年が明け1980年初頭。
丈二は特に何をするでもなく、穏やかな日々を過ごしていた。
しばらくは抗争などもなく平和な時間が続くことを知っていたし、今の時点で出来ることもそう多くはない。
丈二はお客のいない青い部屋の片隅で、スポーツ新聞を広げてボーッと眺めていた。

ーポールマッカートニー来日か。
でも、確か逮捕されんだよなコイツ...
世界的にも大ニュースになったんだっけか。

まぁ、こんなコト覚えてても1円にもならネーけど。

「ふわぁー」と欠伸をして店の奥に視線を向けると、カオリをはじめホステス達も暇そうに談笑していた。
丈二がカオリの家に泊まった日から2人の間に壁のような空気が出来ていて、前ほど親密に話したり2人で飲みに行くなど出かけたりするようなことは無かった。
丈二はそれでいいと思ってその空気を敢えてそのまま放置していた。

そしてポケットからタバコを取り出し火をつけた。
吐き出された煙がゆらゆらと薄暗い店内で漂っているのを見つめながらまた物思いにふける。

ーこの間の1000万の件で江原と揉めることは取り敢えず回避した。
でも、このまま奴と関わらないでいるワケにもいかねえ。
こうしてる間にもアイツはシャブに手を染めてどんどん力をつけて行っちまうからな。

結局どこかで江原とは対峙しなきゃならない。

だが.....

闇雲に対立して力で押さえ込もうとしたら恐らく前の人生と一緒になっちまう。

いっそのこと...

今のうちに江原を殺っちまうコトも考えたけど、それで済む話でもないんだよな。
江原がいなくなったら今度は若頭の里見が出て来るだろうし。
里見を殺れば次は組長の氏家が変わりに親父を殺そうとするのだろうか?

そもそも、田上梅沢一家の清水や辻井も殺さなければ結局誰かしらが操られて歴史を繰り返してしまうんじゃないか?

とてもじゃないが関わってる奴らを全員殺すなんて無茶だし、仮に出来たとしてもそんなことをすれ親父は...海江田組は窮地に追い込まれる。

前の人生とは違う、何か別の方法でコイツらを何とかしないとな...ー


そして数日後の昼下がり。
海江田組の事務所では丈二、佐山、仲西の3人がソファーに座って談笑していた。
とりとめもない世間話で盛り上がっていると、珍しく若頭の大西がやって来て一緒にソファーに座り込んだ。

「丈二。
オメーに頼まれてた件なんだけどな。
丁度よさそうなのが回ってきたんだわ。」

大西の言葉に佐山はきょとんとした顔で口を開く。

「え?
丈二がカシラになにか頼み事してたんですか?」

「ああ。
キリトリの仕事がしたいらしくてな。
何日か前に相談して来たんだよ。
そしたら都合良く俺んトコに手形が回って来たんでな。」

その言葉に佐山は丈二を横目で睨む。

「テメー若頭にまでそんなコト頼んでたのかよ。
俺がいずれキリトリの仕事回してやるっツっただろが」

「だって兄貴に頼んでたらいつになるかわかんネーだろ。
実際ズッと青い部屋の切り盛りしかしてネーしよ。」

「テメー! 口答えしやがって!」

佐山が顔を赤くして立ち上がると、大西がなだめるように佐山に話し出す。

「まぁ、落ち着け。
ヤル気があるってのはいいコトじゃねーか。
本人も自信がなけりゃこんなこと頼んでこないだろうしな。
ここは兄貴分としてドンと構えて丈二がどんな仕事するのか見ていてやれや。」

「は、はぁ。若頭がそう言うなら...」

佐山は渋々ソファーに座り直すと、大西は穏やかな表情でその様子を見てから懐の手形を取り出した。
そしてその手形をテーブルの上に置く。
それは、金額の入っていない『山倉印刷』の名義で書かれた約束手形だった。

ー来た!!山倉印刷!!

やっぱりこの手形は若頭のトコに回ってくるんだ。
一か八かだったケド...
ダメ元で頼んでみて正解だったゼ。

コイツがあれば...ー

丈二が拳を握りしめて手形を見ていると、仲西が眉をひそめて話し出した。

「白地の手形...?
カシラ、コイツは一体どこから回って来たんですか?」

「氏家んトコからだよ。
大西組も若頭の勝男んトコの若い衆にキリトリ教えようと思っててな。
焦げ付いててもいいからって氏家に話しとったんだよ。」

「はぁ....なるほどネ。
と、なるとこりゃあ...いわくつきのシロモノっぽいですネ。」

「まぁ、そんなトコロだな。
コッチもそれでいいって言ってあるしな。

この山倉印刷ってートコは...
俺がざっと調べた限りでは既に一度不渡りを出していて倒産寸前だ。
土地も銀行の担保になっていて、家屋や機械も古くて資産価値もない。
江原のトコで100万融資しとったらしいが現金は全く抑えられず、変わりにこの手形を切らせたって流れだ。」

大西の話を聞いていた佐山は目を丸くして口を開く。

「それって...焦げ付いてるなんてレベルじゃないですよね...
恐らく銀行やウチ以外にも債権もってるトコあるだろうし...今すぐにでも行って張り付いてないと1円も回収出来ないんじゃ...」

「まぁ、そーだろうな。
それでもまとまったゼニが入るか微妙かもしれん。
つまり、この手形は今のトコただの紙切れだ。

だが、俺はここが白地の手形を切ったってトコロに少し引っかかってな。

まぁ、諦めずに行けば何か見つかるかもしれん。」

大西の言葉を丈二はうんうんと頷きながら聞いていた。

ー流石若頭だな...
俺の1回目の人生の時もこうやって冷静にじっくり調べて行ったからあの権利書に辿り着いたのか...ー

「若頭、是非やらせて下さい。
必ず期待に応えてみせます!」

「いいだろう。
頑張ってやってみろ。それでどうにもならなかったら俺のトコにケツ持ってこい。
何とかしてやる。
ただ、民事絡みはは言葉一つでパクられるからな?
じゅうぶん気をつけろヨ?」

「はいっ!!」

丈二は立ち上がって大西に深々と頭を下げた。

1回目の歴史ではこの手形は大西の手によって5000万もの金額になっていた。
そして、2回目の歴史では大西の手口を丈二が真似て大西の時より多い8000万もの大金に化けている。

しかし今回、金額は大した問題ではない。
丈二がこの手形を使ってやりたいこと。

それは.....。

そして数時間後、海江田組系 氏家組の事務所に1本の電話が鳴った。
末端の組員がその電話を受けると保留にして立ち上がり、応接室へと小走りで向かって行く。

そしてその先には、二代目海江田組 組員 氏家舎弟 江原慎吾(27)の姿があった。

「兄貴、お電話です。
佐山の兄さんトコの...阿久津って人か
ら...」

ソファーで寝そべっていた江原は起き上がり、白い高級そうなスーツの襟を正すとオールバックの髪を手で整えるように撫でてから振り向いた。

「あん? なんや...阿久津ゥ...?
確か佐山チャンの舎弟やったか?

なんでそないなモンがワシんトコに電話なんぞよこすんや...」