程なくして丈二とカオリは近くにあった屋台のおでん屋に並んで座っていた。
冬の澄んだ空気の中、屋台の暖かい灯火と煮物の優しい香りが寒さを忘れさせてくれる。
そんな中飲む熱燗は腹に染み渡り、更に体温が上がっていくように感じた。

そして、時折り風に乗って漂うカオリの優しい香りが丈二の胸の鼓動を少しだけ早め、また、不安や恐れの気持ちをぼやけさせて行った。

「今日、丈二チャンにあえてよかったー。」

「ンっ? どうして?」

「だってゆっくり話したかったんだモン。
いっつも丈二チャンは忙しそうにしてるし.....

それになんか、避けられてるような気がして。」

カオリの言葉に丈二はドキっとしてグラスの酒を誤魔化すようにぐいっとあおる。

「い、いや...
避けてるだなんてそんな事ネーヨ。
気のせいだろ?」

「ソーかなぁ...
でも、こうして一緒に飲んでくれてるし、私のコト嫌いって訳じゃあないのよね?」

「あったりめーだろ?
てか、ホラ、カオリはオトコいるじゃんか。
いつも迎えに来てるアイツ...
だから、なんか気を使うっつーか?」

丈二がそう言うと、カオリは少し怪訝な表情で目を細め、丈二の顔を覗き込む。

「オトコじゃないわよ。
迎えに来てくれてたお友達。
でも、丈二チャンが青い部屋で仕事するようになる頃にはもう来なくなってたケド、どーしてあのヒトのこと知ってるの?」

「え?そ、ソーだっけ。
いや、あの、それは兄貴に呼ばれて行った時にみたってゆーか...」

「そっかぁ。
確かにアノ人私が仕事終わる前からお店の前にいたもんね。」

「そ、そうだよ。
でも、最近は来てネーんだな。
えっと...気付かなかったよ。
いつから来てないんだ?」

「誰かさんに抱きしめられてから...ね。」

「はい??」

丈二は更に日本酒をあおる。

「フフ...。
いいじゃない。お友達のことなんて。
て言うか、最近の丈二チャンなんか変よ。
人が変わったって言うか。」

「そうか?
俺、オカシイ感じするかな?」
 
「カッコイイよ。」

「俺が? カッコイイ??」

「うん。なんか、シブイって言うか、落ち着いてるって言うか?
凄く雰囲気変わったよね。

お店の真知子ちゃんもミドリちゃんも言ってるよ?
丈二チャンかっこよくなったって。」

「へぇぇぇぇぇ。
そ、ソーなのかな? 自分じゃチーっとも分かんねーや。」

「そんなカッコイイ丈二チャンに突然抱きしめられて、ドキドキした私の気持ちはどう責任感とってくれるのカナ?」

「あ、いや...あん時は...」
  
「うふふ.....。
冗談よ。
なーんか話したくないみたいだし?
あんまりしつこく聞いたら嫌われそうだもん。

やっぱり丈二チャンは普通の男の子となんか違うよね。

私のこと迎えに来てたヒトね...
優しかったけど、結局エッチしたいだけだったの。
だから偉そうな事言ってても、カッコいい事言ってても何にも響かなくなっちゃって。
若い男の子ってみんなカラダ目当てって言うか、近寄ってくる人の多くはエッチな目で見てくる人ばっかりだったけど、丈二チャンから一度もそういうの感じたコトないモン。」

カオリの話を聞きながら丈二はただただ酒を飲む。
確かにカオリを抱きたいと思う気持ちはあっても、強い意志で心の奥に封印するように仕舞い込んでいた。
そして、カオリの優しさ溢れる言葉に全てを打ち明けてしまいたい衝動に駆られるが、その都度グラスを飲み干して冷静さを保っていた。

「でも、丈二チャンて...
時々凄く寂しそうな目をしてることあるよね。

なんかね、そーゆー時って近くにいるのに、まるでここにいない人みたいな感じになって、凄く心配になるの。」

「そんな目を俺がしてる?
気のせいじゃネーのかな。」  

「気のせい...なのかな。」

丈二は再び酒と一緒に自分の心をぐっと飲み込んでにっこりと微笑む。

「ああ。
気のせいだよ。

俺りゃそんな寂しがりのオトコなんかじゃねーよ。」

そう話す丈二の目を見て、カオリは今の丈二の目がそれだと感じていたが、それ以上何も言わずにグラスを傾けた。

そして、その後はたわいのない話をしながら2人はグラスを交わし、丈二はカオリを家まで送る。
しかし、丈二は急に歩いたのが引き金となって酔いが回りふらふらになってしまう。
歩いて程なくの場所にある、こ綺麗なマンションに着く頃には目の前がクルクルと回っていた。

「チョット、丈二チャン大丈夫?」

「んあ?んー...だ、大丈夫だ..よ。」

「少しウチで休んで行ったら?
それでお水飲んだ方がいいよ。」

「だ、だいじょーぶだってェ...」

そう言いつつも絵に描いたような千鳥足の丈二の腕をカオリは肩に回して身体を支えた。

「んもう。全然大丈夫じゃないじゃない。」

カオリは丈二とエレベーターに乗ってようやく自分の家に到着し、ドアを開けるとそのまま玄関を入って直ぐの廊下に丈二を座らせる。

「丈二チャンちょっと待ってて。お水持ってくるから。」

カオリはうなだれるように座り込む丈二を心配そうに見つめると、小走りでコップに水を汲みにキッチンへと向かう。
そして急いで丈二の元に戻り、横に座って水を飲ませようとしたその時。
 
ふっと丈二の顔がカオリの目の前に近づき、そのまま重なるように2人は体を合わせ、カオリはその重さに耐えられず丈二に押し倒される形で後ろへと倒れ込んだ。

「きゃ!
ちょ、ちょっと丈二チャン?」

カランカラン。

手に持っていたグラスは床に投げ出され、幸いなことに割れはしなかったが廊下が水浸しになる。

仰向けに寝そべるカオリの上に丈二が覆い被さり、2人は廊下の上で抱き合っていた。

カオリの胸の鼓動はどんどん早くなっていき、丈二の温もりに心を委ねるように背中へと手を回した。

「丈二チャン.....

ダメ.....

こんなところじゃ.....」

丈二の耳元でささやくようにカオリは呟いたが、丈二からはなんの反応もない。
それどころか、やがて「すーっ、すーっ」と寝息が聞こえてきた。

ーもう.....。
丈二チャンったら寝ちゃってる。

本当に...。
しっかりしてる大人なヒトなのかウブな男の子なのか.....分からないヒトね。ー

カオリはそう思いながら、丈二の背中を両手でぎゅっと抱きしめていた。


眩しい朝日が大きな窓から差し込んでいた。
隅々まで掃除されたこ綺麗なマンションのリビングルームに置かれたダイニングテーブルに丈二は座って外を眺めていた。
テーブルはおしゃれな花柄のクロスが敷かれ、そこにちょこんとティーカップが置かれている。
豪華絢爛といったものではなく、シンプルで可愛らしいカップの中には紅茶が注がれていた。

丈二は背もたれに身体を預けながら窓の外に目を移すと、どこまでも続く青空が広がり、時折り鳥の往来する姿が見える。

そんな落ち着いた空間に流れる穏やかな時間が、丈二の心をまるで洗い流すように穏やかにさせて行った。

すると、不意にリビングのドアが空いてカオリが中へ入ってきた。
髪は黒く染まり、白いセーターにロングスカートの落ち着いた格好。
そしてなにより優しい瞳をしている。

カオリは丈二の横を歩きながら微笑みかけると、そのまま対面の椅子に座り再び微笑む。
そして、穏やかな表情のままゆっくりと口を開いた。

「丈二ちゃん、お疲れ様。
なんか色々あるみたいだから疲れてるでショ?大丈夫なの?」

その優しい口調に丈二も応えるように微笑みながら話し出す。

「ありがとう、カオリ。
確かに疲れてるかもだけど、俺は大丈夫だよ。」

「本当に?
昔から丈二ちゃんは無理ばっかりして...
痛くても辛くても痩せ我慢してたでショ?」

「そ、そんなこと.....」

「今も一人ぼっちで色んなことに耐えて頑張ってるじゃない。」

「.....。

ああ。

確かにお前の言う通りかもしれない。
でもよ、他にどうすりゃいいってんだよ。」

「.....。

...辛かったらね、辞めちゃえばいいのよ。」

「え.....?」

「私はね、他の人のことなんかより、丈二ちゃんが幸せならそれでいいの。
そりゃあ、皆んな仲良くて笑顔でいられるならそれがいいケド...

私にとっての幸せはね..... 
丈二ちゃんが幸せでいてくれるコトだから。

もう十分私やみんなの為に戦って来たよ。

もっと自分の幸せを考えてもいいんじゃない?


丈二は俯いて少しの間考える。
そして一度外を見て大きく息を吐いた。

「俺の幸せ?

俺の幸せ.....って...

なんなんだろうな?

俺は.....

俺は.....

お前が.....

お前がいてくれさえすりゃ...」

丈二がそう言うと、カオリの姿がだんだんと色褪せて薄くなっていく。

「カオリ!?」

そしてゆっくりと消えてなくなろうとしていた。

「カオリ!
ちょっと待ってくれよ! まだ話が...
まだ話が終わってねぇよ!」

丈二の叫びも虚しく、カオリは微笑みを携えたまま、やがて消えて行った。

「丈二ちゃん...。

私はいつも見てるよ。丈二ちゃんのことを.....。」


丈二ははっと目を開けると、さっきまでとは違うリビングルームのソファーの上で横たわっていた。

ー.....夢か.....。ー

ゆっくりと身体を起こし、ソファーに座り直すと頭がキーンと痛み、思わず手を添える。
そして、そのまま辺りを見回すと、キッチンで家事をするカオリの姿があった。
部屋着の淡いピンクのジャージを上下に着て、後ろ髪を縛ったカオリは食器棚からカップを取り出すと振り向いた。
 
「丈二チャン起きたのね。
おはよー。」

「お、おはよ。

えっと...その...
なんか...迷惑かけちまったみてーだな。」

「ううん。大丈夫よ。
玄関で寝ちゃってたのをそこまで引きずって連れてくのは少しの大変だったけどね。」

「そうだったのか。
すまねェ。」

「いいのよ。昨日は凄く酔ってたみたいだったし。

今お湯沸いたから紅茶淹れるね。」

程なくしてカオリは紅茶の注がれたティーカップを持って丈二の横に座る。
そして丈二は目の前に置かれたカップを手に取り、一口啜るとその香りと味に懐かしさで胸がいっぱいになって行く。
「ふぅ」と思わずでるため息をつきながらカップをテーブルに戻し、横のカオリに視線を移すと、カオリが優しく微笑みながら自分を見つめていた。

「丈二チャン、お疲れ様。
なんか色々あるみたいだから疲れてるでショ?大丈夫なの?」

その言葉に丈二ははっとする。
目の前のカオリが夢の中のカオリと重なり、まるで前の人生のカオリが生き返ったような錯覚に襲われた。

「い、いや.....
別に俺みたいなチンピラ.....
大したコトなんてなんもねーよ。」

「そんなコトないでしょ?
私が見てるとね、丈二チャンはヒトに言えないような...


何か大きなものを抱えてるように見えるよ。」

カオリの言葉に丈二は思わずぐっと息を飲む。
そして何か言わなければと言葉を捻り出した。

「そりゃ...
俺のコト...買い被りすぎだヨ...。」

丈二がそう言うと、カオリは丈二の側へ近寄って来た。
肩と肩がぶつかるその距離で、下から見上げるように丈二に顔を近づける。
すると丈二はドキッとして思わず息を飲み込んだ。
カオリの笑顔がまるで全てを包み込む様にあまりにも暖かく、優しく感じで思わず頬を赤らめる。

「私で良かったら.....

何でも言ってくれていいのよ。

私.....

丈二チャンの力になりたいの...。」

カオリは表情だけでなくその声も優しく、色香に溢れ、丈二の胸は切なさで締め付けられそうになる。
そしてこのままカオリを抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
それと同時に夢の中のカオリの言葉が思い浮かんだ。

『私にとっての幸せはね..... 
丈二ちゃんが幸せでいてくれるコトだから。』

ー俺にとっての幸せ.....

.....

それは.....ー

丈二は少しの間瞳を閉じる。
胸の中で様々な思いが交錯し絡みついていく。
それは目の前のカオリ、仲間たち、これから現れるであろう沢山の敵達、そして自分の願い。それらが線になって絡みつき、複雑に捻れていく。

そして、それを全て解す事は出来ないと諦め、丈二はすっと立ち上がってカオリを見て微笑んだ。

「ありがとうカオリ。
こんな俺に....
そんな風に言ってくれて。

でも...俺...行かなくちゃ。」

「どこに...?」

丈二はその問いには答えずに、優しく微笑みながら部屋を去ろうと歩き出した。
すると、カオリも立ち上がって丈二の背中に向かって声を上げる。

「待って! 丈二チャン!

お願い...。

一つだけ...

もし良かったら一つだけ教えて。」

その叫びにも似たカオリの言葉に丈二は立ち止まって振り返る。

「丈二チャンね、寝てる時...

ずっと寝言でね、

『カオリ』って.....言ってたんだよ?

ねぇ.....『カオリ』って...」

カオリのその言葉に、丈二は胸の奥に痛みを感じで思わず下を向く。
そして、大きく息を吐いてからゆっくりと話し出した。

「俺が寝てる時...

そんなこと言ってたのか.....

....。

そのヒトは...

カオリは...

俺が好き...だったヒトの名前だよ。

いや...今もその人を愛してる。」

丈二の言葉を聞いて、カオリは表情を曇らせてうつむいた。

「ふ、ふうーん。そうなんだ。
丈二チャンの好きなヒト、カオリさんって言うんだね。
私と同じ名前なんだ。

どんなヒトなの?カオリさんて...。」

「.....。

誰よりも優しかった。

俺がどんなバカやってても、許してくれて、支えてくれた。
なのに俺はズット心配かけてばかりで...甘えてばっかりで...

自分の都合でズーッと待たせてて...

それでも俺のコト待っててくれて。

やっとあいつの為に...

何かしてやれるって...

ズッと待たせてごめんって....」

そこまで話すと丈二は喉を詰まらせる。
そしてその瞳は今にも溢れそうな涙で埋め尽くされていた。
だが、自分を奮い立たせる為に拳を握りしめてカオリの目を見つめ直す。  

「でも.....

それなのに.....
 
.....

俺のせいでカオリは....

.....


死んじまって....。」

その瞬間、丈二の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
そしてその姿を見ていたカオリもその瞳に涙を溜め、何も言えずに胸に手を当てて丈二を見つめていた。  

丈二はそれ以上何も語らず、流した涙も拭かないままカオリに優しくにっこりと微笑んだ。
その切なく、哀しい表情をみて、カオリも何と言葉をかけていいか分からずに2人は少しの間見つめ合う。

そして。

丈二はすっとカオリに背中を向けて部屋から出て行った。

.......

俺が愛した人は生きている。
でも、俺たちがあれ程に愛し合ったあの時の記憶はない。

単に記憶がないだけではなく、二人で愛し合ったあの時間がまるっきり存在していないのだ。

こんな奇妙な思いをするのは俺がタイムスリッパーだからなのか。

それとも.....

俺の背負った業がそうさせるのか。


俺は阿久津丈二。

癒えない傷を胸に新たな人生を彷徨い歩く...

タイムスリッパーだ。