人で賑わう昼下がりの喫茶店。
通りが見える窓側の席に座り、丈二は外の景色を見ながらコーヒーの注がれたカップを手にとって一口啜る。
そして、丈二の前の席には石田も座り、同様に窓の外を見ながら話し出した。

「通りの向こう、あのビルの2階がローンズエバラだ。
丁度通り側の窓の1番右側辺りが店長室になってる。
ここに来るのは初めてだろ?」

「いえ...
前の時に何度か...」

「前の時?」

「あ、いや...前に来たコトありますよ。」

「そうだったか。
そんじゃ、中の様子も知ってるんだな。」

「ええ、まぁ、一応。」

「そうか。
ならオメーも分かってるだろうけど、中に入ったら間違いなく奥にある店長室で話す事になるだろう。

俺はここで見てるからよ。

もし、何かマズイ事になったら窓をブチ割れ。
そうしたらスグに駆けつけるからよ?」

丈二は石田の方へ顔を向けて軽く頭を下げる。

「スミマセン兄さん。
こんなトコまで来てもらっちゃって。」

「なに...
俺が勝手に来たんだから気にする事ネーよ。

それより、本当に大丈夫なのか?
野郎は組に黙って大量のシャブを仕入れるルートを持ってる。
そしてそれを身内に捌かせようとする様な奴なんだぞ?

それを邪魔する様な人間が現れたなら...

恐らくは...

闇に葬ろうとするだろうな...」

石田の言葉に丈二はニヤリと笑みを浮かべる。

「俺は...
兄さんの家でシャブを見た時...それが江原のトコから来てるのを知ってました。

つまり、野郎が前からシャブいじってんのを知ってたんですヨ。

だから昨日今日思いついてこれから江原と会うワケじゃない。

俺にとっても同じコトなんですよ。

江原がこれからもシャブをいじり続けて...
身内を巻き込むようなコトが起こるなら...

俺は野郎を...」

話し方は静かに聞こえるが、ずっしりと重い丈二の言葉に石田は思わず額に汗を浮かべる。

「オメー.....
そこまでの覚悟で.....

.....

分かったヨ。
そこまで腹括ってるならもう何も言わねえ。

今回はオメーの好きなようにすりゃいいサ。

でも...

これで拗れるようなら次は俺も出張るからナ?」

「はい!

そん時ゃ...兄さんヨロシクお願いします!」

丈二は立ち上がって石田に深々と頭を下げる。
そして、ニッコリと笑みを浮かべると、そのまま1人店を後にする。
石田はその後ろ姿を見つめながら「ふぅ」と一つ息をつくと、穏やかな表情でコーヒーを口へ運ぶ。

「若えのに...
大したヤローだぜ。丈二の奴は。」

そう呟きながら少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべ、再び窓の外へと視線を向けるのだった。


程なくしてローンズエバラに到着した丈二は、若い衆に案内されて店長室へと向かう。
すると、事務所の片隅で立ったままこちらを見ている孝の姿が視界に入る。
孝は丈二を睨むでもなくただ黙って見つめていた。
そんな孝を丈二は横目で見ながら店長室へと歩く。

そして、店長室のドアを開けると、ソファーに座る江原の姿が見えた。
相変わらず高級ブランドの白いスーツを着てふんぞり返りながらこちらを見ている。
    
「ヨー来たな。
まぁ、座りや。」

そう言いながらタバコに火をつける江原を見ながら、丈二は軽く一礼して対面のソファーに座る。

「お疲れ様です兄さん。
お忙しいトコロ時間作って貰っちゃってすんません。」

恐縮そうに丈二が話すと、江原はニヤリと笑みを浮かべながら口を開く。

「何言うてんのや。
他でもない丈二チャンから話がある言われたら、そら無理矢理にでも時間なんぞ作るがな。

石田の兄さんから聞いたで。
こないだも大分活躍したようやないか。

それにしても...
おどれはゼニ作る天才か何かなんか?
ここ数週間の間でワシとのシノギも含めると1億以上のゼニ生み出すのに携わってるやろ。

いくらワシでもそーはいかんで。

そんな丈二センセイからの話やもんなぁ。
そら楽しみで昨日から眠れん程やったで!

なぁ?」

「......」

江原の問いに丈二は黙っていると、見る見る江原の眼光が鋭くなって行く。
そして、手にしていたタバコを高級そうなガラスの灰皿に押し当てるようにして消すと、再び話し出した。

「なんぞ腹にイチモツあるような面しとるのう。
オイシイ儲け話しに来たっちゅーワケでも無さそうやな。

まぁ...大体予想はついとるケドな。

.....

それにしても.....

その目や...

おどれのその目が気に食わんのや...

くだらん忠義ヅラして真っ直ぐな目しよって。

エエか...?

何処まで行っても所詮ワシらはヤクザ者や。
おどれもついこないだ山倉の一家泣かしてゼニ作ったんやろ。

そーやってワシらは少なからずとも世間から疎まれ、怯えられ、そこに付け込んでメシ食って来とるのや。

そうしてゼニ稼げる様になる為に、ワシらもぎょうさん血ぃ流しとる。

違うんか?」

「いえ.....」

深妙な面持ちで江原を見つめる丈二。
江原はそんな丈二の視線を真っ直ぐに見ながら続けて話す。

「この新宿だけでも...

海外の黒社会とそこに繋がってるモンがどん位入って来とるかおどれは知っとんのかい?

東京だけやない。

今や日本はあらゆるドラッグのマーケットとして目をつけられとる。
そんで地元のヤクザと繋がってナワバリを奪い合っとるのや。

こんな話をしとる間にも、ほんの小さなナワバリを得る為に裏ではぎょうさん血が流れ、死んどる奴もおる。

そん位クスリっちゅーモンはシノギとして強烈っちゅーコッチャ。

......

おどれ.....

石田にシャブいじらせんように手ェ貸したらしいなぁ。
ほんでそのシャブをワシが流したっちゅーコトも知っとるんよな。

ちゅーコトはなんや?
今度は石田の代わりにおどれがシャブ捌いてくれんのかい?」

全てを見透かすように話す江原の言葉に丈二は額に汗を浮かべる。
江原を前に下手なことは言えないとは思っていたが、取り繕う隙もない。
丈二は腹を決め、江原を真っ直ぐに見据えた。

「俺は.....

.....

シャブはいじらねぇ。」

その言葉に部屋の空気が凍りつく。
江原の眼光は更に強くなり、ついには殺気を纏って丈二を睨みつけていた。

「ほ〜〜〜う。
そら立派なコッチャ。

なら...おどれ、何しに来たんや!!」

その言葉に丈二は江原を鋭く睨みつける。

「もう分かってんだろ?

俺は.....

兄さんにシャブいじんのやめさせに来たんだヨ...!!」

丈二の言葉に江原はあきれたような表情でほくそ笑む。

「フフ...

おどれのよーなコゾーが...
たった1人でワシんトコにそないな話しに来よったんかい。

ワシも舐められたモンよのう! おぉ!!?

.....

せやけど.....

まぁ...そのクソ度胸だけは褒めてやるわ。

おどれは単なるアホやない。
そないな話しに来たらどうなるか知っての上で言うてんのやろうしな。」

そう言うと、江原は少しだけ落ち着いた表情に戻ってタバコを咥えて話を続けた。

「昔堅気なウチのように...
シャブはイジらんっちゅう組は少なくなって来とる。

この界隈だけで言うてもシャブだけに限らず、クスリをシノギにしとるトコなんぞ今やいくらでもあるで。

そして...
そんなトコは今やドンドン力をつけて来とる。

単にゼニ稼いで私服を肥してるだけとはちゃうで?
中国や韓国、台湾のマフィアと繋がってその力を取り込んでるのや。」

江原はそこまで話すと眉間にシワを寄せて目を見開く。

「.....

エエか?

ワシがそういう組織とパイプを持つのはなぁ.....

ウチをもっと強うして、他の組なんぞにグスッとも言わせんようにする為でもあるんやで?

つまり...

海江田組の為にやっとるっちゅーコトでもあるんや!!

分かっとんのかい? このクソボケェ!!」

力強く言い放つ江原。

そんな江原を見つめたまま丈二は少しの間押し黙る。
そして、大きく息を吐いてからゆっくりと口を開いた。

「兄さん.....

兄さんの言ってるコトは俺も知ってるし分かってるヨ...

.....

でもヨ.....

それでも...

.....

それが組織の掟を破っていい理由にはならネーだろ...?」

丈二がそう言ったその瞬間。

江原は目の前のガラスの灰皿を掴んで丈二に投げつけた。

「アホンダラァ!!」

ゴスッ!!

「ぐあっ!!」

怒声と共に投げられた灰皿は丈二の頭に鈍い音を立てて当たる。
そして、丈二はそこに手を当てると生暖かい血が溢れるように流れ、丈二の着ている白と赤のストライプのスーツにポタポタと赤い染みが広がっていった。

そんな丈二を睨みつけて江原は怒鳴る。

「おどれにそないな講釈タレられる筋合いないねんで!

そないなコトはなぁ...
承知の上でコッチはリスクとゼニかけてやっとんねん!
聞いた風なクチ聞いとるとマジで殺て(いて)もうたるぞコラァ!!」

激昂する江原。

しかし丈二はその時、傷の痛みも忘れて驚く程穏やかな心で江原を見つめていた。

ーーやっぱり.....

.....

やっぱり前の人生と比べて...
少しは変わってるんだな...

.....

江原が俺に...
自分の行いを理解させようと必死になってるもんな.....ーー

丈二は頭から流れる血が左目に入ってぼやける視界の中、江原を見つめて少しだけ微笑んだ。

そして。

丈二はソファーから降りて床に手をつく。
頭から流れる血がポタポタと床に落ちるが、そんな事は一切気にせず土下座のポーズを取る。
その姿を見た江原は少し驚いた表情を見せるが、すぐに冷酷な表情に戻って口を開いた。

「今更土下座なんぞしても...」

江原がそう言いかけると同時に丈二が口を挟む。

「兄さん...

.....頼むから...

.....

頼むからシャブはやらねぇでくれ!!」

その声は力強く、部屋の外へも響き渡るようだった。

そしてその時、事務所側のドアの横には孝が立って中の様子に聞き耳を立てていた。
微かに聞こえる丈二の声に、孝は深妙な面持ちで天井を見上げる。

「丈二......」

孝は無意識にポツリと呟くと、腕を組んで大きく息を吐いた。

そして部屋の中では、丈二の言葉で更に激昂して真っ赤な顔をした江原の姿があった。
その額は血管が浮き出て、ギリギリと言った音が聞こえるほどに拳を握りしめている。

「このガキャ...!!」

怒れる江原が丈二に詰め寄ろうとしたその時、頭を下げたまま動かない丈二が絞り出すように口を開く。

「俺が稼ぐ...!」

「あぁ!!?」

「シャブと同じってワケには行かねぇケド...

シャブの分は俺が出来るだけ兄さんの元で稼ぐから...

俺が稼げる男だってコトはアンタも分かってんだろ?

だから...!

頼むよ.....!!」

その言葉を聞いた江原は、遂に堪忍袋の尾が切れる。
そして、念の為懐に入れていたドスを取り出して鞘を引き抜くと、左手で丈二の胸ぐらを掴んで体を起こした。

「おどれがシャブの分を稼ぐやと?
ナニ寝言言うとんねん!ゴラァァ!!」

そして、顔が鮮血で染まる丈二の喉元にドスを当てて丈二の表情を見た瞬間、江原は思わず息を呑む。

まるで、殺せよと言わんとばかりに。
丈二は穏やかでなんの色もない表情で自分を見ていた。

殺さないだろうとたかをくくっているのではない。
自分が傷つく事や死を全く恐れていない。
江原は丈二をひと目見てそう感じる。

「グ....ググ...」

江原は思い切り歯を食いしばり、ドスを持つ手はプルプルと震える程力を込めて握っていた。
それと同時に江原の頭の中は様々な思いが駆け巡る。

流石にこの場所で殺すのはマズイ。
しかし、強い殺意の衝動が押し寄せて来る。

出来ればこのまま殺してしまいたい。
やはりこの男は自分とは合わない。
今始末しなければ後々足枷になるかも知れない。

だが...その後どうなるのか。
仮に丈二を殺して死体を処理し、殺した証拠が出なかったとしても、石田は間違いなく疑いを向けて来て敵対するだろう。
同様に仲西組周辺の連中も詰めてくる。
それに丈二を殺害し、万一シャブを扱っている事がバレたりしたら自身の命はないだろう。
 
そしてまた一方、江原から見て忠義に厚いタイプと思われる丈二は、自分を罠にかけようとは恐らくしてない。
最初から死ぬ気迫を持って1人で来た丈二の言葉は、嘘偽りの無い心の声であると確信が持てた。

そうした考えがぐるぐると回ると、頭に上っていた血が少しずつ降りて行く。

そして。
江原は瞳を閉じて大きく息を吐いた。

カランカラン。

次の瞬間、江原の手にしていたドスが床に転がる。

そして丈二から手を離し、江原は窓の方へと歩いてタバコを口に咥える。
冷静な自分を取り戻そうと、タバコの煙を大きく吸い込んで窓に向けてゆっくりと吐くと、そのまま窓の外を見ながら落ち着いた声で話し出した。

「ワシは.....

.....シャブはやめんで。」

ぽつりとそう言うと江原は振り返り、床にへたり込んでいる丈二を見ながらニヤリと笑う。

「せやけど....

丈二チャンには借りがあるさかいなぁ.....

それを考慮して...
考えてやらんでもないワ。

ホンマにおどれがシャブの分位のゼニ...
ウチで稼げんのなら...

手を引くか考えてやってもええ。」

すると、丈二は頭を押さえながら江原を見据えてゆっくりと立ち上がった。

「兄さん...」

「どうなんや?

飲むんか?
飲まんのか?」

「........」

少しの間丈二は黙って江原の目を見つめる。
そして、意を決したのが傍目に見ても分かる程の真剣な表情でゆっくりと口を開いた。

「分かりました。

それで.....いいっスよ...」

「ヨッシャ。

ホナそれで決まりやな。

明日またココに来い。
ワシはおらんケド孝に話通しとくさかい。

後は奴と話し合うんやな。

.....

良かったやんけ。
こんだけワシに好き勝手ブチかまして今日は自分の足で帰れるんやで。

せやけど...

ワシにあれだけの啖呵切ったんやからな。
もし、シノギを任せてワシが納得いかんような結果になったら...

もう今日のようには堪えられんで?

そこはヨー覚えておくんやな。」

「はい.....覚えときます。

それじゃ...
兄さん、これから...宜しくお願いします。」

「オウ。
頭のケガ...早よ治しとけや。」

丈二は江原に一礼して店長室のドアを開ける。
すると、店内の組員たちと顧客全員が動きを止めて血塗れの丈二へと視線を向けていた。

丈二はそんな視線を全く意に介さず、険しい表情で黙ったまま出口へと歩いて店を後にした。

........

俺たちの生き方は何度人生を繰り返しても変わりはしない。

まるで水と油のように俺たちは違う。

この3度目の人生で、最愛の人と子供を殺された憎しみは消えはしなかった。

だが.....

2度目の人生の時に、自分が歴史に介入した事によって不幸になってしまった全ての人達に同じ思いをさせたくない。

その想いだけで心の痛みも...
身体の痛みも耐えられる。

そうして今...3度目の人生で初めて水と油が混ざろうとしていた。

それまでの人生では考える事すらあり得なかった江原の懐への介入。

喫茶店で待っていた石田に支えられ、血塗れの服を着て街を歩きながら俺は考えていた。

これが...

正しい選択だったのか?...と。


俺は阿久津丈二。

己の手によって変わりゆく未来、後戻り出来ない新たな世界に不安を感じながらも真っ直ぐに我が道を歩む...

タイムスリッパーだ。