古くからある洒落た雰囲気のパブ。

新宿の片隅で様々な人の言葉を長年聞いて来たであろう、そのくたびれた店内は今日も多くの人達で賑わい、その一人一人の言葉に耳を傾けていた。


そんな中に紛れ、顔中に絆創膏を貼った丈二と、佐山、正人の3人は楽しそうに談笑していた。

特に佐山はいつになくご機嫌で、身振り手振り交えながら話している。


「ーーーで、帰ってきた江原は大慌てよ!


そりゃそーだ!

オヤジから破門だなんて言われりゃなぁ...


江原の野郎、福永を狂ったように殴りつけたあげくにヘタ打ちのオトシマエつけろってんで無理矢理エンコ飛ばさせやがった。」


隣で聞いていた丈二は少し俯いていた。


ーそうだっけか。

タカシは左腕落としてたから指のことなんざ忘れてたぜ。

江原の野郎、自分の失敗を舎弟に押し付けやがって。ー


「おい丈二、聞いてんのか?」


ぼーっと考えていた丈二は不意に佐山に言われて我に帰る。


「あ、ああ。

ちゃんと聞いてるよ。」


「そんでな、血ィダラダラたらした福永をオヤジんとこまで引きズってくと2人で土下座してワビ入れたっツーわけよ!」


その言葉を聞いた正人もニコニコしながら口を挟む。


「ボロボロ涙まで流して泣き入れたってウワサだぜ。」


二人の話に丈二は少しだけイラッとしていた。

この時代のタカシとはまだうまく行っていないが、前の人生では親友同然だったタカシが理不尽な目にあっているのを笑って聞くことは出来なかった。

だが、雰囲気に合わせないと不自然に感じ、無理矢理口を開く。


「全く役者だよなぁ。江原のヤローも。」


舎弟達の言葉に気をよくしたのか、佐山は続けて話し出す。


「ザマないぜ!

シノギの調子がイイからってのぼせあがってた

アレにはいいクスリだ。」


フンと鼻で佐山は笑うと、今度は絆創膏だらけの丈二の顔を見て口を開いた。


「しっかしオメーもしっかりやられたよなぁ。

イケイケの石田の兄貴にインネンつけるなんてよォ。

よっぽどの根性モンか...抜け作だ!」


「いや...こりゃ...まぁ、ソーなんだけど.....。」


「アリャ、こんな時間ダョ....

俺ァ別件があるから...オメーらはもうチット飲んどけ」


話も途中で佐山は用事を思い出して席を立った。

そこへすかさず正人が頭を下げる。


「ごちそうさまで〜す!」


そして佐山はそのまま立ち去ろうとしたが、ふと止まり振り返る。


「俺たちの稼業、ことば違えただけで指が飛んだり命(タマ)取られたりするんだ...

楽じゃねーぜぇ。」


そう言うと佐山はニコリと笑い、店を後にした。


丈二はタカシの事を考えると複雑な気持ちにもなったが、今考えても仕方ないと胸の奥に一旦しまう。

そして、気持ちを切り替え正人に話しかけた。


「兄貴も今日はご機嫌だったな!」


「そりゃそーだ!

俺だって気分いいモン!」


二人はにこやかにグラスを手に取り飲み直そうとしたその時。

この店のマスターが丈二の所へ直接やって来た。


「丈二チャン...

相席いいかな?チョット混んじゃって...」

 

「あっいいスよ。

正人、詰めろよ!」


「女子大生3人組だから」


ウインクしながら話すマスターの言葉を聞いて、正人は思わずガッツポーズをする。  

 

「うひょー!

やったあーーーーーー!」


しかし、丈二はその言葉に眉をピクリと動かして目を細めた。


ーこの場面は... 確か...


俺ァどーしてこういう事を忘れるかなぁ...ー


丈二がそう思った時には既に遅く、目の前には散々見慣れたずんぐりむっくりの体型で目ヂカラの強い、お世辞にも美人とは言えない女性が立っていた。   


ー美也子...!ー


そこにいたのは1回目の人生での女房。

2回目の人生でもこの出会いを回避できず、延々と丈二の側を離れない関係になった。


「おじゃましまーす!」


美也子達は元気よく挨拶するとソファーに腰掛ける。

当然のように美也子は丈二の隣に座り、ニコニコしながら丈二の顔を見つめていた。


ー美也子若いなァ。

この頃はまだ女の子ってカンジだな。

でも、年取るとプロレスラーみてーになるんだよなァ...。ー

 

丈二はふぅとため息を一つついてグラスを傾ける。

そして、これまでの美也子との事を少し思い出した。


ー前の人生のトキはここで美也子にキレ散らかしたんだったっけな。

女房だった時の不満が相当溜まってたからなァ。


でも、今はコイツに対してなんも感じねーわ。

むしろズッと世話になって... 


感謝してるぜ。


なのに思えば俺はコイツに酷いことばっか言ってたよなァ...。ー


丈二が物思いに浸っていると、美也子の声が聞こえてきた。


「ねェ、なに考え事してるの?」


「あ、いや、別に。」


「この店の良く来るでしょう?

アタシのこと知ってる?」


「ああ。

アンタの事はよーーーく知ってるよ?」


「えーー!!

ウッソ! 本当?

やっぱり気付いてた? アタシの熱い、し・せ・ん


美也子は猫撫で声でそう言うと、丈二の腕に自分の腕を絡めて顔を近づけた。

 

「酔っちゃった...


もちろん送ってくれるわよねェ...?」


その言葉を聞いて、丈二はすっと美也子の腕を外してニコリと笑う。


「すまねぇな。


俺ァ...心ん中にズット1人の女がいるんでね.....。


学生さん。


アンタ、俺みたいなチンピラじゃなくて、ちゃんと地に足のついた人を探しなよ。」


そう言うや否や、立ち上がって正人に話しかける。


「おーい、正人。

俺も今日はヤボ用思い出したワ。

わりーけど先に上がるな。」


「は?

そんなの聞いてねーぞ丈二。

こんなオイシー場面なのに帰るのかよ。」


「ああ。オメーは楽しんでくれよ。


皆さんも、今日はこのオニーサンの奢りだから。

いっぱい飲んで楽しんでネ!」


「あん? オイ、チョット待てよ丈二!」


目を丸くしてこちらを見てる正人にニヤリと不敵な笑みを見せて丈二は足早に出口へと歩いていった。


そんな丈二の背中をぽかんとした表情で正人が見ていると、美也子が話しかけて来た。


「ネェ、正人...さん?

アノ人、彼女とか好きな人とかいるの?」


「丈二のことか?

イヤー、俺りゃアイツからそーゆーの聞いたコトねーけどなぁ。」


その言葉に美也子はふふっと微笑んで店の出口をみつめた。


「やっぱり...。

きっとアノ人...照れ屋さんなんだな。


カ・ワ・イ・イッ



そして丈二は店を出ると、振り返って店の看板を見上げて立ち止まった。


ー美也子。

思えばお前が女房だった時.....

ヤクザが大根の値段で喜んでるようじゃおしまいだって言ってたよな。


俺は自分の人生がうまく行かない事を何かっツーとお前のせいにしてた。


ホントは...


俺が甲斐性ネーだけだったのにな。

そんなセリフ吐かせちまってすまなかった。


前の人生でもこんな俺のことズッと気にかけてくれて。


ありがとうな。美也子...。ー


心の中でそう呟くと、丈二は再び寒さに背中を丸めながら歩き出した。


そしてしばらく歩いていると、見覚えのある場所へたどり着く。

人通りの少ないホテル街の路地。

道に沿った壁のとある場所で丈二は立ち止まり、その部分を見つめる。


ーあの夜....。

美也子に暴言を吐いた後俺は、悪酔いしてこの場所で吐いてたんだよな。


.....。


この夜のことはよく覚えてるぜ。


ここでぶっ倒れてる俺のところに偶然仕事帰りのカオリが通りかかって...


2人で飲みに行ったんだよな。


それで...そのアト...。


そう。


カオリを初めて抱いた夜だったな。


ここでのカオリと偶然行き合ったコトが....


俺とカオリの始まりだった.....。ー


丈二は一つため息をついて時計を見る。


ーまだ青い部屋はやってるな。

前の人生の時より大分早い。ー


丈二がそう思っていると、前から若いカップルが歩いてきた。

幸せそうに腕を組み、少し酒も入っているのかキャッキャと笑顔で話しながら丈二の横を通り過ぎて行く。


そんなカップルに丈二は少し寂しげに微笑み、両手をポケットにしまって歩き出した。




「丈二チャン.....!」


帰ろうとしたその矢先、不意に名前を呼ばれて丈二は肩を上下させて驚き振り向くと、そこにはなんとカオリが立っていた。


「カオリ.....?

どうして...?」


「なんかね、今日忙しくて疲れたから少し早くあがっちゃった。

ミドリちゃんがね、私を見て気を使ってくれたの。


今日頑張ったから早く帰っていいよーって。」


「そ、そーなのね。」


あたふたする丈二の前にカオリは近寄ると、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

丈二はその笑顔があまりに眩しく見え、思わず頬が紅くなる。


「ネェ、この後時間ある?」


「ん?

いや...あの...」


「え?忙しいの?」


「別に...忙しいってワケじゃねーケド...」


「やったぁっ! じゃ、飲みいこっ。

ね?丈二チャン。」