にも同様に太い血管が浮き出ており、完全に頭に血が上っていると一目でわかった。もう冷静に話をするなど無理だと悟り、佐山達は顔を青ざめさせて行くが、丈二だけは涼しい表情で高木の前へと歩み寄って行く。

「ヤレんのかよテメーに…………田上の執行部は喧嘩御法度のおふれを出してんだろ?なのに身内同士で殺し合いなんざしたら…………中山の叔父さんの立場無くなるんじゃネーの?」 

「そんなコタァ……テメーなんぞに言われネーでも分かってるヨ!!
だがな…………落ち目の海江田組なんぞにここまでナメられて……天下の中山組が引けるワキャねーだろうが!!」

高木は額に汗を滲ませながら言い返すが、丈二の言葉はもっともだった。執行部が警察との関係に神経をすり減らしているこの時期に、刃傷沙汰を起こすとならば、それには相当な理由が必要となる。そして、それがどんな原因で起こったことであれ、連合内では大きな問題となるだろうし、その責任を取るにしても自分が指を詰めれば良いという訳にもいかないだろう。
しかし、カッとなってドスを抜いてしまった以上、それを簡単に降ろすことなど出来はしない。高木の心中は怒りと裏腹に焦りの気持ちが滲むように湧き上がっていた。中山組の威光を振りかざせば海江田の若い衆など簡単に芋を引く(及び腰になる)だろうと思っていたからだ。しかし、丈二にはその威光が微塵も効かないどころか、横にいる佐山もその表情が変わり、鋭い目つきになって自分を睨み付けている。

「落ち目…………?高木サン……海江田組が落ち目ってなんスか?」

「アァ!?」  

「確かにウチは…………中山組からしたら吹いて飛ぶようなちっぽけな組かも知れませんヨ。そんでオヤッさんは若頭補佐から舎弟頭に降格もしました。………………でもな………………」

佐山はそう言って一息つくと、カッとその目を見開き、吠えるように続けた。

「例え中山組での序列が変わろうと、俺たちは変わらず一丸となってオヤッさんを支えてんだ!………………どこの誰だろうと…………ウチを…………海江田組を落ち目だなんて言わせネーぞ!!」

佐山の雄々しい言葉に、高木はまるで強風が正面から身体に吹きつけるような感覚を覚えた。そして、おどおどしていた洋一も佐山の言葉に奮い立つようにして立ち上がり、その目を細くして自分を睨み付けている。
予想すらしてなかった事態に、高木の額からは止めどなく汗が滲み出ていた。
そんな中、丈二は佐山達の顔をチラリと一瞥し、少しだけ唇を緩ませた。そして直ぐにその表情をきつく強張らせ、高木を見据えてその口を開く。
 
「テメー…………勘違いしてるようだから一つ言っておくけどナ……いくら梅沢が上部団体で頭数がいようと……組がナメられて黙ってる野郎はウチにはいねぇ。
例えテメーんトコと喧嘩になったとして……テメーが言う通り海江田組が吹いて飛ぶようなモンだったとしてもなぁ……………………
テメーだけは必ず棺桶の中にブチ込んでヤルからナ!…………ウチのオヤッさんが降格しようとしてまいと…………テメーみてぇな野郎に安目を売るような奴はウチにはいねぇんだヨ!!」

「ウ…………ウゥッ…………!!」

力強い丈二の言葉に高木は何も言い返せずただ息を飲む。そして丈二は刺して下さいと言わんとばかりに高木の出したドスの先端に身体を寄せて行った。全く死を恐れてないかのように、真っ直ぐに高木を見据える丈二。その燃えるような瞳に宿っている気迫、全身に漂うオーラ、それらは高木がそれまでの極道としての人生でも味わったことのない程強大な物に感じていた。そして同時に高木の極道としての嗅覚が警鐘を鳴らし出す。この男には絶対に敵わないと。まるで悪魔の化身とでも対峙しているような、絶望感すら漂う丈二の威圧感に全身の毛穴は開き、身体中から止めどなく汗が噴き出していた。

「ハァ…………ハァ…………」 

次第にその呼吸も荒くなって行き、ドスを持つ手は小刻みに震えていた。どうしてこんな若造にこれ程までの気迫があるのか。高木には想像もつかない。そうして行くことも引くことも許されない、まるで檻の中に入れられたかのような、八方ふさがりになった絶望的とも言える感覚に全身を支配されて行く。

「どうした?…………俺を刺すんじゃネーのかヨ?天下の中山組は引けネーんだろ?」

「グ…………グググ…………コノ………………」 

煽るような丈二の言葉に高木は、奥歯が折れる程ギリギリとこすり合わせながら声を絞り出した。そしてその刹那。
丈二の右足が勢いよく高木のドスを持つ手を蹴り上げる。

「グアッ!!」

高木の腕は上へと跳ね上がり、汗で湿った手で握られていたドスは簡単にその手を離れ、くるくると回転しながら天井へと突き刺さった。
佐山達は突然起こったその出来事に言葉を発することも出来ず、ただ目を丸めて天井にぶら下がるドスを見つめ、直ぐにはっと我に返って高木へと視線を送る。すると、憔悴しきった高木は緊張の糸が切れたらしく、まるで糸の切れた人形の様にその場にへたり込んだ。
自分から丈二達に無茶苦茶な因縁を付け、ドスまで抜いたと言うのに臆して相手を打ち負かせられなかっただけでなく、そのドスすら失う始末。何より自分より全然若輩であるチンピラだと思っていた丈二に完全に敗北したと言う絶望感。喧嘩の落としどころを見失っていた高木は今、逆に安堵の気持ちさえあった。
そして、丈二はそんな高木を一瞥すると、相変わらず床にへたり込んだマスターの前へと歩み寄り、目線を合わせるようにしてしゃがんで声を掛けた。

「マスター……変なモン見せちまってすまなかったナ。まぁ、今回は身内の揉め事だったけどヨ…………でもこれでマスターも分かってくれただろ?ウチからオシボリ卸してると……こういうトキに守ってもらえるってナ!」

「は………………はひはひ……」 

マスターはだらだらと汗を流しながら両手を上げて何度もうなずく。丈二はそんなマスターににこりとほほ笑むと、すっと立ち上がって続けて口を開いた。

「まぁ、これでコイツもこの店にオシボリ卸させろなんて言わネーだろ!でも、万が一またなんか言って来たらスグに呼んでくれヨ!」 

そして、そう言うとそのまま洋一の前へと歩み寄る。 

「洋一!…………分かったか?」

「へ!?わ、分かったかって…………ナニが?」
 
突然の問いに困惑する洋一だったが、丈二はそんな洋一の様子など構わずに話を続ける。

「これからこういう輩がノーパンや青い部屋にも来るかも知れネェからナ…………そんで今日みてぇに無茶なコト言ってきやがったら……………………そん時ゃ一切相手にするコタぁネーからな?全部突っぱねてヤレ!…………分かったナ?」

「あ…………は、はい!」

「ヨシ!」 
 
丈二はにこりと笑って頷く。 すると、横にいた佐山が丈二へと口を開いた。

「でもヨ?ホントに大丈夫なのか?中山組のヒトとこんなに揉めちまってもヨォ…………そういう俺もキレちまったから人のコト言えネーけどサァ…………」 

佐山の言葉に丈二はきょとんとした表情で答える。

「まぁ…………大丈夫じゃない?…………前の人生のトキはアニキ……コイツにブチ切れてボコボコにしてたケドなにも無かったしぃ…………」 

「あ?前の人生ってナンだ?」

「へ?あ、いや…………べ、別になんでもネーよぅ…………ハハハ……」 


……………………………………………………

その後。
前の人生の時と同じようにこの件を聞いた大西が中山組へと電話を掛ける。そこで多少の言い争いが起こりはするが、大きな問題へと発展することはなかった。

前の人生ではこの件で海江田組と中山組との関係が悪化していくが、恐らくこの人生でも同じ流れになって行くのだろう。
 
だが、そんなコトは…………もう未来を知る今の俺にとっては些末なことでしかない。

来たるべき大きな分岐点とも言える場所へ向けて……やれることをやるだけだ。


俺は阿久津丈二。

10年前の渡世を生きる…………現代の渡世人だ。