そして、山倉の家屋は江原の名義となり、丈二はそこを江原から賃貸契約を結んで借りる形となった。

畳は削れ、シミだらけの壁に囲まれた貧相な居間。

そこに山岡の持ち物は債権者に奪われていて何もなく、コタツとテレビを持参して丈二は一時的にそこで暮らす。

青い部屋は舎弟の洋一に任せ、丈二はゆっくりと横になってテレビを見ながらくつろいでいた。

 

ーさて...

ここからが本番だ。

 

俺はこの場面、前の人生では一度下手を打っている。

貫目の重さを測り間違ってしまい、白木不動産のバックについた菊水会の鷹山にあしらわれてしまった。

 

そこで俺は鷹山を拐って暴力で追い詰めた。

 

結果は若頭の助けも借りて八千万になったが、同時に鷹山の恨みも買ってしまった。

 

そして、それが後の抗争にまで影響を及ぼしてしまう.....

 

今度は一度で決めないとならない。

また前回と同じようなコトになったら...

江原がどんな行動に出るか読めない。

 

最悪菊水会と氏家組での抗争なんてコトもあり得なくはない.....

もしそんなことになってしまったら...

俺が歴史に介入したが為にまた血が流れてしまう。

 

しかし...

かと言って、あの権利書の値段をあんまり安くしようとしたら今度は江原が納得しないだろうしな.....ー

 

丈二は目の前のテレビを見ていたが、内容など全く頭に入って来なかった。

ぼーっとテレビを見ながらとりとめのない事を考えタバコをふかす。

 

すると、不意に玄関からコンコンとノックする音が聞こえた。

 

「はいはい。」

 

丈二はのそりと起き上がり、アクビを一つついて玄関を開けると、そこには柄の悪い男が二人目を細めて立っていた。

 

ー来やがったか...ー

 

「ナンのご用ですぅ?

ここの元ご主人、どっか行っちゃってて行方不明なんですケド....」

 

丈二がそう言うと男たちは丈二を押し除け土足で家の中に上がり込む。

 

「ちょっと...アンタらなんなんです?」

 

困った顔で丈二がそう言うと、スカジャンを着たチンピラ風の、いかにも下っ端の男が丈二を睨みつける。

そしてその後ろで兄貴分であろう男は黙って周りを見回していた。

この男は只者ではない空気を身にまとい、体つきもラグビー選手の様にがっしりとしていて、着ている服も高そうな革のジャケットで手には拳を守るためなのかドライバーグローブを嵌めていた。

 

丈二は、そんな後ろの男が気になって視線を向けていたが、そこを遮る様に舎弟が近づき声を荒げる。

 

「テメー、ここでナニしてんだ?」

 

「は??

ナニしてるって?

見ての通りここに住んでるんスよ。」

 

「住んでるぅ? 誰の許しで!?」

 

「え?

許しって...そりゃここの持ち主さんに決まってるじゃないですか。

他に誰がいるってんです?」

 

「出てけよ...」

 

「はぁ?」

 

「出てけっツってんだよ!!

出て行かないツーんなら.....」

 

舎弟は拳を握りしめて丈二に襲いかかる。

 

「叩き出してヤルッ!!」

 

大きく振りかぶった左手は、今から打ち込む事を丈二に伝えるには十分だった。

そして突き出された拳を丈二は簡単に交わすと、舎弟はコタツにつまずきつんのめって床に倒れ込む。

ドタバタと部屋に埃が舞い、ぶら下がった電灯が揺れていた。

 

「クソ〜〜〜〜!!」

 

舎弟は怒りをあらわに振り返る。

そしてその様子を見ていた丈二は変わらず落ち着いた表情で口を開いた。

 

「アララ...

大丈夫っスか?

いきなり殴りかかって来るんだモンな〜〜〜

俺が一体ナニしたって言うんです?」

 

その言葉にカッとなった舎弟は立ち上がろうとすると、兄貴分の男がそれを静止するように話し出した。

 

「待て...

俺が相手してやる...」

 

その言葉に舎弟はすごすごと部屋の片隅に動き、丈二と兄貴分の男が相対して並び立った。

その男が放つ威圧感は、丈二にビリビリと伝わる。

そして自然と緊張感のある面持ちに変わっていった。

 

ーただモンじゃねぇなコイツ。

確か鷹山の舎弟だったな.....一度見たコトがある...

コイツが前の時にサトシをやったのか...ー

 

丈二がそう考えていると、兄貴分の右拳が不意に飛んでくる。

それを丈二が顔を逸らせて横に交わした瞬間。

電光石火の様な返しの左が避けた丈二の顔めがけて放たれた。

 

ブオッ!! 

 

その鋭いパンチは風を切り裂き丈二の顔面に襲いかかる。

そして兄貴分の男は捉えた....と、思った瞬間。

 

自分の左腕に被せるように拳が飛んでくるのが見えた。

 

「なっ!!」

 

ボグッッ!!

 

鈍い音が部屋に響き渡り、兄貴分の男の顔が後ろに弾け飛んだ。

そしてそれを見ていた舎弟が思わず声を上げる。

 

「そ、そんな...!

兄貴の必殺のワンツーがかわされるなんて!

何モンなんだコイツ...!」

 

兄貴分の男は鼻から血を流し、一歩引いて丈二の顔を見ると、丈二は左頬を赤くしてこちらを睨んでいた。

 

「あっぶねーな!

テメー...ボクサー崩れかよ。

なんてパンチ撃ちやがるんだ...」

 

「ヤルじゃネーか...

 

強ええな...オメー...」

 

兄貴分の男は出血した鼻を手で擦るとニヤリと笑った。

その様子から根っこからケンカ好きなのが一眼でわかる。

その証拠にまるでオモチャを与えられた子供の様に瞳を輝かせながらファイティングポーズをとった。

 

その瞬間、丈二は思わず声を上げる。

 

「アァーーーッ!!」

 

その声に侵入者の男たちは思わず目を丸める。

 

「な、なんだ?」

 

驚く侵入者達のことなど意に介さず、丈二は全身の脱力感に襲われ思わず宙を見つめた。

 

ーあんまり鋭いパンチ打たれたんで思わず反撃しちまった。

 

コイツブチのめしたらダメじゃんか。

 

くやしいケドしかたねぇ...ー

 

そうして、すっかり戦うことを諦めた丈二に兄貴分の男が襲いかかる。

今度は顔面を狙うと見せかけて丈二の腹に深々と拳を突き立てた。

 

ボグッ

 

「うぐっ...!」

 

丈二は激痛に思わず体を前にかがめる。

そこに下から次の拳が突き上がり、丈二の顔が弾け飛んだ。

 

そこからは一方的な展開になり、兄貴分の男の攻撃が次々とヒットして行く。

丈二はほぼ無抵抗にその攻撃を受けていた。

兄貴分の男は反応しない丈二の姿に腹を立て、思わず声を荒げる。

 

「コラァ!!

さっきまでの勢いはどうした!」

 

そう言いながら右拳で丈二の頬を殴りつけると、丈二はふらふらとさがりながら口を開いた。

 

「ウルセェな...

コッチはコッチの事情ってのがあるんだよ...」

 

そう言い放った瞬間、兄貴分の男の蹴りが腹に突き刺さり、丈二はついに壁を背にしてへたり込んだ。

 

その様子を見て、兄貴分の男は動きを止める。

 

「フン...」

 

兄貴分の男は明らかに不満な表情を浮かべ、丈二に背を向けて舎弟に話しかけた。

 

「もういい。帰るぞ。」

 

「え.....?

は、ハイ...!」

 

そしてそのまま舎弟を連れて家を出て行った。

丈二は塞がりそうな瞼の下でその様子を見つめる。

 

ーヤロー...

好き勝手しやがって.....

 

今度どっかで見かけたらタダじゃおかねえぞ...ー

 

壁を背にして畳に座りながら、おもむろにポケットに手を突っ込みタバコを取り出して火をつける。

そして天井を見上げ、「ふぅ」と煙を吐き出し、首や手を回して身体の調子を確認していると...

 

なんと、再び玄関にさっきの男達が戻って来たのだった。

 

「はぁ...?

また...来たのかよ.....? 

 

今度って言っても...早すぎだろが。

 

1日に2回も...来るなんて...聞いてネーぞ...」

 

そんな言葉など聞く耳なくスカジャンの舎弟が丈二の目の前に立つ。

 

「何ワケの分かんネーこと言ってんだコイツ。

ワリーけど徹底的にヤレって言われたんでな。

素直に出ていかねーオメーが悪いんだぜ?」

 

そう言いながら舎弟は丈二の胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。

無抵抗の丈二はその拳を黙って見つめる。

 

ー1日に2回もボコボコにされてサトシの奴は鼻の骨折ったのか...

 

折角乗り切ったと思ったのに。

鼻が曲がっチまったら男前が台無しだぜ...ー

 

丈二は観念してぼーっとしていると、不意に舎弟の背後にいる兄貴分の男の声が聞こえて来た。

 

「...待て...」

 

「え...?」

 

舎弟はその言葉に動きを止め、拳を振り上げたまま振り返る。

 

「ソイツは...鉄砲玉みてーなモンだ。

それ以上やっても意味はねーし、万一殺しでもしたなら...

逆にコッチが不利になる。

 

.....

 

それに....」

 

兄貴分の男は丈二の側に歩み寄り、丈二の目を睨みつける。

 

「気に入らねーんだ。

コイツ程の男が無抵抗なのはよ。

 

俺のワンツーを交わしてカウンターまで入れてきたのはマグレじゃねえ。

 

そんな男が無抵抗なのをいいことに好き勝手ヤルのは...

 

性に合わねえ...」

 

そう言うと丈二に背を向け、玄関へと歩き出す。

 

「ま、待ってくれよ兄貴...」

 

舎弟も丈二のことなど構ってられず、掴んだ手を離して兄貴分の男の後ろを追って家から出て行った。

 

そして、丈二はその様子を見つめながら「ぶはぁ〜」と大きく息を吐いた。

 

ーはぁ〜〜〜!

 

なんだかよく分からネーけど乗り切ったみたいだな。

 

それにしても...

鼻をやられないでよかったヨォ...ー

 

そして丈二はゆっくりと立ち上がる。

 

「イテテテ...」

 

ふらふらと隣の部屋へと壁伝いに歩き、廊下に出ると、そこには黒電話がポツンと置いてあった。

 

「電話の名義移して使えるようにしといて良かったぜ...

とりあえず江原に電話して...

 

洋一に氷と傷薬持って来させねーとな...」

 

丈二は黒電話を腹に抱え、廊下に座って江原に電話を掛けた。

 

「丈二チャンか...

どないした? やっぱり来たんかい?」

 

「はい...

恐らく鷹山の舎弟と思われるチンピラが2人来て...暴行を受けました。」

 

「ほう...さよか。

それで...おどれは大丈夫なんか?」

 

「正直身体のアチコチ痛えっスけど...骨が折れたりするような酷いケガは避けられました。」

 

「そら良かったわ。

そんで、ソイツらの顔はちゃんと見たんやろな?」

 

「はい。

マスクもグラサンもしてなかったんでハッキリ覚えてますヨ...」

 

「ようやった。

コッチもイロイロ動いて白木不動産のバックに菊水会が絡んでるコトは調べついたわ。

 

アトは...

直接会ってハナシつけんとな。

 

白木不動産と会うのは明日やで。

おどれには這ってでも来てもらわんとアカンぞ?

イケるか...?」

 

「そりゃモチロン...行くに決まってんじゃねーっスか。」

 

「エー根性や。

ホナ明日、待っとるで。」

 

丈二は受話器を置くと、天井を見つめて大きく息を吐いた。

 

賽は投げられた。

後は江原の交渉能力に賭けるしかない。

行先は不安だが、もうなるようにしかならない。

 

丈二は、明日の交渉がどうなったとしても、自分が出来ることをやるだけだと言い聞かせて静かに瞳を閉じるのだった。